The 3rd. ..........なべてこの世はこともなし

 沖縄移住17年のゲイが垂れ流す身辺雑記,気になる記事,ノロケ,過去旅話。

No.6123:まさか,ヌキにヌイてぐずぐずになってしまったモノを出して喜ばれてるわけじゃああるまい?と落語好きの血が騒ぐ件(笑)

 ヴェトナムで過去5回,根室産のサンマを普及させるためのフェアを開いたところ,なかなか好評で,塩焼きが人気あるんだそーです。って,サンマ輸出してたんだ,知らなかったー(苦笑)
 南部のホーチミン(サイゴン)は,経済的に活気があるし,割と新し物好きなところもあるから,受け入れやすかったのかな。刺身で出せるほど新鮮なものを送るとなると,ちょっとお高くなりそうで,富裕層向けということになるんだろうけど。
 通常メニューとして出している店もあるそーで,日本食が懐かしい駐在の日本人にも嬉しいところでしょうね。
 記事の画像では,オシャレなレストランで出されてるようだけど,あの食欲をそそる焼く時の煙とか匂いは・・・期待できそうにないな(笑)


毎日新聞記事:根室のサンマ 「塩焼きが好き」 輸出先のベトナムで人気



 しかし・・・。
 「根室のサンマ」って,語呂が「目黒の秋刀魚」と似てるな。
 まさか,殿様に出したみたいに,小骨も脂も徹底的に抜いて極端にあっさりしちまったものを出して喜ばれてるわけじゃ,ないよね?(笑)

 『だが,留太夫,座っていてはうもうない。醤油樽をもて!』
 (そりゃ「ねぎまの殿様」だがや・・・)



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  1. 2017/03/27(月) 00:47:47|
  2. 雑記(越南)
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No.6072:古都フエ(Huế)散策7

 バイクを置いた休憩所に戻った。店主の中年婦人がにこにこ椅子を勧めてくれる。何を飲もうかな・・・覗き込んだクーラーボックスの中には,各種取り揃えた色とりどりの缶ジュース。そうだな,マンゴーのにしよう。
 歩いてすこし火照った身体に,大きな木陰のそよ風はとても気持ちがいい。暑かったろう?と店主が布張りの大きな扇子を貸してくれた。ふぁさっと扇ぐとと涼しさ倍増。
 中国製の甘いネクター状のジュースをストローで一気に吸い上げてしまったのを見て,「もう1本どう?」とボックスの蓋を開けるが・・・そんなに飲めるものでもない。あっさりとしたお茶系のものでもあれば,と目で探したが,どうやらないようだ。
 ぼんやりと眺めていると,次から次へと観光客がやってくる。僕のようにバイクガイドに連れて来られるのもいれば,バスで乗りつける団体もいる。中には,自転車に乗って自力でやって来る強者も(これは欧米系に多い。体力が違うんだろう,きっと)。
 そういえば,初めてここを訪れた時に門前に停まっていた団体バスは,日本から輸入された中古の京都市営バスだったっけ。ハンドルの位置だけをヴェトナム用に左右逆に付け替えてあるのに,あとは京都で走っていたままの外装(方向幕も!)だったので,驚いたものだ。
 15分くらい休んだろうか。じゃそろそろ,とAnさんはバイクを引っ張り出し,手を振る店主に見送られてトゥドゥック帝陵を後にした。

 家々の間の小道を抜けて,何だか小高い場所に出た。草と潅木,それにコンクリートの塊が転がってる殺風景なスロープ。バイクはそこへ入り込んだ。小石が多くてお尻が突き上げられる。シートのクッションが役に立たない。
 Anさんが降りるように促す。ここはどこだ?と表情に出し,質問もしたが,Anさんは答えずにずんずん先へ歩いていった。仕方なく後について行ったら,フォン河(Hương Giang,香江)を見下ろす高台の突端に。
 「Here is the army position of America and French.」
 陣地って・・・もしかしてヴェトナム戦争の時の? よくよく見れば,このコンクリートの塊はトーチカの形をしている。この塊に開いた穴から,高射砲の砲身などが突き出ていたわけか?
 おそるおそる端っこにまで行ってみた。ゆるやかに蛇行するフォン河の広い流れが左右に。位置が高いから対岸も丸見え。これは確かに素人目にも根拠地として最適な場所だ。テト攻勢の時などはここにも砲弾が降り注いだのだろう。

 過去は過去として,ここは眺めがとてもいい。ちょうどフォン河が曲がるところに位置していて,左手にはホンチェン殿(Điện Hòn Chén)からミンマン(Minh Mạng,明命)帝陵あたり,右手は大彎曲部あたりまでパノラマ状態。眼下には,飾り立てた観光ボートが澪を引いて行き交っている。
 向こう岸には緑の畠だか田と林,それにオレンジ色の屋根をかぶる瀟洒な民家。ちょっと絵になる風景だ。
 どこかから子供たちがやってきた。別に物売りなどではない。トーチカを使って隠れん坊みたいなことをやって遊んでいるようだ。きゃあきゃあと楽しげな声が風に乗って耳に届く。・・・ずぅっとここで遊べれば,いいね。


フォン河の高台から1
上流側を望む。右手,岩礁のあたりの岸,木々の向こうにホンチェン殿がある。遠くの岩肌の見えるあたりの先に,明命帝陵。

フォン河の高台から2
下流側。ずーっと先が大湾曲部。その先にフエ市街がある
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/03/01(水) 00:45:23|
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No.5997:古都フエ(Huế)散策6

 トゥドゥック(Thự Đức,嗣徳)帝の奥津城を出て,脇から裏手へ。池に流れ込む渓流もどきを石の堰で渡った所に,もう一つの奥津城があった。ここは前回には来ていない。帝のものを二回り以上小さくしたような広さだ。
 Anさんは,皇后の墓所だ,と説明してくれた。確かに,入口から内部が直接見えないように造られた排障のモザイクも龍ではなく鳳凰(中華文化圏では基本的に龍は男性,鳳凰は女性を表わすことが多い)だから,その場はそうかと納得したのだが,後でチケットの地図を確認すると「Kien Phuc's Tomb」(Kiến Phúc,建福帝廟)になっていた。
 主の詮索はともかくとして,メインの離宮施設などとは離れていて,あまり観光客も来ないせいか,ここは少々荒れ気味だった。塀が見事に壊れていたり,草むしていたり。さすがにこのあたりまでは修復の手が及びかねているらしかった。ただ,陶磁器の破片を使ったモザイクは,さすがに美しかった。
 荒れた石段や床面にプルメリアの白い花が一面に散っている。Anさんが一つ拾い上げて僕の鼻先に。ぷーんと甘い匂いが漂った。

 今,資料に当たってみたところ,やはりAnさんが正しかった。儷天英皇后の謙壽陵。


 道に戻ると,どこから現われたのか,ジュース売りの女の子たちが声をかける。Anさんは,彼女たちからは買わないように,と僕に小声で注意する。・・・バイクを置いた所の物売りの女性から買ってもらいたいからだろう。
 そこから先に進むと,これまたミニチュアな帝廟風の一郭。先程の皇后の墓所以上に荒れた雰囲気がある。周囲は樹々も茂っていて,裏山と一体化した感がある。苔むした石段の上は・・・封鎖されているようだ。
 Anさん曰く「Tomb of Tu Duc's Prince」だそうだが,病弱な帝には皇子はいなかった筈で,後継者は弟や甥だったのだが・・・。チケットの地図も「Chap Khiem Temple」とあるだけで,頼りない。中を見れば手がかりがあるかも,と思ったが,残念ながら修復工事中。トヨタ財団の援助だとか。

 資料によると,こちらがキェンフック帝(1869〜1884年)の廟だった。帝は,実子のないトゥドゥック帝の甥で養子となり,帝の崩御後,1年足らずの間に廃位,毒殺された二人の皇帝を挟んで15歳で即位。半年後に帝も権臣により毒殺された。養子になっているから,Anさんの表現は間違いではない。当時は,フランスの植民地化の圧力が相当強くなっていたこともあり,独立の陵を造らず,養父トゥドゥック帝の陵域内に陪葬されたらしい。



 庭園の草地にはプルメリアの花に混じって,動物の糞も転がっている。近くの山から鹿が出て来るからとAnさんは言っていた。
 そして池に面した釣殿「沖謙榭」の背後に出た。池を挟んで向かいには,あの愈謙榭が見える。ぐるりと一周したことになる。
 橙色の瓦葺寄棟の母屋内部は,何もない空間。今は剥げかけたり褪せたりしているが,黒漆塗りで仕上げたらしい欄間や建具の装飾は,さすがに見事。ここは帝の遊興空間だったようだ。
 池岸ぎりぎりに建てられた母屋に接続して,一段低くした屋根付きベランダ空間が池の上に迫り出す。柱と欄干だけの,吹き抜け空間。欄干の2ヶ所が切り欠かれて,木の階段が池に降りるようになっている。中部ヴェトナムの酷暑の時季,帝はここで涼みながら詩を吟じたりしていたのだろうか・・・
 そんなことを思いながら風に吹かれていると,さっきの小学生たちがやってきた。わいわいきゃあきゃあと楽しそうだ。先生たちも僕らに気づいて,にっこり。
 思いついて母屋のの入口側,舞良戸風の扉が形よく開かれている庇の廊下を撮ろうとカメラを構えた・・・ら,子供たちがひょいひょいあちこちから顔を覗かせる。鬼ごっこのようなもぐら叩きのような遊び。仕方がないなあ,と遊び終わるのを待っていたら,気づいたリーダー格の子が仲間を制して引っ込ませてくれた。Cám ơn!(感恩,ありがとう)

 池にはぽつりぽつりと蓮の花が開いている。風は向こう側のプルメリアの甘い匂いを運んでくる。夕闇の迫る中,水上に雅楽団を乗せた舟でも浮かべて,ここで楽を楽しみながら酒を嗜んだら最高だろうなあ・・・。


嗣徳定陵マップ
19が儷天英皇后謙壽陵,24が建福帝陪陵,5が沖謙榭。

儷天英皇后謙壽陵
儷天英皇后の謙壽陵

儷天英皇后の謙壽陵のモザイク
謙壽陵陵の排障モザイクは2羽の鳳凰。陶磁器やガラスを砕いた欠片を使っている。

建福帝陪陵
建福帝陪陵。現在は修復完了して,見学可能。

沖謙榭
沖謙榭の外観(前出)

沖謙榭
沖謙榭の庇部分
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/01/30(月) 10:24:34|
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No.5928:古都フエ(Huế)散策5

 和謙殿の奥には,また磚(敷瓦)を敷いた中庭空間を囲んで三方に建物。正面橙色瓦の重檐(二重軒)が良謙殿,左手寄棟が温謙堂,右手寄棟が鳴謙堂となる。
 和謙殿が離宮としての正殿なのに対して,これらはプライベートな空間となる。良謙殿がトゥドゥック(Thự Đức,嗣徳)帝の起居空間,鳴謙堂は音楽や演劇を楽しむための楽堂,温謙堂は帝の衣裳や品物を保管する場だった,とAnさんは説明してくれた。この一廓の背後と左手には,後宮や侍臣たちの起居する建物などもあったそうだ。前回案内してくれたガイドと比較しても,Anさんは歴史的な知識が豊富なようだ。僕の嗜好と一致しているのは,ありがたい。
 鳴謙堂の中は,天井に日月と星辰が描かれていたり,古びた玉座とそれに対する高舞台などが設えられていたりと,他とは違う遊興の空間になっている。帝はここで雅楽(Nhã Nhạc)も奏させたのだろうか? それとももっと俗っぽいものも楽しんでいたのだろうか。

 池沿いにぐるりと廻って帝の奥津城を訪れた。ちょうどアオザイ姿の女性が入っていくところだった。華やいだピンク色が,時を経て古び,沈んだ色合いになっている空間を明るくしてくれる。
 陵域を囲む塀は瓦が外れていたり,化粧漆喰が剥がれかけていたり。門そのものを装飾する橙色と緑色の陶板も脱落が目立つ。朝靄のまだ残る柔らかい光の中おかげか,それは荒廃をあまり感じさせなかった。これが南国らしい強烈な昼の光の下だと,どうだったろうか・・・
 碑亭の前庭,半月形の池際に植えられたプルメリアは,まだ殆ど葉が出ていないのに,まばらに花を咲かせていた。作詩を好んだという文人気質の帝の奥津城らしく,どこか詩情を感じさせる光景だった。


嗣徳帝陵案内図
8が良謙殿,9が鳴謙堂,10が温謙堂。16の部分が帝の陵域。

嗣徳帝陵の池
池と中島

嗣徳帝陵の龍浮き彫り
陵域外側の石壁に刻まれた龍

嗣徳帝陵域
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/01/02(月) 10:43:50|
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No.5894:古都フエ(Huế)散策4

 次はトゥドゥック(嗣徳)帝陵(Lăn Thự Đức)だと,走りながらAnさんが教えてくれた。チャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を渡って新市街のレロイ(Lê Lội)通りを西へ。
 フエ駅の手前でディエンビエンフー(Điện Biên Phủ 奠邊府)通りに入って南下。ヴェトナム人好みのパステルカラーに塗った家の壁。幾つかの角を曲がった頃,見覚えのある塀が左側に現われた。帝陵を守る塀だ。
 まもなく入口に着いた。前の道に生えた木陰には,パラソルを差し掛けた休憩所兼飲み物販売が幾つも店開きしている。大抵は女性だが,僕らを見て低い椅子から立ち上がって「こっちこっち」と差し招く・・・が,職業バイクガイドのAnさんには行きつけ(というより客を連れてお金を落としてもらう提携先)というものがあるわけで。
 その中の一つに近づいていくと,「来た来た」とにこにこ顔の中年婦人。人が良さそうな笑顔だ。Anさんは気安く挨拶しながら,そこの木陰にバイクを入れた。

 愛想よく手を振る婦人に送られて,中へ。
 古びた磚(煉瓦)積みのアーチ門をくぐると,庭園が目の前に広がる。昨夜の雨の名残でしっとりとした空気。まだ雫を含んだ緑。
 佇まいは,前に訪れた時と何も変わっていない。落ち着いた池庭も中の建物も。皆,薄い朝靄の中で静かに佇んでいる。風もなく,翡翠色の池の水面も,さざ波一つ見えない。
 元々この帝陵は,トゥドゥック帝の生前には離宮「謙宮(Khiêm Cung)」として造営されたものだという。帝は好んでここに滞在したそうだ。文人だった帝の気質からすると,人工物の多い大内よりもこちらの方が好みに合ったのだろう。そして,帝は崩御後に敷地内に造営された墓所に埋葬され,ここは謙陵と改名された。なので,他の帝陵とは違って,中島を築いた庭園風の池やそれに面した船着場,釣殿風に水面に迫り出した建物などが敷地内に存在するわけだ。
 愈謙榭=池に臨んだ舟着場風の建物=の前には子供たちの集団。小学校の見学らしい。引率の先生たちが愈謙榭に降りる階段に皆並ばせたところで,僕らに「シャッターを押して」と声がかかる。明らかに外国人観光客とわかるのに,それでも気にせず頼むところがおおらかで良い。
 お安い御用とカメラを受け取り,アングルを決めるために僕は後ずさる。
 「Be careful!!」
 愈謙榭の欄干の切れ目から池に落ちるんじゃないかと心配したAnさんが叫ぶ。その辺は注意深いから大丈夫だよ。片足を池の上に泳がせて,何とかアングル決定。よし。
 「Một, hai, ba!(1, 2, 3!)」......カシャッ。
 カメラを受け取って,若い女性教師たちは笑顔で挨拶しながら,帝の奥津城の方へと子供たちを追い立てて行った。

 愈謙榭に正対する階段。その上にはこの陵,というよりは離宮の主要な建物がある。
 階段の上の二層門をくぐると,石敷きの方形の庭とその正面には,大内と同じく橙色の瓦を葺いた重檐(軒を二重にした格の高い様式)横長の建物,メインとなる和謙殿だ。帝滞在中には,大内と同じようにここで儀礼が行われたのかもしれない。
 前回は碑文解読に気をとられてしまっていたので注意して見ていなかったが,ここには帝の使用した遺品などが展示されている。インテリアとして飾られた金樹玉果の鉢植え,御製の詩を書き込んだ漆絵の額,フランスから贈られた置時計,靴。
 「He was very short, so his shoes were small.」
 確かに,女物かと思うくらい小さい。前庭に立ち並ぶ文武官の石像の背丈が低いのも,帝が病弱で背が低かったのでそれに合わせたためということらしい。


トゥドゥック帝陵見取図
 1が入口の門,4が愈謙榭,7が和謙殿。

トゥドゥック帝陵池庭
門を入ったところから

トゥドゥック帝陵愈謙榭
愈謙榭

トゥドゥック帝陵池面
愈謙榭から身を乗り出して撮った池面
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2016/12/19(月) 12:00:13|
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No.5850:古都フエ(Huế)散策3

 昨夜は部屋の外のテラスを叩く雨音に雷まで鳴り始めて,どうなることやらと思いなら眠りに就いた。朝6時。目覚ましもかけないのに起きてしまったのは,やはり天気が気になってたからだろうか。
 おそるおそるカーテンを開けると,晴れとまではいかないものの,空は明るい。よかった。目の前に見えるフォーンザン(Hương Giang)のテニスコートでは,もうスパコーンスパコーンッといい音が響く。みんな地元のヴェトナム人らしい。優雅なことだ。
 身支度を整えて下に降りる。まもなくガイドがやってきた。名前はLuu Van An。名前のAnはダラット(Đà Lạt)で世話になったガイドと奇しくも同じだ。しっかりした顔つきの中年男で,かなり知的な雰囲気がある。
 挨拶を済ませて,まずはカブに跨がって,手近のカフェへ。練乳たっぷりのヴェトナムコーヒー・カフェスア(Cà phê sữa)を朝飯代わりに。ここは新市街の東の端で,住宅地が近い。学校へ通う生徒や子供たちの自転車が行き交うのを,甘みたっぷりの濃いコーヒーをちびちびと舐めながら眺めていたら。
 「Well, where do You wnat to visit?」・・・そうだった。行きたいところを手帳に書いて示す。
 「トゥドゥック(嗣徳)帝陵(Lăn Thự Đức),ティエウチ(紹治)帝陵(Lăn Thiệu Trị),ホンチェン殿(Điện Hòn Chén)
  バオクォック(報国)寺(Chùa Bảo Quốc),ディエウデ(妙諦)寺(Chùa Điệu Để),扶光郡王邸宅,安定宮(Cung An Định)」
 ふーむ,としばらく眺めている。頭の中で効率的なルートを組み立てていたのだろう。おもむろにペンをとって順番を書き込んだ。
 「O.K.?」
 地図上のどこにどのスポットがあるのか殆どわからない状態なのだから,全部見られれば僕に異存はない。では,出発だ。

 カブは元気よく走り出し,後戻りしてチャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を渡った。新旧二つの市街を結ぶ橋は,今日も混雑している。何しろ,橋はこれを入れて3つしかないのだから。
 ドンバ(Đông Ba)市場の傍の橋で運河を渡り,昨日歩いた通りの対岸,バクダン(Bạc Đằng, 白籐)通りに入った。そろそろディエウデ寺かな?と思ったあたりで,なぜかカブは横町に入った。建て込んだ住宅地。その一角にある自宅へ寄道だ。
 気の弱そうな犬が一声吠えて引っ込む。その頭をAnさんが撫でて,僕を中へ招じ入れた。セメントできれいに塗り上げた床面。ソックス越しにひんやりとして気持ちいい。立派に飾られた仏壇を眺めている僕に,Anさんがそれじゃ行こうか,と促す。よく見ると,日中の眩しさから目を保護するためのサングラスが胸ポケットに刺さっていた。つまり,自宅に忘れ物を取りに帰った,というわけだ。

 ディエウデ寺はそこからすぐ近く,乗ったかと思ったらもう下りることに。少しだけ開いた門。本当にに入っていいのか?と躊躇するような佇まい。
 中は庭だった。一杯に茂った植え込みの木々。その間をまっすぐに土の道が本堂に通じている。その本堂はしっかり閉ざされていて,見学はできなかった。でも雰囲気はいい。Anさんによると,本堂の扉は朝晩2回の勤行の時にだけ開かれるとのこと。
 本堂から振り返って眺めた庭。昨日からの雨でしっとりした空気に包まれて,静謐そのもの。実際,丈の高い木立に囲まれているから,寺外の物音はすべてシャットアウトされている。いかにも古刹らしい(もっとも寺ができたのは19世紀,阮朝になってからだが)。近所の学生が,その静けさの中で教科書を広げていた。図書館などで人口物に囲まれて勉強するよりも,ずっと落ち着いてできるに違いない。
 どこかから澄んだ甘い匂いが漂ってきた。風を頼りに主を探したら,まっ白なクチナシ。艶やかな葉と柔らかな花。
 妙諦寺(漢字ではこう書く)は阮朝の国寺の一つだったそうだ。位置は大内の真東。東方鎮護の役目を持っていただろうか。

 僕を乗せたバイクは,南下してドンバ市場の前まで戻った。新市街へ向かうのだとばかり思っていたら,市場の前で右折,昨日シクロで通った運河に面した,片側商店街風の小さなフィントゥックカン(Huỳnh Thúc Kháng)通りへ。
 花を一杯にディスプレイした店の前でAnさんは僕に降りるように言った。こんなところに何があるんだ?と当惑していると,Anさんは中に入って店の人たちと話し始めた。
 「This is my frined's shop.」
 ああ,なるほど。で,ここで何を?・・・と聞く前に答えが出てきた。丼から湯気を立てるフエ名物の麺・ブンボーフエ(Bún bò huế)だ。家族ともどもソファに座って啜り込む。ピリッと舌を刺激する辛味がほどよくて,美味しくいただいた。
 落ち着いて店の中を見回すと,花屋だとばかり思っていたら,金細工などのディスプレイもあったりして,ジュエリーの類いも扱ってるようだ。どうやら縁起物というか,儀礼用の品々を販売する店らしい。
 東向きの店内,朝陽が柔らかく射し込んで,ほんわりと温かい。しばらくテレビのサッカー放送を眺めながら,食後の一服。主人とAnさんは,試合の展開にけっこう盛り上がっていた。ヴェトナム人もサッカーは大好きなのだ。きりのいいところでお礼を言って,ということはつまりただ喰いだったわけだが,再びカブ上の人に。



フエ:ディエウデ(妙諦)寺
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2016/11/29(火) 11:15:18|
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No.5783:古都フエ(Huế)散策2

 店の前で深呼吸を繰り返して。では,入ろう。
 店内には,壁周りを利用してぎっしりと布地がディスプレイされている。見て廻るだけで気分が浮き浮きしてくる・・・全部女性用だから,勿論それで注文はしないが。ミシンや裁縫台の置かれた一角,というよりそれを囲んで布地が飾り付けられてるという感じだが,そこではお針子たちが忙しく断裁や縫製に勤しんでいる。
 一渡り眺め終わったところで,若い女性店員に男性用アオザイ・アオテー(Áo the)を作りたい旨を伝える。ではまずサイズを,と例によって10数ヶ所をメジャーで計られる。首周り,腕の長さ,肩幅,胸囲,脚の長さ・・・これでも,女性に比べれば,計測箇所は半分以下なのだ。女性用がどれだけ体にフィットして作られるか想像できようというもの。
 さてどんな布地にしようかと,割と広めの店内を物色して回る。ふと,店のまん中に据えてあるガラスケースに目が止まった。この中にも布地が置いてある。近づいてよく見ると,綾織の豪奢な雰囲気の漂う絹のようだ。そこらへんにある凡百の中華柄ではなく,金糸なども使って細かく鳳凰や龍が表現されている。これはなかなか良さそうだ。ケースの中に入っているくらいだから,いい布地に違いない。
 早速出してもらい興奮気味に手に取った布地は,厚みもあり目が詰んでいてずっしりと重い。こんな生地で作ったら,さぞかし風格の漂うものになるだろう。色は・・・落ち着いた色合いの素晴らしい皇帝風の黄色も捨てがたいが,ここは緑にしよう。この色のものはまだ持っていない。
 肝心の仕立て込みの値段は?と尋ねると,共布のカン(輪状に布地をぐるぐる巻きにしたシャンプーハット状の被り物)と白いクァン(Quần パンタロン状の長ズボン)込みで55$。店主にディスカウントを申し込むも,「ここは定価販売!」とヴェトナムらしからぬ回答。それだけ自信があってのことだろう。無理押しはせず,妥結。

 出来上がりの日を確認して支払いを済ませると,もう外は宵闇を通り越して暗くなっていた。空気は相も変わらず蒸し暑い。サウナに入ったような感覚。これまで,殆ど同じ3月頃にに三回も訪ねているのに,三回とも気候が違う(涼しい雨,気温高めの晴,そしてこの蒸し暑さ)というのは,この時季が季節の変わり目で不安定ということなのか? それともフエの守り神様にでも翻弄されているのか。
 城門をくぐって,先程迷ったフィントゥックカン(Huỳnh Thúc Kháng)通りを南下。明るく照明された小公園では遊具ではしゃぐ子供たちと,それを見守る家族。ほのぼのとした空気。
 ちょうどシクロが通りかかったので,呼び止めて新市街まで戻ってもらうことにした。このまま歩いていたら,宿に帰りつくまでにオーバーヒートしてしまいそうだった。とりあえずチャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を渡ったところで降りる。5,000ドン。
 往路では気づかなかったが,レロイ(Lê Lội)通りとの角に立派なホテルの姿が見えた。かなり広い敷地だが,前に来た時はなかった筈・・・ガイドブックを見ると,ずっと工事していたモリン・ホテルが無事にオープンしたらしい。確か,以前は格安な使いやすいホテルとして紹介されていたと思うが,とても高級な感じになってしまっている。庶民的な河沿いの公園,人と車とバイクの行き交う新市街のメインの通り,阮朝時代の国学を改めたフエ師範大学の静かな佇まいの中で,そこだけ空気が違う。何年か経てば,馴染んでくるのだろうが。

 湿気の多いそよ風に吹かれながら,河岸公園側の歩道をのんびり歩いていると,ぽつりと雨粒が落ちた。・・・夕飯をどうしようか。レロイ通りには食堂のような店が殆どない。とうとう宿のすぐ近く,高級ホテル・フォーンザン(Hương Giang)のところまで来てしまった。雨さえ降っていなければ,この先のダップダー(Cầu Đập Đá)橋を渡って,向こうの庶民町の食堂を開拓してみるところだが・・・。
 仕方がないので,橋の手前の横町に入ったみた。と,すぐそこでお粥屋が店開きをしている。軒が低めの,地元の人たちが小腹を満たしにちょいと寄るような小さな店だ。早速首を突っ込んで何のお粥があるのか?と尋ねても,英語が通じない。外国人観光客が立ち寄るような店ではないから,当たり前といえば当たり前だが。
 「Chao vịt?」
 大きな鍋をかき回してる女将に片言のヴェトナム語で尋ねたところ,大きく首を振って申し訳なさそうに「Cháo gà.」。
 ホイアンの路上粥屋で食べて気に入って以来,ヴェトナムの粥=アヒル肉と決めつけていたのだが,この際鶏でもいいだろう。雨も強くなってきたから,これ以上夜道をうろつきたくない。
 突然中に入ってきた外国人に,わいわい言いながら粥を食べていた男たちがお喋りをやめて,上から下まで僕を観察。田舎や庶民的な店ではよくあることで,既に慣れていたので気にしない。
 「口に合うのかしら」と言った風のぎこちない微笑みと共に,女将がテーブルに置いてくれた鶏粥。アヒル粥と同じように,脂が浮いていて美味しそうだ。唐辛子の細かい粉がパパッと振りかけられているのが,フエ風と言ったところか。
 アルミの蓮華もどきのスプーンで湯気の立つ粥を掬って,ふうふう。猫舌の僕には,この熱さは無理だ。適温になったところで口へ・・・砕けた柔らかい米と鶏骨から出た出汁,ほんのりとした塩味に,ちょっとだけ唐辛子のアクセント。なかなかいける。肉は,エキスを汁に出してぱさっとした感じになっていたが。男たちの食べかけのと比べて,肉の量が多いように見えたのは,外国人向けサービスといったところか。
 丼たっぷりに入っていて,それなりに腹も満ちて,それでたったの3,000ドン(30円弱)。

 さて,宿に帰ろう。粥は消化がいいから,寝るまでには小腹が空いてしまう筈。途中で見つけた屋台のバインバオ(Bánh Bao肉饅)2個の包みを抱えてびしょ濡れで戻った僕に,レセプショニストはガイドが捕まったと笑顔で教えてくれた。1日25$で好きな所を廻ってくれるそうだ。
 では,部屋でガイドブックを見ながら,行きたい,見たい場所をピックアップするとしよう。


フエのアオザイテーラー
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2016/10/24(月) 10:55:02|
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No.5713:古都フエ(Huế)散策1

 さて。
 レセプションの若い女性に,明日郊外の帝廟と寺を廻りたいのだが,と相談を持ちかける。
 「We know a good guide. Please wait.」
 バイクの後ろに乗せて案内してくれるガイドだそうだ。早速その人の家に電話をかけるが・・・今日はまだ仕事から帰っていないとか。
 「O.K. I take a phone, and make a report the result.」
 では,待っていても仕方がないから,外へ出るとしよう。目的地は,ある。フォン河(Hương Giang, 香江)を渡った向こう側の旧市街にあるという,アオザイ・テーラーのChi。以前に,サイゴンのテーラーで何着か作ったことはあるのだが,最後の王朝のお膝元のスタイルのものも欲しかったのだ。
 アオザイ(Áo dài)と言っても正確には男性用なので,アオテー(Áo the,最近ではアオザイナム Áo dài namとも呼ばれているらしい)と呼ぶべきだが・・・。ちなみに,身体の各部を徹底的に計測して完全にフィットさせて作る女性用とは異なり,男性用はあくまでもゆったりと作られる。

 フエも今回で3度目になる。が,Chiがある旧市街の方はダイノイ(Đại Nội 大内,王宮地区)以外は,市場に足を踏み入れただけだった。せっかくだから歩いて街の雰囲気を楽しもう。
 ・・・とはいうものの,えらく蒸し暑い。3月は乾季に入っているし,気温もまだ30℃にはならないのが普通だが。気がついたら空は鉛色の雲に覆われて,妙に湿度が高い。フォン河沿いのレロイ(Lê Lội)通り,少しは風が通るかと思いきや,まったくの無風状態。チャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を渡る頃には,もう汗がぽたぽたと垂れてきた。
 渡り終えた頃に,額にぽつっと来た。天気はこれから悪くなるのか? 明日,雨の中をバイクの後ろに乗って名所を廻るのは,あまり嬉しい話ではないし,泥道が心配だ。初めて訪れた時も雨続きで,この時は乗用車で廻ったが,郊外はいつスタックしてもおかしくないような深い轍が刻まれた泥道が多かったのを思い出す・・・とは言うものの,そこはあまりくよくよしない性格,すぐに忘れて街観察にひたる。

 「地○の歩き方」を片手に,賑やかしいドンバ(Đông Ba)市場を過ぎた。前回,ここを冷やかしていたら,老女の売り子から絞りたての砂糖黍ジュースを売りつけられたな(とてもおいしかった)。でも,今日は割愛。
 突き当たった橋の手前,フィントゥックカン(Huỳnh Thúc Kháng)通りを運河に沿って北上する。正確には運河ではなく大内を守る一番外側の濠だが,今では荷物を積んだ船が行き交っている。地図で見ると,東側で蛇行するフォン河をショートカットして繋いだ形になっているところを見ると,これはもしかしたら阮朝時代からダイノイへの物流にも使われていたのだろうか?
 水は・・・泥水のように濁っている。岸辺に舫った艀のような船から,子供たちが盛大な水音を立てて飛び込む。泳ぐのか?いや,立ち上がって体を洗い始めた。石鹸を使ってはいるが,この水できれいになるのか? ホイアンのトゥボン河でも同じ光景を見たが,あそこはこんな人家の密集した場所ではなかったから納得できたのだが。
 右手は開けた川面,そしてその前方に運河を渡る高架橋が見えてきた。自転車や人が,夕暮れの曇り空にシルエットになって行き来する。・・・地図によればこの道を左折した辺りの左側,となっているが。
 ない。1ブロックをぐるりと歩き回っても,テーラーらしき店は存在しない。おかしいな。暗くなってきたから,うっかり者の僕でも明るく照らす店の灯ですぐに見つけられる筈だが。ああ,小さな公園があった。薄暗い中で,それでもまだ子供たちが貧弱な遊具で遊びまわっているのが微笑ましい・・・が,今はそんなことはどうでもいい。
 しばらく周辺を右往左往して,はたと気がついた。これはもしかして・・・。バッグ代わりに持ち歩いてるカメラバッグの中から「個人○行」をがさごそと取り出して,街灯の下で開く。Chiは幸い両方のガイドブックで取り上げているのだ。
 ああ,やはりそうだった。地図の位置が全然違っている。「個人○行」の地図では「地○の歩き方」よりも大内側に印がついている。
 家路を急ぐ人や自転車,バイクで混み合う橋で内側の濠を渡って,城壁に開けられた狭い門をくぐる。地図に従い直進。そしてその角にまばゆく輝く蛍光灯,ウィンドウに並ぶ色とりどりの生地と華やかなアオザイ・・・ここにあるじゃないか。
 以前に訪れた北部のサパや,南部のサイゴンでも感じていたが,「地○の歩き方」はこと地図に関しては当てにならないところがあると再認識(これは当時の話。現在は改善されていると思う)。
 蒸し暑さで高い不快指数のせいもあり,心の中で思わず毒づいてしまったが,これから由緒正しい(?)アオザイを仕立てるのだ。気を落ち着けねば。


Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2016/09/21(水) 12:02:03|
  2. フエ(越南)
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No.5692:次の瞬間,

 ヴェトナム戦争の最末期,サイゴン陥落(解放)前日に,国外へ脱出するためビル屋上のヘリコプターに乗り込もうと足場を登っていく群衆の有名な写真(ヒュー・ファネス氏撮影)がありますが。
 このほど,ヴェトナムで出版された「サイゴンの150年」という写真集に載せられた次の瞬間(足場が崩れて人々が宙に舞う図)の写真が,実は最近ヴェトナム人デザイナーが冗談で修整捏造したものだったことが判明したそーです。
 社外の編集担当者が,ネットで見つけて使っちゃったそーな。勿論,写真集は回収。


時事通信(AFP)記事:終戦前日,群衆の足場崩壊?=修整写真掲載の本回収-ベトナム

「その次の瞬間」



 よく見ると,アメリカ人将校らしい人物が足場を蹴り倒して,群衆がこれ以上ヘリコプターに近寄らないようにした構図になってますが・・・この人物だけ微妙にくっきりしていて,不自然だな。というか,なんでヘリコプターの横の人物たちはマントをまとってるの?(苦笑)。人が頭上に落ちてくるというのに,下に並ぶ人々が何の反応も見せていないのも,妙。よく見たら気がつきそうなものだけどねえ。
 ま,サイゴン脱出に関する有名な画像では,殺到するヴェトナム人を排除しようと殴りつけるアメリカ人の図ってのがあるから,「あり得る」と思い込んじゃったのかな?



 「サイゴン陥落」でグーグル画像検索すると,色々と出てきますよ。・・・ショッキングなのもあるから(というより多いから),そーゆーのが苦手な人はお気をつけあれと一応言っておこう(笑)



  1. 2016/09/12(月) 11:03:56|
  2. 雑記(越南)
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No.5621:ダナンに進出ですか

 アップル社が,ヴェトナム中部の都市ダナンにデータセンターや開発拠点を整備する計画を進めているそーです。
 ヴェトナムはまだまだ人権費も安いし,教育程度も割と高いからなあ。人口も増加方向,ITもこれから伸び代が期待できる上に,今では中国ほどにも対立的じゃなくなってるから,悪くない選択だなと(そういや,中国での「IPHONE」の商標登録訴訟で,アップルは負けたそうな)。
 ヴェトナムにとっても,中部への外資誘致で南北に細長い国土の均衡発展を図れるし。軌道に乗れば,人材育成,税収入も期待できるし。もしかしたら,政府の方でダナンにしたら?と誘いをかけたのかもね。


日本経済新聞記事



 数年後にグーグルマップで見たら,馴染みだった場所にアップルのデータセンターのビルとかができてるのかな?(微笑)



  1. 2016/08/12(金) 08:02:28|
  2. 雑記(越南)
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No.5595:ダナン(Đà Nẵng)からフエ(Huế)4

 しばしの散策を楽しんだ後。
 ランコー(Lăng Cô)村を出ると,もう田舎の街道だ。前回,フエから下った時に見覚えのある風物が,逆回しに再現される。
 小さなを峠二つ越えると,左手には一面緑の水田,右手は遠浅の沖合いまで延々と広がる漁の網。豊饒さを感じさせる風景だ。
 そんなこんなで快調に飛ばしていたマイクロバスが,急にスピードを落とした。なんだ?やっぱり故障か?と視線を前に戻したら,なんと車が詰まっていた。ヴェトナムの田舎国道で渋滞に出会うとは,まさに想定外。
 最初はのろのろと動いていた列も,ついにぴたっと止まったきりまったく進まなくなってしまった。そういえば対向車もさっきからほとんど見かけない。これは,先で何かあったに違いない。
 運転手がジリジリし始めた。無理もない。僕はフエが目的地だから,夕方までに着けばいいけど,彼はダ・ナンに戻らなきゃいけないんだ。
 舌打ちひとつ。遂に対抗車線に出て突っ走り始めた。わらわらっと後を追って何台か追随する。向こうから来るのはバイク・自転車だけで車の姿は見えないとはいえ,大丈夫か? 僕は彼の腕を信じて乗っているしかない。
 隙間があれば無理矢理入り込み,しばらくしてまた業を煮やして飛び出すことの繰り返し。それにしてもかなり長い列だ。
 相当進んだところで,この渋滞の元兇に出くわした。タンクローリーを巨大化させたような,どでかいタンクを積んだトレーラーがのろのろと亀の歩みで動いている。タンクの横腹には「FUDA」のロゴ。
 「This is the beer of Hue.」
 これ,何?と尋ねようとした僕に,吐き出すような口調で運転手が説明してくれた。ということは,フエまでこのタンクを運ぶのか・・・まだ先は長いのに。今後も,相当渋滞が続くのは間違いない。もしかしたら明日までかかるかもしれない。

 ・・・ああ,どうやら居眠りしていたらしい。ヴェトナム入国から10日近く,そろそろ旅の疲れが出てきたのかもしれない。
 風化の進んだ白い砂が続く窓の外。これは,紫外線を強力に反射しているだろう。この辺りでは,白内障の患者が多いのではなかろうか。そんなことを考えながらぼぉっと眺めている僕に,運転手が声をかける。
 「Where is Your Hotel?」
 その前まで連れていってくれるそうだ。そう言われて焦った。実は,まだどこに泊まるか決めてなかったのだ。既にもうフエの街が近いらしい。慌ててがさがさと取り出したガイドブックと相談する。どこか場所がよくて手頃な宿は・・・
 大内がある旧市街は,新し目の宿はないから却下。フォン河南岸新市街,目立つセンチュリー・リバーサイドの近くに,ミニホテルがあった。ここなら僕でもすぐにわかる。料金も手頃だ。
 「Go to the A dong hotel, please. Not 2 but 1.」
 そう。このミニホテル・アドンは1と2の二つがあるのだ。2は前回泊まったが,新しくて悪くはなかった。旧市街に渡る橋にも近いのだが,新しいだけあって,今の僕には料金がやや高いのだ。予算はできれば抑えたい。
 幸い,運転手は場所を知っていた。ツーリズム・カフェのスタッフなのだから当たり前といえば当たり前だが。ダナンの市街とは比較にならない田舎びた道を通って,横づけされたマイクロバスから降りたが,しばらく運転手には待っていてもらう。
 レセプションに立つのは,お決まりのようにアオザイを着た若い女性だ。見せてくれた部屋は2階のバルコニー付きのツイン。机やベッドなどの木材部分が古びた感じはあるが,割と広々としていて快適そうだ。もちろん,テレビ&冷蔵庫,シャワー・トイレ付き。20$というところを「3泊するんだから」と粘って1日目18$,それ以後17$にしてもらった。
 下で待っていた運転手には,部屋番号を告げて,感謝の握手。
 「See You tomorrow!」
 そう,ヴェトナム語版「青い瞳のエリス」のコピーを明日のツアーで来る時に持ってきてもらうのだ。


Google Map,Vietnam(1998.03)



 ※元になった旅行記があるとは言え,もう20年近く前の旅のことを描くのは厳しいところもあるが,不思議なものでイメージは鮮明に思い出される。それだけ,ヴェトナムの風物と僕の波長が合っていたということなのだろう。
 次回からは,古都フエでの散策になる。



  1. 2016/08/02(火) 01:04:33|
  2. 移動,車窓風景(越南)
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No.5448:ダナン(Đà Nẵng)からフエ(Huế)へ3

 峠を勢いにまかせてどんどんマイクロバスは下る。快調なエンジンに物を言わせて,のろのろ前を塞ぐ車は容赦なく追い越す。カーブでもやるから,少々怖い。
 ・・・だがこの運転手,ただ飛ばすだけではない。ツーリズム・カフェのスタッフだけあって,ランコー(Lăng Cô)村がよく眺められるポイントに差しかかると,一時停止して写真を撮るか?と聞いてくれたのだ。
 ここは入江と外海の間に発達した砂洲上の村。西側は静かな潟,東側は白砂に押し寄せる波,と対照的な景色が楽しめる。
 最初に彼が言ってくれた地点は,ガイドブックなどでよくランコー村の紹介写真に出てくるような,びしっと決まったアングルで撮れるポイントだった。とてもいい構図なのだが,ここから撮ったらガイドブックと同じ,いや素人だからもっと出来の悪いコピーになってしまう。結局そこで1枚,もう少し下った位置から更に1枚だけシャッターを切った。

 時間的に言ってここで昼休憩をとるはずだが・・・。マイクロバスが止まったのは,前回フエから下って来た時に寄った食堂だった。ドライバー向けのドライブインという役割以上に,どうやらツーリズム・カフェなどと契約しているらしい。前に来た時は,若い女性二人組,なぜかロンジー(ミャンマーの民族衣装)を穿いた男がいたりしたが,今回は日本人は僕だけのようだ。
 風通しのいい食堂の中にはフランス人ツアー客たちがランチを始めようとしている。ランコーのビーチで泳ぐツアーらしく,海で濡れた体を井戸水で流してる姿も。・・・皮膚の色素が薄い白人がこんな強い日射しを素肌に浴びて,大丈夫なのかと他人事ながら心配になる。
 テーブルの上には程よく茹でられた蟹の山。会話を楽しみながら蟹にむしゃぶりつく・・・蟹を食べるとそちらに集中して静かになるのが普通だと思うが,さすがはフランス人,お喋りも止まらなかった。
 僕とドライバーはと言えば,彼らを背にしてほぼインスタントに間違いないフォーをそそくさと食べる。金にならない客だ。
 時間は充分にあるとドライバーが言ったので(たぶん休憩したかったのだろう。そのつもりで飛ばしてきたのかもしれない),食堂の裏手の砂丘を越えてビーチに出てみることにした。

 さらさらと靴を下ろすたびに崩れる白い砂。見た目はきれい,でも歩きにくいことこの上ない。よたよたとペンギン風になりながら砂丘の斜面を登って。頂上で南シナ海の風が吹きつけるかと思ったが,そこは一列目。もう一度下って貧弱な潅木と砂の鞍部を更に歩いて,二列目を越えなければ海は拝めない。
 頭上からの太陽と砂からの照り返しで焙られて,暑さで半ば舌を出しながら歩く僕に,どこからともなく現れた二人の男の子がまつわりついてきた。
 「マッサー,マッサー」
 マッサージするぞ,という意味だが,別にビーチチェアで寛ぐわけでもなし,大体小学校1年くらいの男の子たちでは力足らずでマッサージなぞ満足にできるわけがない。でも,いらないいらないと身振り付きで答えても,「ハイそうですか」と引き下がる彼らではない。
 「Why not?」
 一人前に片言の英語で攻めながら,二人して背中を叩く。背骨,肋骨に拳が当たって少々痛い。
 そのまま知らん顔して歩いてると,「Pay money.」と手を出す。
 「It's not massage!」
 大仰な呆れ顔を作ってそう言っても,懲りない笑顔で「マッサー,マッサー」そしてポカポカ。半ば遊んでいるというか遊ばれているような・・・。
 どうせ暇な旅行者の身,この子供たちとつき合うのも悪くはないか。そういうわけで,僕がビーチを眺めて歩き回ってる間中,彼らは側につきまとっていたのだった。
 「You didn't massage.」
 そう言って1人をとっ捕まえ,すかさず細い肩を揉んでやる。キャア~と大袈裟に身をくねらしたところで,
 「This is massage, O.K?」
 「O.K.」親指を上に向けて握り拳。
 「So pay money. Năm nghìn Đồng!(注:5000ドン)」
 僕がさっきの彼らの言い回しを真似たら,一瞬きょとんとして,すぐにけらけら大笑い。邪気がなくていい。
 相変わらずの「マッサー」攻撃の合間に,「これこれ」とポケットから出して見せてくれた宝物。古銭だ。錆が出ていて額面は判読できないが,円形方孔の中華影響圏の銅銭。こんな小さな子が買い集めるわけはないから,拾ったものだろう。ホイアンに出入りする貿易船が沖合いで沈没して,その積荷が打ち上げられたのかもしれない。


ランコー村
左は南シナ海,向こうは潟。幹線道路はこの砂洲上を通る。

ランコー村
砂洲の切れ目。潮流の関係か,中部のこのあたりは砂洲がよく発達している。
ここから左手に道路は向かい,ぐるりと水面を迂回して前に見える橋を渡ってランコー村に入る。

ランコー村
手前の山に,ハイヴァン峠へ向かう道が見える。その向こうの切れ込んだ鞍部が峠だと思う。

Google Map,Vietnam(1998.03)



 注)ランコー村には,21世紀になってから,ビーチに大きなリゾートホテルができたと聞いた。景観が大きく変わってなければいいのだけれど。
 ・・・もしかしたら,あの男の子たちは,ホテルのスタッフになっているかもしれない。



  1. 2016/05/24(火) 10:20:39|
  2. 移動,車窓風景(越南)
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プロフィール

Ikuno Hiroshi

Author:Ikuno Hiroshi
Self
↑現在  ↓過去の一時期
755860.jpg
広島から沖縄へ移住した100%ゲイ。
年齢不詳に見えるが五十路を越えた。
ハッテンバで出逢った10歳下の相方と
・・・何年目だっけ? でも,いつも
いちゃいちゃ熱々バカッポー実践中。

LC630以来の筋金入り林檎使い。
Power Macintosh 7300
→ iMac(Blueberry)
→ eMac
→ iMac (20-inch, Early 2009)
虎→雪豹→獅子丸
→山獅子→寄席見て
→得甲比丹
そして,満を持してiPad mini!
更に,iPhone6!
ネットはNiftyServe以来の古参兵。

ついでに典型的なB型的性格。
パタリロのギャグは
ほぼ暗記しているらしい。
猫・犬複本位制だったが,
現在は,猫本位制に移行。
芸能・スポーツ以外の雑学王(笑)

HIV関連

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読書中の本(2017.Mar.13~)

honto
中国五代国家論

ISBN :978-4-7842-1545-4
山崎 覚士著
思文閣出版佛教大学研究叢書(7,020円)

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