The 3rd. ..........なべてこの世はこともなし

 1999年に沖縄移住したゲイが垂れ流す身辺雑記,気になる記事,年下彼氏とのノロケ,過去旅話。

No.6510:古都フエ(Huế)散策11

 岩場に作られた船着場に二人降り立つ。険しい丘の斜面,狭い帯状の平たい場所に建物が配置されているらしい。Anさんの先導で,鬱蒼と頭上を覆う樹々の間の石段をホンチェン殿(Điện Hòn Chén)へと登る。
 ふむ。見た目は普通の小さな寺というか大きな神祠というか。ヴェトナムの主要民族であるキン族(阮朝の人々もそうだ)が南下してくる前に,中〜南部を支配していたチャム族(チャンパ王国)が祀っていた女神をそのまま受け継いだ神域なので,もうちょっと南方的な色合いが濃いのかと思ったが。

 建物の前,日本の神社でいえば狛犬がいそうなあたりに石彫りの象がある。4本の脚を折って跪いた恰好だ。このあたりはチャンパの匂いが少しする,とも思ったが,よく考えたら象は帝廟の前庭にも据えられていたりするのだ。どうやら,祀られている女神以外はキン族の文化に同化されているらしい。
 「In the back mountain, there are many snakes. Very terrible.」
 背後の山を指差してAnさんが説明する。神蛇というわけではないが,女神に関係があるらしい。お隣カンボジアのアンコール朝では,王が蛇の女神と神婚することで統治権を更新する習わしがあったとか。もしかしたら,チャンパ王国の時代にはここにも似たような神話・慣習があったのかもしれない。

 建物そのものは,風雨で色が褪せているため,渋く落ち着いた日本人好みの風合いになっている。古都フエの修復事業が進めば,ここも元通り塗り直されて鮮やかな姿になるのだろう。
 祀堂の中はちょっと薄暗い。赤く塗られた祭壇。設えは,やはり普通に中華混じりのヴェトナム風。花が生けられ,色づいたバナナが捧げられている。香炉の線香は煙を立ちのぼらせ,常にお参りする人はいるようだ。
 他の祀堂などと違うのは,平たい形の柄の長い傘が傍らに立てられていること。貴人の頭上に差しかけるものだが,これは女神用ということか。色とりどりの房が周りにぶら下がっていて,綺麗だ。
 祭壇の右側には,黄金色の布がかけられた寝台のような家具が置かれていた。普通,祀堂にはこんなものはないだろう。不思議そうに凝視している僕にAnさんがしてくれた説明では,これが女神の眠るという「ハンモック」だと。てっきりネットみたいなものだと思っていたので,わからなかった。
 寝台があるのだから,神像もあるかと目を凝らしたが特にそれらしいものは見当たらなかった。特に具象化はしてないのか,それとも秘仏のように厨子にでも納められているのか。

 姿の見えない女神に一礼して,外に。
 フォン河に面した石壁。樹々の緑の枝の間から鈍い色の流れが見える。ここから撮ってみたい。そう思ってファインダーを覗きながら良さそうなアングルを探していたら,いつの間にか傍に来たAnさんがぼそっと曰く。
 「You get on this wall, so You can take a good photo.」
 いいのだろうか? とりあえず,靴は脱いで上から1枚だけシャッターを押した。
 ところが。この時の写真は露出が適正でなくて,見られたものではなかった。その前後のものも,祭壇以外は写りが悪かったのは,やはり女神のご機嫌を損ねてしまったのか。
 それはともかく。頭上を覆う雲の向こう側が切れかけている。どうやら,また晴れてきそうだ。あまり暑くならなければいいが。
 石の基壇に並んで腰を下ろして一休み。そよ風に吹かれながら,拙い英語で四方山話で時を過ごす。



ホンチェン殿祭壇
右奥の黄色い布をかけられたところが,女神の休む場所。
Google Map, Vietnam(1998.03)




BGM NOW
Westlife/If I Let You Go[★★★]
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  1. 2017/09/29(金) 08:24:59|
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No.6457:古都フエ(Huế)散策10

 来た道を少し引き返して,Anさんは半ば強引にバイクの進行方向を変えた。しばらく走って右折。薮っぽい小道が開けてフォン河の岸辺に出た。
 丈の高い木々に囲まれた空き地に家。竹を編んだ壁,土の三和土の褐色ずくめだ。淡いパステルカラーも素敵ではあるけれど,日本文化で育った者の目には,これも渋くて心地よい。エンジンの音に,地面に寝そべっていた犬が「んあ?」と頭をもたげて,またうとうとするお昼前。

 一応ここは渡し場ということになるらしい。Anさんが指差す対岸には,何艘もの舟が岩場に舫ってある。そしてその上には目指すホンチェン殿(Điện Hòn Chén)が。
 どうやら渡守のらしい褐色の家にAnさんが話をつけに行った。その間に僕は水辺に出てみた。ちょうど長細い舟が着いたところだ。残念ながら待っていた渡し舟ではなく,ヴェトナムの川ではよく見かける小舟。細く割った木を編んだ,というより並べて太い糸でかがった板状のものを両舷に渡して,半円柱形の屋根に仕立てた独特のシルエット。載せているのは太めの枝。
 ざすっと舳先が泥に食い込んだ音と共に,漕いでいた青年がひょいと下り立って,ぐいっと胴を引っ張って横付けに直した。そのまませっせと荷の枝を岸に積み上げ始める。これは燃料=薪か? それとも,何か別のことに使える(たとえば香木とか)ものなのか。・・・扱いの雑さからして,きっと燃料だろう。きびきびとした勤勉な雰囲気を漂わせる姿に,好感を抱く。

 Anさんが戻ってきた。しばらく待てば,向こうから来るそうだ。合図をするわけでもなさそうだが(勿論,当時は携帯電話などは普及していない),見えないところから狼煙でも上げるのだろうか,とふざけたことを思ってしまった。
 倒れた木の幹に腰かけてぼんやり眺める目の前を,派手に飾り立てたクルーズ船が波を蹴立てて通り過ぎていった。ここから上流なら,ミンマン(明命 Minh Mạng)帝廟だな。さすがにその大分先の荒れた初代ジャロン(嘉隆 Gia Long)帝廟には,普通の観光客は連れて行かないだろう。
 やがてエンジンを響かせて渡し舟がやってきた。河幅が広いし,まっすぐにこちらに向かっているから,なかなか近づくようには見えない。
 やがて目の前に来た舟は,枝を運んできたの同じ大きさ。ただし屋根なし。頭から岸の泥に突っ込んでストップ。先に乗ったAnさんが手を貸してくれようとしたが,大丈夫,身は軽いからと断った。
 こういうこじんまりとした渡し舟に乗る時にいつも悩むのが,どこに座るかだ。皆が岸辺の泥の付いた靴で上がり込んだ上に,座板も踏みつけられて泥まみれになっているのだから。
 僕らが腰を落ち着けたのを見て,船頭が竿で舟を岸から突き放す。ふわっと一揺れ。エンジンがかかってぐぅっと動き出した。
 あいにく上空は一面曇り。快晴の時のように気分晴々,という感じにはちょっとならない。それでも,水面を渡る風に吹かれてると「旅している」という実感が湧くというもの。対岸に着く少し前,ちっぽけな手漕ぎ舟が上流にゆっくりゆっくり溯っていった。


ホンチェン殿付近の香河
川向こうの上流側

ホンチェン殿
対岸にホンチェン殿
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/08/31(木) 09:33:57|
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No.6387:古都フエ(Huế)散策9

 バイクは住宅地の間をどんどん進む。
 クリームイエローや淡い水色といったヴェトナム人好みのパステルカラーの壁に,オレンジの屋根。家の敷地と道の間には竹が茂っていたりして,その深緑の幹の合間から覗く柔らかな色彩の家は,内実はどうあれメルヘンの世界のようにも見える。
 庭先にベンチみたいな木の長椅子を持ち出して,家族の衣類の繕い物なのか何やら手仕事をしている若い母親。足下で遊んでいたのが,バイクのエンジン音にはしゃいで「わーい」と駆け出る幼子。平和そのものの風景。うまく切り取れば絵葉書にでもなりそうだ。

 住宅地を過ぎると,畑と草原。道は土道に。向こうにちょっとした林のようなものが見えてきた。ティエウチ(紹治)帝陵(Lăn Thiệu Trị)だ。
 境界を仕切る塀などがないとは聞いていたが,本当にそうだった。生前の離宮だった息子のトゥドゥック(嗣徳)帝陵はともかくとして,他の皇帝の陵は大なり小なり塀で敷地が区画されているのが普通だ。
 それに比べると敷地にぽつんと廟殿などがあって,開放的といえば開放的,威厳がないといえば威厳がない。こんな風に開けっぴろげの状態で,中に収められた御物などはどうやって守っていたのだろう? 阮朝最盛期だから,警固の兵士だけ置いておけば大丈夫と考えたのだろうか。

 踏み分け道のような小道を辿って,入口(とされる場所)に座る番人からチケットを買う。見えないところからいくらでも入れてしまいそうで,実際一人でバイクや自転車で移動する旅行者なら,やっていそうな気もする。
 廟の構造は父のミンマン(明命 Minh Mạng)帝と同じで,高い基壇上の神位を祀る建物群と,背後に蓮池を挟んだ奥津城のセット(ただし,父帝の方は一列に並んでいるのに対し,こちらは左右に並列)。違うのは規模と,列立する文武官の石像がないこと。
 基壇の石畳や磚は少し荒れ気味,屋外の鉄だか青銅だかの香炉も錆だらけ。建物内部の丹塗りの赤も剥げかけていて,まだまだ整備が進んでいない,というよりとりあえず保存しているという印象が強い。装飾としての玉樹や額など色々な設えなどはきちんと残っているので,手を入れれば見栄えは他の帝陵にも引けを取らないと思うのだが。
 この時,横に並んでいる奥津城にも行ってみたかったのだが,Anさんが言うには未整備ということで残念ながら入れなかった。

 いつの間にか曇ってしまった空の下,今ここにいるのは僕ら2人だけだった。3代目で安定した時期の皇帝だというのに,なんだか寂しい帝陵だ。一般的な観光ルートにも入っていないし。整備されればなかなかいい見所になると思うが・・・。
 来た道を走り去るバイクの後ろから振り返って眺めた帝陵の印象は,やはり「ぽつん」。以前に訪ねた,畑の中にあるドンカイン(同慶 Đờng Khàin)帝陵と似たような雰囲気だった。


紹治帝陵
祭祀施設である表徳殿への門。3層の基壇も高く,さすがに立派な印象を与えられるが,荒れた感じは否めない。

紹治帝陵
重檐(軒を二重にした格の高い様式)の表徳殿。壁の染みや色褪せた柱などは,今は塗り直されているらしい。

紹治帝陵
内部の額とその周囲。赤を基調に色彩豊かで,見栄えはかなり眩いものだっただろう。

紹治帝陵
飾られた玉樹はうっすら埃を被っていたが,建物内部の設えは往時を偲ばせるに足りる。

紹治帝陵
紹治帝と恐らくは皇后の神位。

紹治帝陵
表徳殿正面の半月形の蓮池。
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/07/26(水) 09:03:01|
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No.6347:日本で良かったと思ったら

 歴史と風土が気に入っているヴェトナム。
 ドイモイで開放政策をやってるとはいえ,共産党による一党支配であることは変わってないわけで,この度それを思い知らせるような裁判所の判決が出ちゃいました。
 単にブログで政府への反対意見や批判を表明していただけなんですけどね・・・orz;;;
 日本と違って,公安の力が強いので,旅行者も政治的に迂闊な行為にはお気をつけあれ。


CNN Japan記事:ベトナム人ブロガー、「反国家的宣伝」で禁錮10年



 自由に物が言える日本で良かったと思ってたら,こないだの都議選での秋葉原の件で,自民党のバカ議員(また二回生だよ・・・)が,他人のFBに「辞めろコールの反対者たちにテロ等準備罪(=いわゆる共謀罪)を適用しろ」的投稿があったのに「いいね!」を押してるし。
 そーゆーことするバカがいるから,立法意図が怪しくなるんだろーが。


朝日新聞記事:辞めろコール「共謀罪で逮捕」 自民議員が「いいね!」

毎日新聞記事:首相へのやじ 共謀罪で逮捕「いいね!」 自民2回生



 Abeになってから,ほんまきな臭いわ〜;;; 誰だよあんなの選んだの(これでワタシも『政治テロリスト』の仲間入り 笑)。



  1. 2017/07/07(金) 09:00:27|
  2. 越南:雑記
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No.6162:古都フエ(Huế)散策8

 Anさんがメモ帳に書き込んでくれた順番によると,次はトゥヒェウ(Từ Hiếu 慈孝)寺。
 少しもの寂しい気配の漂う道には,どことなく見覚えがあるような。そう思っていたら,松林に出た。この佇まいは確かに記憶にある。白く塗られた3層の塔だ。忘れもしない,フエを最初に訪れた時に来た場所だ。あの時は霧雨にしっとりと煙っていたが,今日は青空の下の晴れやかな姿。たった3年前のことだが,何やら懐かしい。
 >>>>>> No.1283:霧雨のフエ(Huế)7[旅行記-ヴェトナム]:1995.03.18

 緑の林の中に続く漆喰塗りの白い塀。2層の立派な三門もそのままだ。
 門前にバイクが止まると,土産物売りの子が2人ほど近寄ってきた。前はいなかったが・・・天気が悪かったので出ていなかっただけなのか。売ってるのは絵葉書だけだったので,悪いが何も買わない。門をくぐる僕の背中に,声を揃えて「どうして買わないのー?(Anさん通訳)」。欲しいものがなければ,仕方ないだろう。
 門内は例によって庭。でもここは他とは違って,鉢植えの列ではなく,大きな丸い池が人を迎える。翡翠色の静かな水面に門や塀が映り,きらきら日光も反射していて,とても美しい。
 池を迂回して灌木を植えた庭に挟まれた狭い参道を上がれば,石敷きの前庭に僧坊と本堂。
 「Do You want to enter?」
 Anさんが聞いてくれるが,中は前回入っているし,お勤めなどの邪魔をしても悪いから遠慮する。ここの本尊はネオンの後光を背負ってない,日本人好みの姿をしていた筈だ。
 僧坊の裏手,食堂のあたりは,湯気が一杯に立ち込めていた。地味な私服の人たちが忙しそうに立ち働いていた。時間からしてそろそろお斎の準備をしているのだろう。肉魚一切なしの精進料理・・・どんな味になるのか,興味がある。
 屋根に幾つも龍の飾りを戴いた本堂。灰色の衣をまとった若い僧が柱に寄りかかって経典らしい本を広げていた。

 脇にある立派な造りの墓群を眺めて,元来た参道へと引き返す。日向ぼっこしていたちっぽけな蛇が,僕らの足音に驚いて逃げ出す。道から脇の木立へ入りたいらしいが,50cmくらいの段差の石壁が乗り越えられず,ぐいっと背伸びをしてはバランスを崩して何度もぱたんと仰向けに倒れる始末。その格好があまりにもおかしくて,必死な蛇には悪いが2人して大笑いしてしまった。
 この寺は,阮朝の宮廷に仕えていた宦官が,子孫を持てない自分たちの後世を弔ってもらうために建立したものだそうだ。墓所の中には,彼らのものもあるのかもしれない。


フエのトゥヒェウ寺

フエのトゥヒェウ寺
庭の間をまっすぐ通る細い参道から三門を見る

フエのトゥヒェウ寺
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/04/12(水) 00:50:06|
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No.6123:まさか,ヌキにヌイてぐずぐずになってしまったモノを出して喜ばれてるわけじゃああるまい?と落語好きの血が騒ぐ件(笑)

 ヴェトナムで過去5回,根室産のサンマを普及させるためのフェアを開いたところ,なかなか好評で,塩焼きが人気あるんだそーです。って,サンマ輸出してたんだ,知らなかったー(苦笑)
 南部のホーチミン(サイゴン)は,経済的に活気があるし,割と新し物好きなところもあるから,受け入れやすかったのかな。刺身で出せるほど新鮮なものを送るとなると,ちょっとお高くなりそうで,富裕層向けということになるんだろうけど。
 通常メニューとして出している店もあるそーで,日本食が懐かしい駐在の日本人にも嬉しいところでしょうね。
 記事の画像では,オシャレなレストランで出されてるようだけど,あの食欲をそそる焼く時の煙とか匂いは・・・期待できそうにないな(笑)


毎日新聞記事:根室のサンマ 「塩焼きが好き」 輸出先のベトナムで人気



 しかし・・・。
 「根室のサンマ」って,語呂が「目黒の秋刀魚」と似てるな。
 まさか,殿様に出したみたいに,小骨も脂も徹底的に抜いて極端にあっさりしちまったものを出して喜ばれてるわけじゃ,ないよね?(笑)

 『だが,留太夫,座っていてはうもうない。醤油樽をもて!』
 (そりゃ「ねぎまの殿様」だがや・・・)



  1. 2017/03/27(月) 00:47:47|
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No.6072:古都フエ(Huế)散策7

 バイクを置いた休憩所に戻った。店主の中年婦人がにこにこ椅子を勧めてくれる。何を飲もうかな・・・覗き込んだクーラーボックスの中には,各種取り揃えた色とりどりの缶ジュース。そうだな,マンゴーのにしよう。
 歩いてすこし火照った身体に,大きな木陰のそよ風はとても気持ちがいい。暑かったろう?と店主が布張りの大きな扇子を貸してくれた。ふぁさっと扇ぐとと涼しさ倍増。
 中国製の甘いネクター状のジュースをストローで一気に吸い上げてしまったのを見て,「もう1本どう?」とボックスの蓋を開けるが・・・そんなに飲めるものでもない。あっさりとしたお茶系のものでもあれば,と目で探したが,どうやらないようだ。
 ぼんやりと眺めていると,次から次へと観光客がやってくる。僕のようにバイクガイドに連れて来られるのもいれば,バスで乗りつける団体もいる。中には,自転車に乗って自力でやって来る強者も(これは欧米系に多い。体力が違うんだろう,きっと)。
 そういえば,初めてここを訪れた時に門前に停まっていた団体バスは,日本から輸入された中古の京都市営バスだったっけ。ハンドルの位置だけをヴェトナム用に左右逆に付け替えてあるのに,あとは京都で走っていたままの外装(方向幕も!)だったので,驚いたものだ。
 15分くらい休んだろうか。じゃそろそろ,とAnさんはバイクを引っ張り出し,手を振る店主に見送られてトゥドゥック帝陵を後にした。

 家々の間の小道を抜けて,何だか小高い場所に出た。草と潅木,それにコンクリートの塊が転がってる殺風景なスロープ。バイクはそこへ入り込んだ。小石が多くてお尻が突き上げられる。シートのクッションが役に立たない。
 Anさんが降りるように促す。ここはどこだ?と表情に出し,質問もしたが,Anさんは答えずにずんずん先へ歩いていった。仕方なく後について行ったら,フォン河(Hương Giang,香江)を見下ろす高台の突端に。
 「Here is the army position of America and French.」
 陣地って・・・もしかしてヴェトナム戦争の時の? よくよく見れば,このコンクリートの塊はトーチカの形をしている。この塊に開いた穴から,高射砲の砲身などが突き出ていたわけか?
 おそるおそる端っこにまで行ってみた。ゆるやかに蛇行するフォン河の広い流れが左右に。位置が高いから対岸も丸見え。これは確かに素人目にも根拠地として最適な場所だ。テト攻勢の時などはここにも砲弾が降り注いだのだろう。

 過去は過去として,ここは眺めがとてもいい。ちょうどフォン河が曲がるところに位置していて,左手にはホンチェン殿(Điện Hòn Chén)からミンマン(Minh Mạng,明命)帝陵あたり,右手は大彎曲部あたりまでパノラマ状態。眼下には,飾り立てた観光ボートが澪を引いて行き交っている。
 向こう岸には緑の畠だか田と林,それにオレンジ色の屋根をかぶる瀟洒な民家。ちょっと絵になる風景だ。
 どこかから子供たちがやってきた。別に物売りなどではない。トーチカを使って隠れん坊みたいなことをやって遊んでいるようだ。きゃあきゃあと楽しげな声が風に乗って耳に届く。・・・ずぅっとここで遊べれば,いいね。


フォン河の高台から1
上流側を望む。右手,岩礁のあたりの岸,木々の向こうにホンチェン殿がある。遠くの岩肌の見えるあたりの先に,明命帝陵。

フォン河の高台から2
下流側。ずーっと先が大湾曲部。その先にフエ市街がある
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/03/01(水) 00:45:23|
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No.5997:古都フエ(Huế)散策6

 トゥドゥック(Thự Đức,嗣徳)帝の奥津城を出て,脇から裏手へ。池に流れ込む渓流もどきを石の堰で渡った所に,もう一つの奥津城があった。ここは前回には来ていない。帝のものを二回り以上小さくしたような広さだ。
 Anさんは,皇后の墓所だ,と説明してくれた。確かに,入口から内部が直接見えないように造られた排障のモザイクも龍ではなく鳳凰(中華文化圏では基本的に龍は男性,鳳凰は女性を表わすことが多い)だから,その場はそうかと納得したのだが,後でチケットの地図を確認すると「Kien Phuc's Tomb」(Kiến Phúc,建福帝廟)になっていた。
 主の詮索はともかくとして,メインの離宮施設などとは離れていて,あまり観光客も来ないせいか,ここは少々荒れ気味だった。塀が見事に壊れていたり,草むしていたり。さすがにこのあたりまでは修復の手が及びかねているらしかった。ただ,陶磁器の破片を使ったモザイクは,さすがに美しかった。
 荒れた石段や床面にプルメリアの白い花が一面に散っている。Anさんが一つ拾い上げて僕の鼻先に。ぷーんと甘い匂いが漂った。

 今,資料に当たってみたところ,やはりAnさんが正しかった。儷天英皇后の謙壽陵。


 道に戻ると,どこから現われたのか,ジュース売りの女の子たちが声をかける。Anさんは,彼女たちからは買わないように,と僕に小声で注意する。・・・バイクを置いた所の物売りの女性から買ってもらいたいからだろう。
 そこから先に進むと,これまたミニチュアな帝廟風の一郭。先程の皇后の墓所以上に荒れた雰囲気がある。周囲は樹々も茂っていて,裏山と一体化した感がある。苔むした石段の上は・・・封鎖されているようだ。
 Anさん曰く「Tomb of Tu Duc's Prince」だそうだが,病弱な帝には皇子はいなかった筈で,後継者は弟や甥だったのだが・・・。チケットの地図も「Chap Khiem Temple」とあるだけで,頼りない。中を見れば手がかりがあるかも,と思ったが,残念ながら修復工事中。トヨタ財団の援助だとか。

 資料によると,こちらがキェンフック帝(1869〜1884年)の廟だった。帝は,実子のないトゥドゥック帝の甥で養子となり,帝の崩御後,1年足らずの間に廃位,毒殺された二人の皇帝を挟んで15歳で即位。半年後に帝も権臣により毒殺された。養子になっているから,Anさんの表現は間違いではない。当時は,フランスの植民地化の圧力が相当強くなっていたこともあり,独立の陵を造らず,養父トゥドゥック帝の陵域内に陪葬されたらしい。



 庭園の草地にはプルメリアの花に混じって,動物の糞も転がっている。近くの山から鹿が出て来るからとAnさんは言っていた。
 そして池に面した釣殿「沖謙榭」の背後に出た。池を挟んで向かいには,あの愈謙榭が見える。ぐるりと一周したことになる。
 橙色の瓦葺寄棟の母屋内部は,何もない空間。今は剥げかけたり褪せたりしているが,黒漆塗りで仕上げたらしい欄間や建具の装飾は,さすがに見事。ここは帝の遊興空間だったようだ。
 池岸ぎりぎりに建てられた母屋に接続して,一段低くした屋根付きベランダ空間が池の上に迫り出す。柱と欄干だけの,吹き抜け空間。欄干の2ヶ所が切り欠かれて,木の階段が池に降りるようになっている。中部ヴェトナムの酷暑の時季,帝はここで涼みながら詩を吟じたりしていたのだろうか・・・
 そんなことを思いながら風に吹かれていると,さっきの小学生たちがやってきた。わいわいきゃあきゃあと楽しそうだ。先生たちも僕らに気づいて,にっこり。
 思いついて母屋のの入口側,舞良戸風の扉が形よく開かれている庇の廊下を撮ろうとカメラを構えた・・・ら,子供たちがひょいひょいあちこちから顔を覗かせる。鬼ごっこのようなもぐら叩きのような遊び。仕方がないなあ,と遊び終わるのを待っていたら,気づいたリーダー格の子が仲間を制して引っ込ませてくれた。Cám ơn!(感恩,ありがとう)

 池にはぽつりぽつりと蓮の花が開いている。風は向こう側のプルメリアの甘い匂いを運んでくる。夕闇の迫る中,水上に雅楽団を乗せた舟でも浮かべて,ここで楽を楽しみながら酒を嗜んだら最高だろうなあ・・・。


嗣徳定陵マップ
19が儷天英皇后謙壽陵,24が建福帝陪陵,5が沖謙榭。

儷天英皇后謙壽陵
儷天英皇后の謙壽陵

儷天英皇后の謙壽陵のモザイク
謙壽陵陵の排障モザイクは2羽の鳳凰。陶磁器やガラスを砕いた欠片を使っている。

建福帝陪陵
建福帝陪陵。現在は修復完了して,見学可能。

沖謙榭
沖謙榭の外観(前出)

沖謙榭
沖謙榭の庇部分
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/01/30(月) 10:24:34|
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No.5928:古都フエ(Huế)散策5

 和謙殿の奥には,また磚(敷瓦)を敷いた中庭空間を囲んで三方に建物。正面橙色瓦の重檐(二重軒)が良謙殿,左手寄棟が温謙堂,右手寄棟が鳴謙堂となる。
 和謙殿が離宮としての正殿なのに対して,これらはプライベートな空間となる。良謙殿がトゥドゥック(Thự Đức,嗣徳)帝の起居空間,鳴謙堂は音楽や演劇を楽しむための楽堂,温謙堂は帝の衣裳や品物を保管する場だった,とAnさんは説明してくれた。この一廓の背後と左手には,後宮や侍臣たちの起居する建物などもあったそうだ。前回案内してくれたガイドと比較しても,Anさんは歴史的な知識が豊富なようだ。僕の嗜好と一致しているのは,ありがたい。
 鳴謙堂の中は,天井に日月と星辰が描かれていたり,古びた玉座とそれに対する高舞台などが設えられていたりと,他とは違う遊興の空間になっている。帝はここで雅楽(Nhã Nhạc)も奏させたのだろうか? それとももっと俗っぽいものも楽しんでいたのだろうか。

 池沿いにぐるりと廻って帝の奥津城を訪れた。ちょうどアオザイ姿の女性が入っていくところだった。華やいだピンク色が,時を経て古び,沈んだ色合いになっている空間を明るくしてくれる。
 陵域を囲む塀は瓦が外れていたり,化粧漆喰が剥がれかけていたり。門そのものを装飾する橙色と緑色の陶板も脱落が目立つ。朝靄のまだ残る柔らかい光の中おかげか,それは荒廃をあまり感じさせなかった。これが南国らしい強烈な昼の光の下だと,どうだったろうか・・・
 碑亭の前庭,半月形の池際に植えられたプルメリアは,まだ殆ど葉が出ていないのに,まばらに花を咲かせていた。作詩を好んだという文人気質の帝の奥津城らしく,どこか詩情を感じさせる光景だった。


嗣徳帝陵案内図
8が良謙殿,9が鳴謙堂,10が温謙堂。16の部分が帝の陵域。

嗣徳帝陵の池
池と中島

嗣徳帝陵の龍浮き彫り
陵域外側の石壁に刻まれた龍

嗣徳帝陵域
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/01/02(月) 10:43:50|
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No.5894:古都フエ(Huế)散策4

 次はトゥドゥック(嗣徳)帝陵(Lăn Thự Đức)だと,走りながらAnさんが教えてくれた。チャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を渡って新市街のレロイ(Lê Lội)通りを西へ。
 フエ駅の手前でディエンビエンフー(Điện Biên Phủ 奠邊府)通りに入って南下。ヴェトナム人好みのパステルカラーに塗った家の壁。幾つかの角を曲がった頃,見覚えのある塀が左側に現われた。帝陵を守る塀だ。
 まもなく入口に着いた。前の道に生えた木陰には,パラソルを差し掛けた休憩所兼飲み物販売が幾つも店開きしている。大抵は女性だが,僕らを見て低い椅子から立ち上がって「こっちこっち」と差し招く・・・が,職業バイクガイドのAnさんには行きつけ(というより客を連れてお金を落としてもらう提携先)というものがあるわけで。
 その中の一つに近づいていくと,「来た来た」とにこにこ顔の中年婦人。人が良さそうな笑顔だ。Anさんは気安く挨拶しながら,そこの木陰にバイクを入れた。

 愛想よく手を振る婦人に送られて,中へ。
 古びた磚(煉瓦)積みのアーチ門をくぐると,庭園が目の前に広がる。昨夜の雨の名残でしっとりとした空気。まだ雫を含んだ緑。
 佇まいは,前に訪れた時と何も変わっていない。落ち着いた池庭も中の建物も。皆,薄い朝靄の中で静かに佇んでいる。風もなく,翡翠色の池の水面も,さざ波一つ見えない。
 元々この帝陵は,トゥドゥック帝の生前には離宮「謙宮(Khiêm Cung)」として造営されたものだという。帝は好んでここに滞在したそうだ。文人だった帝の気質からすると,人工物の多い大内よりもこちらの方が好みに合ったのだろう。そして,帝は崩御後に敷地内に造営された墓所に埋葬され,ここは謙陵と改名された。なので,他の帝陵とは違って,中島を築いた庭園風の池やそれに面した船着場,釣殿風に水面に迫り出した建物などが敷地内に存在するわけだ。
 愈謙榭=池に臨んだ舟着場風の建物=の前には子供たちの集団。小学校の見学らしい。引率の先生たちが愈謙榭に降りる階段に皆並ばせたところで,僕らに「シャッターを押して」と声がかかる。明らかに外国人観光客とわかるのに,それでも気にせず頼むところがおおらかで良い。
 お安い御用とカメラを受け取り,アングルを決めるために僕は後ずさる。
 「Be careful!!」
 愈謙榭の欄干の切れ目から池に落ちるんじゃないかと心配したAnさんが叫ぶ。その辺は注意深いから大丈夫だよ。片足を池の上に泳がせて,何とかアングル決定。よし。
 「Một, hai, ba!(1, 2, 3!)」......カシャッ。
 カメラを受け取って,若い女性教師たちは笑顔で挨拶しながら,帝の奥津城の方へと子供たちを追い立てて行った。

 愈謙榭に正対する階段。その上にはこの陵,というよりは離宮の主要な建物がある。
 階段の上の二層門をくぐると,石敷きの方形の庭とその正面には,大内と同じく橙色の瓦を葺いた重檐(軒を二重にした格の高い様式)横長の建物,メインとなる和謙殿だ。帝滞在中には,大内と同じようにここで儀礼が行われたのかもしれない。
 前回は碑文解読に気をとられてしまっていたので注意して見ていなかったが,ここには帝の使用した遺品などが展示されている。インテリアとして飾られた金樹玉果の鉢植え,御製の詩を書き込んだ漆絵の額,フランスから贈られた置時計,靴。
 「He was very short, so his shoes were small.」
 確かに,女物かと思うくらい小さい。前庭に立ち並ぶ文武官の石像の背丈が低いのも,帝が病弱で背が低かったのでそれに合わせたためということらしい。


トゥドゥック帝陵見取図
 1が入口の門,4が愈謙榭,7が和謙殿。

トゥドゥック帝陵池庭
門を入ったところから

トゥドゥック帝陵愈謙榭
愈謙榭

トゥドゥック帝陵池面
愈謙榭から身を乗り出して撮った池面
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2016/12/19(月) 12:00:13|
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No.5850:古都フエ(Huế)散策3

 昨夜は部屋の外のテラスを叩く雨音に雷まで鳴り始めて,どうなることやらと思いなら眠りに就いた。朝6時。目覚ましもかけないのに起きてしまったのは,やはり天気が気になってたからだろうか。
 おそるおそるカーテンを開けると,晴れとまではいかないものの,空は明るい。よかった。目の前に見えるフォーンザン(Hương Giang)のテニスコートでは,もうスパコーンスパコーンッといい音が響く。みんな地元のヴェトナム人らしい。優雅なことだ。
 身支度を整えて下に降りる。まもなくガイドがやってきた。名前はLuu Van An。名前のAnはダラット(Đà Lạt)で世話になったガイドと奇しくも同じだ。しっかりした顔つきの中年男で,かなり知的な雰囲気がある。
 挨拶を済ませて,まずはカブに跨がって,手近のカフェへ。練乳たっぷりのヴェトナムコーヒー・カフェスア(Cà phê sữa)を朝飯代わりに。ここは新市街の東の端で,住宅地が近い。学校へ通う生徒や子供たちの自転車が行き交うのを,甘みたっぷりの濃いコーヒーをちびちびと舐めながら眺めていたら。
 「Well, where do You wnat to visit?」・・・そうだった。行きたいところを手帳に書いて示す。
 「トゥドゥック(嗣徳)帝陵(Lăn Thự Đức),ティエウチ(紹治)帝陵(Lăn Thiệu Trị),ホンチェン殿(Điện Hòn Chén)
  バオクォック(報国)寺(Chùa Bảo Quốc),ディエウデ(妙諦)寺(Chùa Điệu Để),扶光郡王邸宅,安定宮(Cung An Định)」
 ふーむ,としばらく眺めている。頭の中で効率的なルートを組み立てていたのだろう。おもむろにペンをとって順番を書き込んだ。
 「O.K.?」
 地図上のどこにどのスポットがあるのか殆どわからない状態なのだから,全部見られれば僕に異存はない。では,出発だ。

 カブは元気よく走り出し,後戻りしてチャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を渡った。新旧二つの市街を結ぶ橋は,今日も混雑している。何しろ,橋はこれを入れて3つしかないのだから。
 ドンバ(Đông Ba)市場の傍の橋で運河を渡り,昨日歩いた通りの対岸,バクダン(Bạc Đằng, 白籐)通りに入った。そろそろディエウデ寺かな?と思ったあたりで,なぜかカブは横町に入った。建て込んだ住宅地。その一角にある自宅へ寄道だ。
 気の弱そうな犬が一声吠えて引っ込む。その頭をAnさんが撫でて,僕を中へ招じ入れた。セメントできれいに塗り上げた床面。ソックス越しにひんやりとして気持ちいい。立派に飾られた仏壇を眺めている僕に,Anさんがそれじゃ行こうか,と促す。よく見ると,日中の眩しさから目を保護するためのサングラスが胸ポケットに刺さっていた。つまり,自宅に忘れ物を取りに帰った,というわけだ。

 ディエウデ寺はそこからすぐ近く,乗ったかと思ったらもう下りることに。少しだけ開いた門。本当にに入っていいのか?と躊躇するような佇まい。
 中は庭だった。一杯に茂った植え込みの木々。その間をまっすぐに土の道が本堂に通じている。その本堂はしっかり閉ざされていて,見学はできなかった。でも雰囲気はいい。Anさんによると,本堂の扉は朝晩2回の勤行の時にだけ開かれるとのこと。
 本堂から振り返って眺めた庭。昨日からの雨でしっとりした空気に包まれて,静謐そのもの。実際,丈の高い木立に囲まれているから,寺外の物音はすべてシャットアウトされている。いかにも古刹らしい(もっとも寺ができたのは19世紀,阮朝になってからだが)。近所の学生が,その静けさの中で教科書を広げていた。図書館などで人口物に囲まれて勉強するよりも,ずっと落ち着いてできるに違いない。
 どこかから澄んだ甘い匂いが漂ってきた。風を頼りに主を探したら,まっ白なクチナシ。艶やかな葉と柔らかな花。
 妙諦寺(漢字ではこう書く)は阮朝の国寺の一つだったそうだ。位置は大内の真東。東方鎮護の役目を持っていただろうか。

 僕を乗せたバイクは,南下してドンバ市場の前まで戻った。新市街へ向かうのだとばかり思っていたら,市場の前で右折,昨日シクロで通った運河に面した,片側商店街風の小さなフィントゥックカン(Huỳnh Thúc Kháng)通りへ。
 花を一杯にディスプレイした店の前でAnさんは僕に降りるように言った。こんなところに何があるんだ?と当惑していると,Anさんは中に入って店の人たちと話し始めた。
 「This is my frined's shop.」
 ああ,なるほど。で,ここで何を?・・・と聞く前に答えが出てきた。丼から湯気を立てるフエ名物の麺・ブンボーフエ(Bún bò huế)だ。家族ともどもソファに座って啜り込む。ピリッと舌を刺激する辛味がほどよくて,美味しくいただいた。
 落ち着いて店の中を見回すと,花屋だとばかり思っていたら,金細工などのディスプレイもあったりして,ジュエリーの類いも扱ってるようだ。どうやら縁起物というか,儀礼用の品々を販売する店らしい。
 東向きの店内,朝陽が柔らかく射し込んで,ほんわりと温かい。しばらくテレビのサッカー放送を眺めながら,食後の一服。主人とAnさんは,試合の展開にけっこう盛り上がっていた。ヴェトナム人もサッカーは大好きなのだ。きりのいいところでお礼を言って,ということはつまりただ喰いだったわけだが,再びカブ上の人に。



フエ:ディエウデ(妙諦)寺
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2016/11/29(火) 11:15:18|
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No.5783:古都フエ(Huế)散策2

 店の前で深呼吸を繰り返して。では,入ろう。
 店内には,壁周りを利用してぎっしりと布地がディスプレイされている。見て廻るだけで気分が浮き浮きしてくる・・・全部女性用だから,勿論それで注文はしないが。ミシンや裁縫台の置かれた一角,というよりそれを囲んで布地が飾り付けられてるという感じだが,そこではお針子たちが忙しく断裁や縫製に勤しんでいる。
 一渡り眺め終わったところで,若い女性店員に男性用アオザイ・アオテー(Áo the)を作りたい旨を伝える。ではまずサイズを,と例によって10数ヶ所をメジャーで計られる。首周り,腕の長さ,肩幅,胸囲,脚の長さ・・・これでも,女性に比べれば,計測箇所は半分以下なのだ。女性用がどれだけ体にフィットして作られるか想像できようというもの。
 さてどんな布地にしようかと,割と広めの店内を物色して回る。ふと,店のまん中に据えてあるガラスケースに目が止まった。この中にも布地が置いてある。近づいてよく見ると,綾織の豪奢な雰囲気の漂う絹のようだ。そこらへんにある凡百の中華柄ではなく,金糸なども使って細かく鳳凰や龍が表現されている。これはなかなか良さそうだ。ケースの中に入っているくらいだから,いい布地に違いない。
 早速出してもらい興奮気味に手に取った布地は,厚みもあり目が詰んでいてずっしりと重い。こんな生地で作ったら,さぞかし風格の漂うものになるだろう。色は・・・落ち着いた色合いの素晴らしい皇帝風の黄色も捨てがたいが,ここは緑にしよう。この色のものはまだ持っていない。
 肝心の仕立て込みの値段は?と尋ねると,共布のカン(輪状に布地をぐるぐる巻きにしたシャンプーハット状の被り物)と白いクァン(Quần パンタロン状の長ズボン)込みで55$。店主にディスカウントを申し込むも,「ここは定価販売!」とヴェトナムらしからぬ回答。それだけ自信があってのことだろう。無理押しはせず,妥結。

 出来上がりの日を確認して支払いを済ませると,もう外は宵闇を通り越して暗くなっていた。空気は相も変わらず蒸し暑い。サウナに入ったような感覚。これまで,殆ど同じ3月頃にに三回も訪ねているのに,三回とも気候が違う(涼しい雨,気温高めの晴,そしてこの蒸し暑さ)というのは,この時季が季節の変わり目で不安定ということなのか? それともフエの守り神様にでも翻弄されているのか。
 城門をくぐって,先程迷ったフィントゥックカン(Huỳnh Thúc Kháng)通りを南下。明るく照明された小公園では遊具ではしゃぐ子供たちと,それを見守る家族。ほのぼのとした空気。
 ちょうどシクロが通りかかったので,呼び止めて新市街まで戻ってもらうことにした。このまま歩いていたら,宿に帰りつくまでにオーバーヒートしてしまいそうだった。とりあえずチャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を渡ったところで降りる。5,000ドン。
 往路では気づかなかったが,レロイ(Lê Lội)通りとの角に立派なホテルの姿が見えた。かなり広い敷地だが,前に来た時はなかった筈・・・ガイドブックを見ると,ずっと工事していたモリン・ホテルが無事にオープンしたらしい。確か,以前は格安な使いやすいホテルとして紹介されていたと思うが,とても高級な感じになってしまっている。庶民的な河沿いの公園,人と車とバイクの行き交う新市街のメインの通り,阮朝時代の国学を改めたフエ師範大学の静かな佇まいの中で,そこだけ空気が違う。何年か経てば,馴染んでくるのだろうが。

 湿気の多いそよ風に吹かれながら,河岸公園側の歩道をのんびり歩いていると,ぽつりと雨粒が落ちた。・・・夕飯をどうしようか。レロイ通りには食堂のような店が殆どない。とうとう宿のすぐ近く,高級ホテル・フォーンザン(Hương Giang)のところまで来てしまった。雨さえ降っていなければ,この先のダップダー(Cầu Đập Đá)橋を渡って,向こうの庶民町の食堂を開拓してみるところだが・・・。
 仕方がないので,橋の手前の横町に入ったみた。と,すぐそこでお粥屋が店開きをしている。軒が低めの,地元の人たちが小腹を満たしにちょいと寄るような小さな店だ。早速首を突っ込んで何のお粥があるのか?と尋ねても,英語が通じない。外国人観光客が立ち寄るような店ではないから,当たり前といえば当たり前だが。
 「Chao vịt?」
 大きな鍋をかき回してる女将に片言のヴェトナム語で尋ねたところ,大きく首を振って申し訳なさそうに「Cháo gà.」。
 ホイアンの路上粥屋で食べて気に入って以来,ヴェトナムの粥=アヒル肉と決めつけていたのだが,この際鶏でもいいだろう。雨も強くなってきたから,これ以上夜道をうろつきたくない。
 突然中に入ってきた外国人に,わいわい言いながら粥を食べていた男たちがお喋りをやめて,上から下まで僕を観察。田舎や庶民的な店ではよくあることで,既に慣れていたので気にしない。
 「口に合うのかしら」と言った風のぎこちない微笑みと共に,女将がテーブルに置いてくれた鶏粥。アヒル粥と同じように,脂が浮いていて美味しそうだ。唐辛子の細かい粉がパパッと振りかけられているのが,フエ風と言ったところか。
 アルミの蓮華もどきのスプーンで湯気の立つ粥を掬って,ふうふう。猫舌の僕には,この熱さは無理だ。適温になったところで口へ・・・砕けた柔らかい米と鶏骨から出た出汁,ほんのりとした塩味に,ちょっとだけ唐辛子のアクセント。なかなかいける。肉は,エキスを汁に出してぱさっとした感じになっていたが。男たちの食べかけのと比べて,肉の量が多いように見えたのは,外国人向けサービスといったところか。
 丼たっぷりに入っていて,それなりに腹も満ちて,それでたったの3,000ドン(30円弱)。

 さて,宿に帰ろう。粥は消化がいいから,寝るまでには小腹が空いてしまう筈。途中で見つけた屋台のバインバオ(Bánh Bao肉饅)2個の包みを抱えてびしょ濡れで戻った僕に,レセプショニストはガイドが捕まったと笑顔で教えてくれた。1日25$で好きな所を廻ってくれるそうだ。
 では,部屋でガイドブックを見ながら,行きたい,見たい場所をピックアップするとしよう。


フエのアオザイテーラー
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2016/10/24(月) 10:55:02|
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プロフィール

Ikuno Hiroshi

Author:Ikuno Hiroshi
Self
↑現在  ↓過去の一時期
755860.jpg
広島から沖縄へ移住した100%ゲイ。
年齢不詳に見えるが五十路を越えた。
ハッテンバで出逢った10歳下の相方と
・・・何年目だっけ? でも,いつも
いちゃいちゃ熱々バカッポー実践中。

LC630以来の筋金入り林檎使い。
Power Macintosh 7300
→ iMac(Blueberry)
→ eMac
→ iMac (20-inch, Early 2009)
虎→雪豹→獅子丸
→山獅子→寄席見て
→得甲比丹
iPad miniは2017.06.08に退役,
以後はiPad mini4(Gold)に。
更に,iPhone6!
ネットはNiftyServe以来の古参兵。

ついでに典型的なB型的性格。
パタリロのギャグは
ほぼ暗記しているらしい。
猫・犬複本位制だったが,
現在は,猫本位制に移行。
芸能・スポーツ以外の雑学王(笑)

HIV関連

財団法人 エイズ予防財団

HIV検査・相談マップ

読書中の本(2017.Oct.19~)

honto
足利義満 公武に君臨した室町将軍

ISBN :978-4-12-102179-3
小川 剛生著
中公新書(972円)

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