The 3rd. ..........なべてこの世はこともなし

 沖縄移住17年のゲイが垂れ流す身辺雑記,気になる記事,ノロケ,過去旅話。

No.6162:古都フエ(Huế)散策8

 Anさんがメモ帳に書き込んでくれた順番によると,次はトゥヒェウ(Từ Hiếu 慈孝)寺。
 少しもの寂しい気配の漂う道には,どことなく見覚えがあるような。そう思っていたら,松林に出た。この佇まいは確かに記憶にある。白く塗られた3層の塔だ。忘れもしない,フエを最初に訪れた時に来た場所だ。あの時は霧雨にしっとりと煙っていたが,今日は青空の下の晴れやかな姿。たった3年前のことだが,何やら懐かしい。
 >>>>>> No.1283:霧雨のフエ(Huế)7[旅行記-ヴェトナム]:1995.03.18

 緑の林の中に続く漆喰塗りの白い塀。2層の立派な三門もそのままだ。
 門前にバイクが止まると,土産物売りの子が2人ほど近寄ってきた。前はいなかったが・・・天気が悪かったので出ていなかっただけなのか。売ってるのは絵葉書だけだったので,悪いが何も買わない。門をくぐる僕の背中に,声を揃えて「どうして買わないのー?(Anさん通訳)」。欲しいものがなければ,仕方ないだろう。
 門内は例によって庭。でもここは他とは違って,鉢植えの列ではなく,大きな丸い池が人を迎える。翡翠色の静かな水面に門や塀が映り,きらきら日光も反射していて,とても美しい。
 池を迂回して灌木を植えた庭に挟まれた狭い参道を上がれば,石敷きの前庭に僧坊と本堂。
 「Do You want to enter?」
 Anさんが聞いてくれるが,中は前回入っているし,お勤めなどの邪魔をしても悪いから遠慮する。ここの本尊はネオンの後光を背負ってない,日本人好みの姿をしていた筈だ。
 僧坊の裏手,食堂のあたりは,湯気が一杯に立ち込めていた。地味な私服の人たちが忙しそうに立ち働いていた。時間からしてそろそろお斎の準備をしているのだろう。肉魚一切なしの精進料理・・・どんな味になるのか,興味がある。
 屋根に幾つも龍の飾りを戴いた本堂。灰色の衣をまとった若い僧が柱に寄りかかって経典らしい本を広げていた。

 脇にある立派な造りの墓群を眺めて,元来た参道へと引き返す。日向ぼっこしていたちっぽけな蛇が,僕らの足音に驚いて逃げ出す。道から脇の木立へ入りたいらしいが,50cmくらいの段差の石壁が乗り越えられず,ぐいっと背伸びをしてはバランスを崩して何度もぱたんと仰向けに倒れる始末。その格好があまりにもおかしくて,必死な蛇には悪いが2人して大笑いしてしまった。
 この寺は,阮朝の宮廷に仕えていた宦官が,子孫を持てない自分たちの後世を弔ってもらうために建立したものだそうだ。墓所の中には,彼らのものもあるのかもしれない。


フエのトゥヒェウ寺

フエのトゥヒェウ寺
庭の間をまっすぐ通る細い参道から三門を見る

フエのトゥヒェウ寺
Google Map, Vietnam(1998.03)




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  1. 2017/04/12(水) 00:50:06|
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No.6072:古都フエ(Huế)散策7

 バイクを置いた休憩所に戻った。店主の中年婦人がにこにこ椅子を勧めてくれる。何を飲もうかな・・・覗き込んだクーラーボックスの中には,各種取り揃えた色とりどりの缶ジュース。そうだな,マンゴーのにしよう。
 歩いてすこし火照った身体に,大きな木陰のそよ風はとても気持ちがいい。暑かったろう?と店主が布張りの大きな扇子を貸してくれた。ふぁさっと扇ぐとと涼しさ倍増。
 中国製の甘いネクター状のジュースをストローで一気に吸い上げてしまったのを見て,「もう1本どう?」とボックスの蓋を開けるが・・・そんなに飲めるものでもない。あっさりとしたお茶系のものでもあれば,と目で探したが,どうやらないようだ。
 ぼんやりと眺めていると,次から次へと観光客がやってくる。僕のようにバイクガイドに連れて来られるのもいれば,バスで乗りつける団体もいる。中には,自転車に乗って自力でやって来る強者も(これは欧米系に多い。体力が違うんだろう,きっと)。
 そういえば,初めてここを訪れた時に門前に停まっていた団体バスは,日本から輸入された中古の京都市営バスだったっけ。ハンドルの位置だけをヴェトナム用に左右逆に付け替えてあるのに,あとは京都で走っていたままの外装(方向幕も!)だったので,驚いたものだ。
 15分くらい休んだろうか。じゃそろそろ,とAnさんはバイクを引っ張り出し,手を振る店主に見送られてトゥドゥック帝陵を後にした。

 家々の間の小道を抜けて,何だか小高い場所に出た。草と潅木,それにコンクリートの塊が転がってる殺風景なスロープ。バイクはそこへ入り込んだ。小石が多くてお尻が突き上げられる。シートのクッションが役に立たない。
 Anさんが降りるように促す。ここはどこだ?と表情に出し,質問もしたが,Anさんは答えずにずんずん先へ歩いていった。仕方なく後について行ったら,フォン河(Hương Giang,香江)を見下ろす高台の突端に。
 「Here is the army position of America and French.」
 陣地って・・・もしかしてヴェトナム戦争の時の? よくよく見れば,このコンクリートの塊はトーチカの形をしている。この塊に開いた穴から,高射砲の砲身などが突き出ていたわけか?
 おそるおそる端っこにまで行ってみた。ゆるやかに蛇行するフォン河の広い流れが左右に。位置が高いから対岸も丸見え。これは確かに素人目にも根拠地として最適な場所だ。テト攻勢の時などはここにも砲弾が降り注いだのだろう。

 過去は過去として,ここは眺めがとてもいい。ちょうどフォン河が曲がるところに位置していて,左手にはホンチェン殿(Điện Hòn Chén)からミンマン(Minh Mạng,明命)帝陵あたり,右手は大彎曲部あたりまでパノラマ状態。眼下には,飾り立てた観光ボートが澪を引いて行き交っている。
 向こう岸には緑の畠だか田と林,それにオレンジ色の屋根をかぶる瀟洒な民家。ちょっと絵になる風景だ。
 どこかから子供たちがやってきた。別に物売りなどではない。トーチカを使って隠れん坊みたいなことをやって遊んでいるようだ。きゃあきゃあと楽しげな声が風に乗って耳に届く。・・・ずぅっとここで遊べれば,いいね。


フォン河の高台から1
上流側を望む。右手,岩礁のあたりの岸,木々の向こうにホンチェン殿がある。遠くの岩肌の見えるあたりの先に,明命帝陵。

フォン河の高台から2
下流側。ずーっと先が大湾曲部。その先にフエ市街がある
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  1. 2017/03/01(水) 00:45:23|
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No.5997:古都フエ(Huế)散策6

 トゥドゥック(Thự Đức,嗣徳)帝の奥津城を出て,脇から裏手へ。池に流れ込む渓流もどきを石の堰で渡った所に,もう一つの奥津城があった。ここは前回には来ていない。帝のものを二回り以上小さくしたような広さだ。
 Anさんは,皇后の墓所だ,と説明してくれた。確かに,入口から内部が直接見えないように造られた排障のモザイクも龍ではなく鳳凰(中華文化圏では基本的に龍は男性,鳳凰は女性を表わすことが多い)だから,その場はそうかと納得したのだが,後でチケットの地図を確認すると「Kien Phuc's Tomb」(Kiến Phúc,建福帝廟)になっていた。
 主の詮索はともかくとして,メインの離宮施設などとは離れていて,あまり観光客も来ないせいか,ここは少々荒れ気味だった。塀が見事に壊れていたり,草むしていたり。さすがにこのあたりまでは修復の手が及びかねているらしかった。ただ,陶磁器の破片を使ったモザイクは,さすがに美しかった。
 荒れた石段や床面にプルメリアの白い花が一面に散っている。Anさんが一つ拾い上げて僕の鼻先に。ぷーんと甘い匂いが漂った。

 今,資料に当たってみたところ,やはりAnさんが正しかった。儷天英皇后の謙壽陵。


 道に戻ると,どこから現われたのか,ジュース売りの女の子たちが声をかける。Anさんは,彼女たちからは買わないように,と僕に小声で注意する。・・・バイクを置いた所の物売りの女性から買ってもらいたいからだろう。
 そこから先に進むと,これまたミニチュアな帝廟風の一郭。先程の皇后の墓所以上に荒れた雰囲気がある。周囲は樹々も茂っていて,裏山と一体化した感がある。苔むした石段の上は・・・封鎖されているようだ。
 Anさん曰く「Tomb of Tu Duc's Prince」だそうだが,病弱な帝には皇子はいなかった筈で,後継者は弟や甥だったのだが・・・。チケットの地図も「Chap Khiem Temple」とあるだけで,頼りない。中を見れば手がかりがあるかも,と思ったが,残念ながら修復工事中。トヨタ財団の援助だとか。

 資料によると,こちらがキェンフック帝(1869〜1884年)の廟だった。帝は,実子のないトゥドゥック帝の甥で養子となり,帝の崩御後,1年足らずの間に廃位,毒殺された二人の皇帝を挟んで15歳で即位。半年後に帝も権臣により毒殺された。養子になっているから,Anさんの表現は間違いではない。当時は,フランスの植民地化の圧力が相当強くなっていたこともあり,独立の陵を造らず,養父トゥドゥック帝の陵域内に陪葬されたらしい。



 庭園の草地にはプルメリアの花に混じって,動物の糞も転がっている。近くの山から鹿が出て来るからとAnさんは言っていた。
 そして池に面した釣殿「沖謙榭」の背後に出た。池を挟んで向かいには,あの愈謙榭が見える。ぐるりと一周したことになる。
 橙色の瓦葺寄棟の母屋内部は,何もない空間。今は剥げかけたり褪せたりしているが,黒漆塗りで仕上げたらしい欄間や建具の装飾は,さすがに見事。ここは帝の遊興空間だったようだ。
 池岸ぎりぎりに建てられた母屋に接続して,一段低くした屋根付きベランダ空間が池の上に迫り出す。柱と欄干だけの,吹き抜け空間。欄干の2ヶ所が切り欠かれて,木の階段が池に降りるようになっている。中部ヴェトナムの酷暑の時季,帝はここで涼みながら詩を吟じたりしていたのだろうか・・・
 そんなことを思いながら風に吹かれていると,さっきの小学生たちがやってきた。わいわいきゃあきゃあと楽しそうだ。先生たちも僕らに気づいて,にっこり。
 思いついて母屋のの入口側,舞良戸風の扉が形よく開かれている庇の廊下を撮ろうとカメラを構えた・・・ら,子供たちがひょいひょいあちこちから顔を覗かせる。鬼ごっこのようなもぐら叩きのような遊び。仕方がないなあ,と遊び終わるのを待っていたら,気づいたリーダー格の子が仲間を制して引っ込ませてくれた。Cám ơn!(感恩,ありがとう)

 池にはぽつりぽつりと蓮の花が開いている。風は向こう側のプルメリアの甘い匂いを運んでくる。夕闇の迫る中,水上に雅楽団を乗せた舟でも浮かべて,ここで楽を楽しみながら酒を嗜んだら最高だろうなあ・・・。


嗣徳定陵マップ
19が儷天英皇后謙壽陵,24が建福帝陪陵,5が沖謙榭。

儷天英皇后謙壽陵
儷天英皇后の謙壽陵

儷天英皇后の謙壽陵のモザイク
謙壽陵陵の排障モザイクは2羽の鳳凰。陶磁器やガラスを砕いた欠片を使っている。

建福帝陪陵
建福帝陪陵。現在は修復完了して,見学可能。

沖謙榭
沖謙榭の外観(前出)

沖謙榭
沖謙榭の庇部分
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/01/30(月) 10:24:34|
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No.5928:古都フエ(Huế)散策5

 和謙殿の奥には,また磚(敷瓦)を敷いた中庭空間を囲んで三方に建物。正面橙色瓦の重檐(二重軒)が良謙殿,左手寄棟が温謙堂,右手寄棟が鳴謙堂となる。
 和謙殿が離宮としての正殿なのに対して,これらはプライベートな空間となる。良謙殿がトゥドゥック(Thự Đức,嗣徳)帝の起居空間,鳴謙堂は音楽や演劇を楽しむための楽堂,温謙堂は帝の衣裳や品物を保管する場だった,とAnさんは説明してくれた。この一廓の背後と左手には,後宮や侍臣たちの起居する建物などもあったそうだ。前回案内してくれたガイドと比較しても,Anさんは歴史的な知識が豊富なようだ。僕の嗜好と一致しているのは,ありがたい。
 鳴謙堂の中は,天井に日月と星辰が描かれていたり,古びた玉座とそれに対する高舞台などが設えられていたりと,他とは違う遊興の空間になっている。帝はここで雅楽(Nhã Nhạc)も奏させたのだろうか? それとももっと俗っぽいものも楽しんでいたのだろうか。

 池沿いにぐるりと廻って帝の奥津城を訪れた。ちょうどアオザイ姿の女性が入っていくところだった。華やいだピンク色が,時を経て古び,沈んだ色合いになっている空間を明るくしてくれる。
 陵域を囲む塀は瓦が外れていたり,化粧漆喰が剥がれかけていたり。門そのものを装飾する橙色と緑色の陶板も脱落が目立つ。朝靄のまだ残る柔らかい光の中おかげか,それは荒廃をあまり感じさせなかった。これが南国らしい強烈な昼の光の下だと,どうだったろうか・・・
 碑亭の前庭,半月形の池際に植えられたプルメリアは,まだ殆ど葉が出ていないのに,まばらに花を咲かせていた。作詩を好んだという文人気質の帝の奥津城らしく,どこか詩情を感じさせる光景だった。


嗣徳帝陵案内図
8が良謙殿,9が鳴謙堂,10が温謙堂。16の部分が帝の陵域。

嗣徳帝陵の池
池と中島

嗣徳帝陵の龍浮き彫り
陵域外側の石壁に刻まれた龍

嗣徳帝陵域
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  1. 2017/01/02(月) 10:43:50|
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No.5894:古都フエ(Huế)散策4

 次はトゥドゥック(嗣徳)帝陵(Lăn Thự Đức)だと,走りながらAnさんが教えてくれた。チャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を渡って新市街のレロイ(Lê Lội)通りを西へ。
 フエ駅の手前でディエンビエンフー(Điện Biên Phủ 奠邊府)通りに入って南下。ヴェトナム人好みのパステルカラーに塗った家の壁。幾つかの角を曲がった頃,見覚えのある塀が左側に現われた。帝陵を守る塀だ。
 まもなく入口に着いた。前の道に生えた木陰には,パラソルを差し掛けた休憩所兼飲み物販売が幾つも店開きしている。大抵は女性だが,僕らを見て低い椅子から立ち上がって「こっちこっち」と差し招く・・・が,職業バイクガイドのAnさんには行きつけ(というより客を連れてお金を落としてもらう提携先)というものがあるわけで。
 その中の一つに近づいていくと,「来た来た」とにこにこ顔の中年婦人。人が良さそうな笑顔だ。Anさんは気安く挨拶しながら,そこの木陰にバイクを入れた。

 愛想よく手を振る婦人に送られて,中へ。
 古びた磚(煉瓦)積みのアーチ門をくぐると,庭園が目の前に広がる。昨夜の雨の名残でしっとりとした空気。まだ雫を含んだ緑。
 佇まいは,前に訪れた時と何も変わっていない。落ち着いた池庭も中の建物も。皆,薄い朝靄の中で静かに佇んでいる。風もなく,翡翠色の池の水面も,さざ波一つ見えない。
 元々この帝陵は,トゥドゥック帝の生前には離宮「謙宮(Khiêm Cung)」として造営されたものだという。帝は好んでここに滞在したそうだ。文人だった帝の気質からすると,人工物の多い大内よりもこちらの方が好みに合ったのだろう。そして,帝は崩御後に敷地内に造営された墓所に埋葬され,ここは謙陵と改名された。なので,他の帝陵とは違って,中島を築いた庭園風の池やそれに面した船着場,釣殿風に水面に迫り出した建物などが敷地内に存在するわけだ。
 愈謙榭=池に臨んだ舟着場風の建物=の前には子供たちの集団。小学校の見学らしい。引率の先生たちが愈謙榭に降りる階段に皆並ばせたところで,僕らに「シャッターを押して」と声がかかる。明らかに外国人観光客とわかるのに,それでも気にせず頼むところがおおらかで良い。
 お安い御用とカメラを受け取り,アングルを決めるために僕は後ずさる。
 「Be careful!!」
 愈謙榭の欄干の切れ目から池に落ちるんじゃないかと心配したAnさんが叫ぶ。その辺は注意深いから大丈夫だよ。片足を池の上に泳がせて,何とかアングル決定。よし。
 「Một, hai, ba!(1, 2, 3!)」......カシャッ。
 カメラを受け取って,若い女性教師たちは笑顔で挨拶しながら,帝の奥津城の方へと子供たちを追い立てて行った。

 愈謙榭に正対する階段。その上にはこの陵,というよりは離宮の主要な建物がある。
 階段の上の二層門をくぐると,石敷きの方形の庭とその正面には,大内と同じく橙色の瓦を葺いた重檐(軒を二重にした格の高い様式)横長の建物,メインとなる和謙殿だ。帝滞在中には,大内と同じようにここで儀礼が行われたのかもしれない。
 前回は碑文解読に気をとられてしまっていたので注意して見ていなかったが,ここには帝の使用した遺品などが展示されている。インテリアとして飾られた金樹玉果の鉢植え,御製の詩を書き込んだ漆絵の額,フランスから贈られた置時計,靴。
 「He was very short, so his shoes were small.」
 確かに,女物かと思うくらい小さい。前庭に立ち並ぶ文武官の石像の背丈が低いのも,帝が病弱で背が低かったのでそれに合わせたためということらしい。


トゥドゥック帝陵見取図
 1が入口の門,4が愈謙榭,7が和謙殿。

トゥドゥック帝陵池庭
門を入ったところから

トゥドゥック帝陵愈謙榭
愈謙榭

トゥドゥック帝陵池面
愈謙榭から身を乗り出して撮った池面
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  1. 2016/12/19(月) 12:00:13|
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No.5850:古都フエ(Huế)散策3

 昨夜は部屋の外のテラスを叩く雨音に雷まで鳴り始めて,どうなることやらと思いなら眠りに就いた。朝6時。目覚ましもかけないのに起きてしまったのは,やはり天気が気になってたからだろうか。
 おそるおそるカーテンを開けると,晴れとまではいかないものの,空は明るい。よかった。目の前に見えるフォーンザン(Hương Giang)のテニスコートでは,もうスパコーンスパコーンッといい音が響く。みんな地元のヴェトナム人らしい。優雅なことだ。
 身支度を整えて下に降りる。まもなくガイドがやってきた。名前はLuu Van An。名前のAnはダラット(Đà Lạt)で世話になったガイドと奇しくも同じだ。しっかりした顔つきの中年男で,かなり知的な雰囲気がある。
 挨拶を済ませて,まずはカブに跨がって,手近のカフェへ。練乳たっぷりのヴェトナムコーヒー・カフェスア(Cà phê sữa)を朝飯代わりに。ここは新市街の東の端で,住宅地が近い。学校へ通う生徒や子供たちの自転車が行き交うのを,甘みたっぷりの濃いコーヒーをちびちびと舐めながら眺めていたら。
 「Well, where do You wnat to visit?」・・・そうだった。行きたいところを手帳に書いて示す。
 「トゥドゥック(嗣徳)帝陵(Lăn Thự Đức),ティエウチ(紹治)帝陵(Lăn Thiệu Trị),ホンチェン殿(Điện Hòn Chén)
  バオクォック(報国)寺(Chùa Bảo Quốc),ディエウデ(妙諦)寺(Chùa Điệu Để),扶光郡王邸宅,安定宮(Cung An Định)」
 ふーむ,としばらく眺めている。頭の中で効率的なルートを組み立てていたのだろう。おもむろにペンをとって順番を書き込んだ。
 「O.K.?」
 地図上のどこにどのスポットがあるのか殆どわからない状態なのだから,全部見られれば僕に異存はない。では,出発だ。

 カブは元気よく走り出し,後戻りしてチャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を渡った。新旧二つの市街を結ぶ橋は,今日も混雑している。何しろ,橋はこれを入れて3つしかないのだから。
 ドンバ(Đông Ba)市場の傍の橋で運河を渡り,昨日歩いた通りの対岸,バクダン(Bạc Đằng, 白籐)通りに入った。そろそろディエウデ寺かな?と思ったあたりで,なぜかカブは横町に入った。建て込んだ住宅地。その一角にある自宅へ寄道だ。
 気の弱そうな犬が一声吠えて引っ込む。その頭をAnさんが撫でて,僕を中へ招じ入れた。セメントできれいに塗り上げた床面。ソックス越しにひんやりとして気持ちいい。立派に飾られた仏壇を眺めている僕に,Anさんがそれじゃ行こうか,と促す。よく見ると,日中の眩しさから目を保護するためのサングラスが胸ポケットに刺さっていた。つまり,自宅に忘れ物を取りに帰った,というわけだ。

 ディエウデ寺はそこからすぐ近く,乗ったかと思ったらもう下りることに。少しだけ開いた門。本当にに入っていいのか?と躊躇するような佇まい。
 中は庭だった。一杯に茂った植え込みの木々。その間をまっすぐに土の道が本堂に通じている。その本堂はしっかり閉ざされていて,見学はできなかった。でも雰囲気はいい。Anさんによると,本堂の扉は朝晩2回の勤行の時にだけ開かれるとのこと。
 本堂から振り返って眺めた庭。昨日からの雨でしっとりした空気に包まれて,静謐そのもの。実際,丈の高い木立に囲まれているから,寺外の物音はすべてシャットアウトされている。いかにも古刹らしい(もっとも寺ができたのは19世紀,阮朝になってからだが)。近所の学生が,その静けさの中で教科書を広げていた。図書館などで人口物に囲まれて勉強するよりも,ずっと落ち着いてできるに違いない。
 どこかから澄んだ甘い匂いが漂ってきた。風を頼りに主を探したら,まっ白なクチナシ。艶やかな葉と柔らかな花。
 妙諦寺(漢字ではこう書く)は阮朝の国寺の一つだったそうだ。位置は大内の真東。東方鎮護の役目を持っていただろうか。

 僕を乗せたバイクは,南下してドンバ市場の前まで戻った。新市街へ向かうのだとばかり思っていたら,市場の前で右折,昨日シクロで通った運河に面した,片側商店街風の小さなフィントゥックカン(Huỳnh Thúc Kháng)通りへ。
 花を一杯にディスプレイした店の前でAnさんは僕に降りるように言った。こんなところに何があるんだ?と当惑していると,Anさんは中に入って店の人たちと話し始めた。
 「This is my frined's shop.」
 ああ,なるほど。で,ここで何を?・・・と聞く前に答えが出てきた。丼から湯気を立てるフエ名物の麺・ブンボーフエ(Bún bò huế)だ。家族ともどもソファに座って啜り込む。ピリッと舌を刺激する辛味がほどよくて,美味しくいただいた。
 落ち着いて店の中を見回すと,花屋だとばかり思っていたら,金細工などのディスプレイもあったりして,ジュエリーの類いも扱ってるようだ。どうやら縁起物というか,儀礼用の品々を販売する店らしい。
 東向きの店内,朝陽が柔らかく射し込んで,ほんわりと温かい。しばらくテレビのサッカー放送を眺めながら,食後の一服。主人とAnさんは,試合の展開にけっこう盛り上がっていた。ヴェトナム人もサッカーは大好きなのだ。きりのいいところでお礼を言って,ということはつまりただ喰いだったわけだが,再びカブ上の人に。



フエ:ディエウデ(妙諦)寺
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  1. 2016/11/29(火) 11:15:18|
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No.5783:古都フエ(Huế)散策2

 店の前で深呼吸を繰り返して。では,入ろう。
 店内には,壁周りを利用してぎっしりと布地がディスプレイされている。見て廻るだけで気分が浮き浮きしてくる・・・全部女性用だから,勿論それで注文はしないが。ミシンや裁縫台の置かれた一角,というよりそれを囲んで布地が飾り付けられてるという感じだが,そこではお針子たちが忙しく断裁や縫製に勤しんでいる。
 一渡り眺め終わったところで,若い女性店員に男性用アオザイ・アオテー(Áo the)を作りたい旨を伝える。ではまずサイズを,と例によって10数ヶ所をメジャーで計られる。首周り,腕の長さ,肩幅,胸囲,脚の長さ・・・これでも,女性に比べれば,計測箇所は半分以下なのだ。女性用がどれだけ体にフィットして作られるか想像できようというもの。
 さてどんな布地にしようかと,割と広めの店内を物色して回る。ふと,店のまん中に据えてあるガラスケースに目が止まった。この中にも布地が置いてある。近づいてよく見ると,綾織の豪奢な雰囲気の漂う絹のようだ。そこらへんにある凡百の中華柄ではなく,金糸なども使って細かく鳳凰や龍が表現されている。これはなかなか良さそうだ。ケースの中に入っているくらいだから,いい布地に違いない。
 早速出してもらい興奮気味に手に取った布地は,厚みもあり目が詰んでいてずっしりと重い。こんな生地で作ったら,さぞかし風格の漂うものになるだろう。色は・・・落ち着いた色合いの素晴らしい皇帝風の黄色も捨てがたいが,ここは緑にしよう。この色のものはまだ持っていない。
 肝心の仕立て込みの値段は?と尋ねると,共布のカン(輪状に布地をぐるぐる巻きにしたシャンプーハット状の被り物)と白いクァン(Quần パンタロン状の長ズボン)込みで55$。店主にディスカウントを申し込むも,「ここは定価販売!」とヴェトナムらしからぬ回答。それだけ自信があってのことだろう。無理押しはせず,妥結。

 出来上がりの日を確認して支払いを済ませると,もう外は宵闇を通り越して暗くなっていた。空気は相も変わらず蒸し暑い。サウナに入ったような感覚。これまで,殆ど同じ3月頃にに三回も訪ねているのに,三回とも気候が違う(涼しい雨,気温高めの晴,そしてこの蒸し暑さ)というのは,この時季が季節の変わり目で不安定ということなのか? それともフエの守り神様にでも翻弄されているのか。
 城門をくぐって,先程迷ったフィントゥックカン(Huỳnh Thúc Kháng)通りを南下。明るく照明された小公園では遊具ではしゃぐ子供たちと,それを見守る家族。ほのぼのとした空気。
 ちょうどシクロが通りかかったので,呼び止めて新市街まで戻ってもらうことにした。このまま歩いていたら,宿に帰りつくまでにオーバーヒートしてしまいそうだった。とりあえずチャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を渡ったところで降りる。5,000ドン。
 往路では気づかなかったが,レロイ(Lê Lội)通りとの角に立派なホテルの姿が見えた。かなり広い敷地だが,前に来た時はなかった筈・・・ガイドブックを見ると,ずっと工事していたモリン・ホテルが無事にオープンしたらしい。確か,以前は格安な使いやすいホテルとして紹介されていたと思うが,とても高級な感じになってしまっている。庶民的な河沿いの公園,人と車とバイクの行き交う新市街のメインの通り,阮朝時代の国学を改めたフエ師範大学の静かな佇まいの中で,そこだけ空気が違う。何年か経てば,馴染んでくるのだろうが。

 湿気の多いそよ風に吹かれながら,河岸公園側の歩道をのんびり歩いていると,ぽつりと雨粒が落ちた。・・・夕飯をどうしようか。レロイ通りには食堂のような店が殆どない。とうとう宿のすぐ近く,高級ホテル・フォーンザン(Hương Giang)のところまで来てしまった。雨さえ降っていなければ,この先のダップダー(Cầu Đập Đá)橋を渡って,向こうの庶民町の食堂を開拓してみるところだが・・・。
 仕方がないので,橋の手前の横町に入ったみた。と,すぐそこでお粥屋が店開きをしている。軒が低めの,地元の人たちが小腹を満たしにちょいと寄るような小さな店だ。早速首を突っ込んで何のお粥があるのか?と尋ねても,英語が通じない。外国人観光客が立ち寄るような店ではないから,当たり前といえば当たり前だが。
 「Chao vịt?」
 大きな鍋をかき回してる女将に片言のヴェトナム語で尋ねたところ,大きく首を振って申し訳なさそうに「Cháo gà.」。
 ホイアンの路上粥屋で食べて気に入って以来,ヴェトナムの粥=アヒル肉と決めつけていたのだが,この際鶏でもいいだろう。雨も強くなってきたから,これ以上夜道をうろつきたくない。
 突然中に入ってきた外国人に,わいわい言いながら粥を食べていた男たちがお喋りをやめて,上から下まで僕を観察。田舎や庶民的な店ではよくあることで,既に慣れていたので気にしない。
 「口に合うのかしら」と言った風のぎこちない微笑みと共に,女将がテーブルに置いてくれた鶏粥。アヒル粥と同じように,脂が浮いていて美味しそうだ。唐辛子の細かい粉がパパッと振りかけられているのが,フエ風と言ったところか。
 アルミの蓮華もどきのスプーンで湯気の立つ粥を掬って,ふうふう。猫舌の僕には,この熱さは無理だ。適温になったところで口へ・・・砕けた柔らかい米と鶏骨から出た出汁,ほんのりとした塩味に,ちょっとだけ唐辛子のアクセント。なかなかいける。肉は,エキスを汁に出してぱさっとした感じになっていたが。男たちの食べかけのと比べて,肉の量が多いように見えたのは,外国人向けサービスといったところか。
 丼たっぷりに入っていて,それなりに腹も満ちて,それでたったの3,000ドン(30円弱)。

 さて,宿に帰ろう。粥は消化がいいから,寝るまでには小腹が空いてしまう筈。途中で見つけた屋台のバインバオ(Bánh Bao肉饅)2個の包みを抱えてびしょ濡れで戻った僕に,レセプショニストはガイドが捕まったと笑顔で教えてくれた。1日25$で好きな所を廻ってくれるそうだ。
 では,部屋でガイドブックを見ながら,行きたい,見たい場所をピックアップするとしよう。


フエのアオザイテーラー
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2016/10/24(月) 10:55:02|
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No.5713:古都フエ(Huế)散策1

 さて。
 レセプションの若い女性に,明日郊外の帝廟と寺を廻りたいのだが,と相談を持ちかける。
 「We know a good guide. Please wait.」
 バイクの後ろに乗せて案内してくれるガイドだそうだ。早速その人の家に電話をかけるが・・・今日はまだ仕事から帰っていないとか。
 「O.K. I take a phone, and make a report the result.」
 では,待っていても仕方がないから,外へ出るとしよう。目的地は,ある。フォン河(Hương Giang, 香江)を渡った向こう側の旧市街にあるという,アオザイ・テーラーのChi。以前に,サイゴンのテーラーで何着か作ったことはあるのだが,最後の王朝のお膝元のスタイルのものも欲しかったのだ。
 アオザイ(Áo dài)と言っても正確には男性用なので,アオテー(Áo the,最近ではアオザイナム Áo dài namとも呼ばれているらしい)と呼ぶべきだが・・・。ちなみに,身体の各部を徹底的に計測して完全にフィットさせて作る女性用とは異なり,男性用はあくまでもゆったりと作られる。

 フエも今回で3度目になる。が,Chiがある旧市街の方はダイノイ(Đại Nội 大内,王宮地区)以外は,市場に足を踏み入れただけだった。せっかくだから歩いて街の雰囲気を楽しもう。
 ・・・とはいうものの,えらく蒸し暑い。3月は乾季に入っているし,気温もまだ30℃にはならないのが普通だが。気がついたら空は鉛色の雲に覆われて,妙に湿度が高い。フォン河沿いのレロイ(Lê Lội)通り,少しは風が通るかと思いきや,まったくの無風状態。チャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を渡る頃には,もう汗がぽたぽたと垂れてきた。
 渡り終えた頃に,額にぽつっと来た。天気はこれから悪くなるのか? 明日,雨の中をバイクの後ろに乗って名所を廻るのは,あまり嬉しい話ではないし,泥道が心配だ。初めて訪れた時も雨続きで,この時は乗用車で廻ったが,郊外はいつスタックしてもおかしくないような深い轍が刻まれた泥道が多かったのを思い出す・・・とは言うものの,そこはあまりくよくよしない性格,すぐに忘れて街観察にひたる。

 「地○の歩き方」を片手に,賑やかしいドンバ(Đông Ba)市場を過ぎた。前回,ここを冷やかしていたら,老女の売り子から絞りたての砂糖黍ジュースを売りつけられたな(とてもおいしかった)。でも,今日は割愛。
 突き当たった橋の手前,フィントゥックカン(Huỳnh Thúc Kháng)通りを運河に沿って北上する。正確には運河ではなく大内を守る一番外側の濠だが,今では荷物を積んだ船が行き交っている。地図で見ると,東側で蛇行するフォン河をショートカットして繋いだ形になっているところを見ると,これはもしかしたら阮朝時代からダイノイへの物流にも使われていたのだろうか?
 水は・・・泥水のように濁っている。岸辺に舫った艀のような船から,子供たちが盛大な水音を立てて飛び込む。泳ぐのか?いや,立ち上がって体を洗い始めた。石鹸を使ってはいるが,この水できれいになるのか? ホイアンのトゥボン河でも同じ光景を見たが,あそこはこんな人家の密集した場所ではなかったから納得できたのだが。
 右手は開けた川面,そしてその前方に運河を渡る高架橋が見えてきた。自転車や人が,夕暮れの曇り空にシルエットになって行き来する。・・・地図によればこの道を左折した辺りの左側,となっているが。
 ない。1ブロックをぐるりと歩き回っても,テーラーらしき店は存在しない。おかしいな。暗くなってきたから,うっかり者の僕でも明るく照らす店の灯ですぐに見つけられる筈だが。ああ,小さな公園があった。薄暗い中で,それでもまだ子供たちが貧弱な遊具で遊びまわっているのが微笑ましい・・・が,今はそんなことはどうでもいい。
 しばらく周辺を右往左往して,はたと気がついた。これはもしかして・・・。バッグ代わりに持ち歩いてるカメラバッグの中から「個人○行」をがさごそと取り出して,街灯の下で開く。Chiは幸い両方のガイドブックで取り上げているのだ。
 ああ,やはりそうだった。地図の位置が全然違っている。「個人○行」の地図では「地○の歩き方」よりも大内側に印がついている。
 家路を急ぐ人や自転車,バイクで混み合う橋で内側の濠を渡って,城壁に開けられた狭い門をくぐる。地図に従い直進。そしてその角にまばゆく輝く蛍光灯,ウィンドウに並ぶ色とりどりの生地と華やかなアオザイ・・・ここにあるじゃないか。
 以前に訪れた北部のサパや,南部のサイゴンでも感じていたが,「地○の歩き方」はこと地図に関しては当てにならないところがあると再認識(これは当時の話。現在は改善されていると思う)。
 蒸し暑さで高い不快指数のせいもあり,心の中で思わず毒づいてしまったが,これから由緒正しい(?)アオザイを仕立てるのだ。気を落ち着けねば。


Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2016/09/21(水) 12:02:03|
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No.1454:夜行列車で フエ(Huế)~サイゴン(Sài Gòn) 1[旅行記-ヴェトナム]:1995.03.20

 ・・・窓ガラスを通して差し込んでくるまばゆい朝日で目が覚めた,と書きたいところだが,残念ながら本日も曇天。雨こそ降ってないが,昨日と同じく薄ら寒そうだ。
 夜行列車にはシャワーはついていないと聞いていたので,まずシャワーを浴びて体をきれいにしておく。乾いた咽喉を昨日の残りのミネラルウォーターで癒すと,さあ荷造りだ。2日間腹をほぼ空っぽ状態にしていたバックパックに物を詰め込んでいく。ティエンムー寺で買わされたカードは,折れないように本に挟んでおこう。

 まとまった荷物を肩に,ゆっくり階段を下りて行く。フロントのアオザイ姿がにっこり微笑む。手際よく精算をしながら,
 「今日はこれからどこへ?」
 「列車でホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh)に戻ります。駅まで一昨日のドライバーガイドに連れて行ってもらうように頼んでいるんだけど」
 「それじゃ,ここのカフェで待っているといいわ。外がよく見えるし」
 商売もそつがない。
 言われるとおりに椅子に腰を下ろして,ヴェトナムコーヒー(Cà phê sữa)を注文。コーヒーは特に好きというわけではなくて,どちらかといえば紅茶党なのだが,このヴェトナムコーヒーはお気に入りだ。量は少ないが,味が濃くてとてもおいしい。

 本など読みながら,ちびりちびりコーヒーを舐める。時折顔を上げて,ドライバーが来ていないか外を眺めるが,まだのようだ。
 カフェのお客は僕一人だけ。暇そうにしていたホテルの従業員が近づいてきた。
 「どちらから来ましたか?」
 割りと聞きやすい英語だ。・・・僕の方がずっと下手くそだった。
 「日本・・・広島から」
 「フエはどうですか?」
 「落ち着いたいい街ですね。僕は歴史が好きだから,こういう街は大好きですよ」
 「今日はもうここを出るんですか?」
 「10時発の列車でホー・チ・ミンに戻ります。・・・頼んだ迎えの車を待ってるんだけど,まだ来ないんですよ」
 「切符は買っているんでしょう? だったらまだ時間はあるから大丈夫ですよ」
 そう言って,また持ち場に戻って行った。

 おいしいコーヒーももう飲み終えて,カップは空っぽになった。約束の時間はとうに過ぎているのに,あの自動車はやってこない。呑気な僕も,ちょっと焦ってくる。
 僕の前に座って話し相手をしていた従業員の彼も心配してくれて,おじさんの家に電話をしてくれた。
 「・・・もうだいぶ前に出てるそうですよ」
 「え? 家はここから近いって言ってたけど」
 「約束,忘れちゃったのかもしれませんね」
 「えーっ!」
 駅まで行く手段はいくらでもあるが,ちょっとショックだ。
 がっかりしていると,
 「もう少し待ってもらえれば,僕が送っていきますよ」
 そう言って,フロントと何やら話をして戻ってきた。
 「OK。すぐに行けますよ」
 言い残して,裏へ消えていった。読みかけの本をしまい込み,荷物を肩にかけてロビーへ。「いい旅を」と相変わらずにこやかなフロント女性。
 トットットッとエンジン音も軽くカブがやってきた。グレーのジャンパーを羽織って運転しているのは・・・彼だ。お仕着せの蝶ネクタイとベストを脱いでいるので,一瞬わからなかった。

 バックパックをしっかり背負うと,彼の後ろに跨がって出発。普段バイクに乗っているとはいえ,タンデム(カブだから,そんな気取ったものではないが)は少々恐い。・・・そんな僕の気持ちにかまわず,カブは通りをすっ飛ばす。
 駅まで直行するのかと思いきや,彼は河岸の公園に入って止まった。頭の中の地図を検索するに,ここはホー・チ・ミンが幼少時に勉強したというクォックホック(Quốc Học 国学)前だ。
 「ここで記念写真を撮りましょう」
 エンジンを止めて振り返り,にこやかに言う。
 クォックホックの丹色の門をバックに,観光客相手に写真を撮っている男に頼む。
 いくらかな?と思っていたら,「僕が払いますよ」。でき上がったら送ってくれると言う。それでは申し訳ないので,僕のカメラで違う構図を撮ってもらって,僕も送ることにした。
 再びカブに跨がって,すいすいレ・ロイ(Lê Lợi)通りを走り抜け,駅に着いたのは発車の40分前。

 まだまだ時間があるので,駅前の露天のカフェに座り込んで,四方山話の続き。
 彼がホテルで働いているのは,僕のような旅行者をつかまえて外国の話をいろいろ聞きたいから,だそうだ。フエ付近の風土は子供の頃の日本の田舎の風景によく似ていてとても懐かしい,と言うと,「そうなんだ」と驚いていた。
 ・・・話していると時間がすぐ経つ。もうそろそろ列車が入ってくる頃だ。お互いのメモ帳を取り出して,住所と名前を書き合う。
 名残は惜しいが,行かなければ。Nguyen Quoc Dung君,ありがとう。君のホスピタリティのおかげで,フエのイメージが一段とよくなった。



Google Map Huế, Vietnam(1995.03.20)




 ホー・チ・ミン市のことを旧名のサイゴンで呼ぶのは,そのような個人崇拝化をホー・チ・ミン本人は望まないだろうと思うからであって,特に他意はない。




BGM NOW
Satie/あやなす前奏曲[★★★★]
  1. 2009/02/26(木) 08:57:49|
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No.1441:霧雨のフエ(Huế)16[旅行記-ヴェトナム]:1995.03.19

 ・・・などとぼんやりと考えに浸っていたら,いつのまにか子供たちの歓声が聞こえなくなっていた。遊び場を変えたか,家に帰っていったらしい。時計を見ると16時半。ボートトリップの船が何艘も戻ってきてお客を下ろしている。
 日も傾いてきた。もう市場見物をする気は完全に失せていた。そろそろ宿がある新市街へ戻ろう。


富春橋


 新旧両市街を結ぶフースァン(Phú Xuân 富春)橋は,朝と同じくシクロ・二輪車の川。左右にある歩道を歩いているのは僕ぐらいだ。どういうわけか,ヴェトナムの人々はあまり歩くのを好まない。暑熱の季節が長いために,体力の消耗を避けようということなのかもしれない。ちょっとそこまでの距離でも,シクロなどに乗っていく。僕のように自分の足でのんびり歩きながら見て回りたいという外国人は,かなりの物好きという扱いを受けることが多い。
 南国ヴェトナムにいるとは思えない,冷たい河風を浴びながらとぼとぼ渡る。本人の意識ではそんなしょぼくれた姿ではないのだが,シクロや二輪車に乗っているヴェトナムの人たちから見たら,おそらくそう見えていたに違いない。

 渡り終えて信号待ちをしている間に,これからどうしようか考える。・・・そうだ,夕餉にしよう。
 まだ早い? 大丈夫。今からガイド片手に適当な店を探し回っていれば,方向音痴の僕のこと,うろうろ歩き回って遠回りをし,腹を空かせるという算段だ。
 では,どこへ?
 昨夜はフォーとパンみたいなもので簡単に済ませてしまったから,今日はきちんとしたレストランか何かで食べたい。・・・ところが,当時の「地○の歩き方」にはフエのレストランは3つしか挙げられていなかったのだ。一つはお昼に使ったところ,もう一つはセンチュリーホテルの中でおいしいには違いないだろうが,間違いなく高い。大体宿から近くて,すぐにわかるところにあるから,空腹になるには不向き。というわけで,消去法でアンフーという店に決定。
 さて,問題はどう歩けばいいかだが,幸い(?)地図が大雑把なので,それを見ただけではまっすぐには行けそうにない。街を眺めながら,ぶらぶら彷徨うのを楽しもう。

 工事中のチャンティエン(Tràng Tiền)橋のたもとを通りすぎ,センチュリーの前あたりで右に入る。2ブロックほど行けば目的の店があるはず・・・だが,予想どおり,影も形も見当たらない。
 ふふ,やっぱり。
 心の中でくすくす笑いながら,今度はこっちだと歩き出す。最初の目論見が外れた時に思いつきで歩き出すから,「方向音痴」という結果になる。いつまでたっても治らないが,思いもよらない発見があったりして楽しいので,治す気もない。
 てくてく歩いていると,ちょっとした遊園地というか児童公園みたいな施設があった。両親らしい大人たちと手をつないで歩く男の子。遊具で遊んでもらっている女の子。はしゃいでいる彼らに,サイゴンのヴィンギェム(Vnĩh Nghiêm 永厳)寺で案内をしてくれた男の子がふと思い出された。寺で養育されている孤児らしい彼。案内の途中でふと思いついて手をつないだ時,一人前に達観したような表情が破れて子供らしい笑顔になったのが,ちょっとだけ哀しかった。

 歩いても歩いても,店は見つからない。
 道々カフェとかフォーやコム(Cỏm 飯)の店はたくさんあるが,アンフーだけは見つからない。おかしいな。「外国人がよく行く」そうだから,すぐわかりそうなものだが。・・・もうちょっと歩いてみよう。
 ・・・しかし「もうちょっと」歩いても,やっぱり見つけられなかったのだった。もう時間は18時過ぎ。1時間半もふらふらしていると,さすがにお腹も空いたし,何より足が疲れてきた。
 こうなると,半分自棄になってくる。四の五の言わずに,次に見つけたレストランに入ろう。

 そして飛び込んだのが「****」(店の名前を控えるのを忘れてしまった)。壁に緑の蔦を這わせたお洒落な建物。ガーデンテラス風の造りの一角のテーブルに案内され,渡されたメニューを開く。何があるか楽しみだ
 さまよう視線が止まったのは,「Ếch Chiên Bỏ:Frog fry」?! そういえばカエルは長いこと食べていない。これにスープとチャーハンにしてみた。
 しばらくして出てきたのは,山盛りの後ろ脚。まさか丸ごとは出てこないだろうとは思っていたが,心の中ではそれを少し期待したりもしていた。旅の話のネタになるだろう,と。
 それはともかく,揚げたてでほかほかと湯気を立てておいしそうなキツネ色だ。鶏のササミのような淡白かつ上品な味。出てくる骨は手羽先に似ているし,何も言わずにぽんと出されたら,大抵の人はカエルだとは思わずに食べてしまうだろう。・・・そして,食後に骨に水かきが付いているのに気がついてショックを受ける。偏見,だな。

 20分後,テーブルの上には,うず高く積まれた水かきつきのカエル骨が風に吹かれていた。さて,何匹食べたことになるのだろうか。おいしくいただいたから成仏しておくれ。

 そろそろ宿に帰ろう。もう外は薄暗い。ぼんやりとした街灯を頼りに,街路表示とガイドの地図とを見比べながら道をたどりたどり,さして迷うこともなく無事到着。
 明日は,ここを出発してサイゴンへ戻る。予約したヴェトナムの夜行列車はどんな風なのだろう? その沿線の風景は? ・・・遠足の前の日の小学生だった頃のように,なんだかわくわくしながら眠りに就いた。



Google Map Huế, Vietnam(1995.03.19)




BGM NOW
Einhorn/Voices of Light : 01. Exclamavit[★★★★]
  1. 2009/02/20(金) 08:58:48|
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No.1423:霧雨のフエ(Huế)15[旅行記-ヴェトナム]:1995.03.19

 腹がくちくなり,足の疲れもところで,また観光再開。
 地図を頼りにフエ宮廷美術博物館(Bảo Tàng Mỹ Thuật Cung Đình Huế)へ。内堀の外側,さほど離れてはいなかったが,残念ながら休館中だった。内部改装でもやっているらしい。ここは,阮朝皇室の遺品類が展示してあるということだったので,期待していただけに残念だ。
 建物の中には入れなかったが,庭は開放されていたので入り込んでみる。建物はこれまで見てきたような平屋に橙色の瓦葺の宮殿風。昔から残ったものなのか,それとも再建されたものなのか。
 庭の手入れはかなり行き届いている。草もあまり目につかない。中央に巨大な大砲が置いてある。これも阮朝の遺品か?
 庭の隅の方では,幼子たちが木に登ったり鬼ごっこらしきことをして遊んでいた。時間が存在しないかのように楽しげだった。

 さて,これからどうしよう。この美術館で1~2時間はつぶれると思っていたのに,当てが外れてしまった。もう大内がらみの主な観光名所は見てしまっている。とりあえず,旧市街のドンバ市場(Chợ Đông Ba)をうろついて雰囲気を味わってみようか。
 来たのと同じガン門を通って外堀の外へ。目の前のレ・ズアン(Lê Duấn)通りを東へ歩く。河沿いは緑地帯か公園になっていて,子供たちのはしゃぐ声が植込み越しに聞こえてくる。かけっこと鬼ごっこを合わせたような遊びだ。
 通りの反対側は店が顔を並べている。パン屋,ソニー製品の店,ガソリンの計り売り(!),Tシャツを吊るした服屋,食堂・・・。人や車,バイクにシクロ,自転車の通行量も多く,渡る人々も間合いを計るのが難しそうだ。もちろん活気もある。
 ・・・けれど。元来が僕はあまり人が多いところは好きではない。神経が疲れるからだ。近づくにつれて次第に市場へ行ってみようという気が萎えてきて,とうとう道端に立ち止まってしまった。やっぱり,やめておこう。
 すたすたと通りを横切って,河岸の公園の門をくぐる。子供たちの遊びは続いてる。邪魔をしないようによけながら横切り,河の水面に一番近いベンチにそっと腰を下ろした。ここからは,河を行き交うボートや船がよく見える。

 河面を渡る風は,霧を含んだように湿っていて喉にやさしい。どんよりとした曇り空と湿気のために,観光客用ボートや対岸の木々もしっとりと落ち着いて無彩色がかっている。水墨画,とまではいかないが。
 ・・・総体に,このフエという都は「こわばった」ところのない,どこかおっとりとした雰囲気が感じられる。天候のせいもあるだろうが,落ち着いた,古い言い方を使えば「いと静謐なる」風情。首都としての歴史はたかだか150年くらいしかない(それ以前から広南阮氏[阮朝の祖先]の根拠地ではあったが)のに,日本の奈良や韓国の慶州にも劣らない風格を持っている。悠々と流れるフォン河のイメージがそれを助けているのか? そういえばこの二つの都には大きな河は流れていない。
 ここにはまた来よう。そう,よく晴れた日に。もの皆くっきりと明らかにしてしまう南の太陽の厳しい光の下でも,フエは「静謐さ」を保っているだろうか?



Google Map Huế, Vietnam(1995.03.19)




BGM NOW
Lipps Inc./Funkytown[★★★★★]
  1. 2009/02/13(金) 08:45:52|
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No.1402:霧雨のフエ(Huế)14[旅行記-ヴェトナム]:1995.03.19

 こうして歩き回っていると,既にお昼を過ぎていた。何を食べようか。
 ここでまたガイドブックのお世話になる。・・・大内(Dại Nội)の東側にオンタオというレストランがあるのを見つけた。地元の人もよく行く魚料理がうまい店,という謳い文句。ちょうど反対側だが,散策がてら行ってみよう。

 午門(Ngọ Môn)から出て,てくてくと並木道を歩く。ここでまた絵葉書売りに捕まったが,もう昨日買っている。別のお客を見つけておくれ。
 内堀にはホテイアオイのような水草がたくさん浮かんでいた。閉ざされた水のようで,魚の姿も見えない。もちろん釣りをする人もいるわけがない。もしかしたら,当局から禁止されているのかもしれない。
 大内の東側,内堀を渡る橋の前までやって来た。中にあるのだから,ここを渡ればいいのだろう。渡った向こう側は,・・・両側が壁になっていて,何だかよくわからないところだ。
 はて? 門が立ちはだかっている。ここまで店らしいものはなかったよな。見落としたか,と引き返してみてもやっぱりない。と,いうことはだ。
 「門の中ぁ?」
 門=料金支払い,と思い込んで僕は思わずむっかりしたが,食欲には勝てない。渋々ながらくぐってみると,料金所は存在しなかった。どうやらここからは大内には入れないようにしてあるらしい。

 目指すオンタオはちょっと先にあった。内堀の中にあるということは,昔の廷臣だか貴族だかの邸宅の跡を改装でもしたのだろうか。そんなことを思わせる立派な門を入ると,そこは広い庭。木陰やテラスにテーブルが置かれている。無論建物の中にもあるが,そこは今しも団体が占領中。快晴ではないので気分としては今ひとつだが,外のテーブルに座ろう。
 店の人は団体さんのお相手にかかりっきりで,なかなかこっちにまで注意が向かない。こういう時,僕はじっくり待つ主義だ。そりゃもう死にそうに腹ぺこだ,とか時間が迫っていて,というのなら話は別だが,そうではないのだから向こうの手が空くまで本でも読んで暇をつぶそう。
 ・・・20分後,どやどやと大勢が出て行った。欧米人のツアーだ。これからバスに乗ってどこへ行くのだろう。
 見送りに出ていた中年男が,振り返ってはたと僕の存在に気づく。「ありゃりゃ!」みたいな顔であたふたと傍に寄ってきた。しきりに謝るのを鷹揚に笑って,早速メニューを見せてもらう。
 ほう,ウナギがある。鍋仕立てになっている。昨日はあまりいいもの食べていないから,これを頼んでみよう。それとチキンライス,飲物はマンゴージュース。
 遅ればせながらおしぼりが出てきた。よく冷えていて,湿った空気の中でぬめりを帯びてきた手を拭くと気持ちがいい。

 ジュース,チキンライスの順に出てきて,さてトリのウナギのスープ煮。小さなコンロを皿に載せて中年男が捧げ持ってきた。テーブルの上に置いて,大袈裟なジェスチャーで上の鍋を指し示しながら,「ささ,どうぞ」。・・・このあたり,いかにも大内の中で営業しているレストラン,という感じがする。
 中にはスープがぐつぐつ煮立っている。たっぷり野菜が入っているのが嬉しい。スプーンが巨大化したような玉杓子でお椀によそって,では「いただきます」。
 スープの味は・・・赤っぽくてピリ辛,でも辛いだけではなくて色々な旨味が出ていて,何ともいえずおいしい。似ているが,韓国のチゲほど辛味が突出しているわけではない。さて,ウナギは・・・!
 なんとブツ切り状態のやつが,スープの中に居座っている。・・・これは,予想もしていなかった展開だ。てっきり骨を離して切り身状態で入っていると思っていたのに。
 念のために箸でつついてみると,確かに骨が存在する。よく見ると,背鰭もついている。これは困った。こんな生々しい状態のものなんか食べられない,などというやわな神経は持ち合わせていないが,問題は食べ方だ。僕の箸の使い方は「不器用」の一言に尽きる。使いなれた箸ならそれでも何とか扱えるが,この店のは気取った象牙風プラスチック,しかも先が太い。試しに身をむしろうとしたら,一切れ分が終わらないうちに指先がぷるぷると痙攣を起こしかけた。
 こうなったら仕方がない,行儀悪いが丸ごと口の中に放り込んで,骨だけを吐き出そう。幸い身離れはいい。
 「むぐむぐ・・・ぺっ」
 「へええ,ウナギって意外とあっさりしてるんだ」
 「白身魚みたいだな。これはいけるいける」
 「ん? 何だこりゃ,全然身がついてないぞ。・・・ぎゃあ!頭だぁ」
と,一人漫才しながら,おそらく二人前分の鍋をぺろりと平らげた。

鰻のスープ


 食後のマンゴージュースがうまい。どろっとしていて,「搾ったまま全然薄めてませんぜ」とでも言いたそうな濃い味。ストローに詰まりやすいのは困りものだが。



Google Map Huế, Vietnam(1995.03.19)




BGM NOW
Fly to the Sky/Rains[★★★★★]
  1. 2009/02/06(金) 09:03:29|
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プロフィール

Ikuno Hiroshi

Author:Ikuno Hiroshi
Self
↑現在  ↓過去の一時期
755860.jpg
広島から沖縄へ移住した100%ゲイ。
年齢不詳に見えるが五十路を越えた。
ハッテンバで出逢った10歳下の相方と
・・・何年目だっけ? でも,いつも
いちゃいちゃ熱々バカッポー実践中。

LC630以来の筋金入り林檎使い。
Power Macintosh 7300
→ iMac(Blueberry)
→ eMac
→ iMac (20-inch, Early 2009)
虎→雪豹→獅子丸
→山獅子→寄席見て
→得甲比丹
そして,満を持してiPad mini!
更に,iPhone6!
ネットはNiftyServe以来の古参兵。

ついでに典型的なB型的性格。
パタリロのギャグは
ほぼ暗記しているらしい。
猫・犬複本位制だったが,
現在は,猫本位制に移行。
芸能・スポーツ以外の雑学王(笑)

HIV関連

財団法人 エイズ予防財団

HIV検査・相談マップ

読書中の本(2017.Apr.21~)

honto
江戸城−本丸御殿と幕府政治

ISBN :978-4-12-101945-5
深井 雅海著
中公新書(821円)

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