The 3rd. ..........なべてこの世はこともなし

 1999年に沖縄移住したゲイが垂れ流す身辺雑記,気になる記事,年下彼氏とのノロケ,過去旅話。

No.6889:古都フエ(Huế)散策15

 川風を感じながら,2人とも椅子の背にもたれてうつらうつらとまどろむ。30分くらい経ったろうか。
 Anさんがごそごそ動き出した。そろそろ行くのか?とカメラバッグを肩にかけようとしたら,「Wait.」・・・次に訪れる「扶光郡王邸宅」の場所を確認してくると言う。
 「個○旅行」に住所まで出ていたからそれもメモに書いておいたのだが,歴史に詳しいさすがのAnさんも,そこに客を案内したことは今までなかったようだ。隠れた名所,なのか。・・・それにしても,ガイドが知らないような場所まで載せているとは,とんでもないガイドブックだ。
 Anさんが出ていった後,見るともなしにフォン河(Hương Giang,香江)の流れを眺めていた。フエには都合3日の滞在だ。明日は大内(Đại Nội 大内,王宮地区)あたりを見て回って,明後日はどうするか。観光客らしく,郊外のビーチにでも行ってみるか? 泳ぐ気はないが,郊外風景が眺められるし。問題は,足だが・・・。
 などとぼんやり考えているうちに,Anさんが戻ってきた。ここからそう遠くはないらしい。ちらりと時計を見ると,15時前。遅めだが,気持ちよい昼休みだった。

 これから向かう「扶光郡王邸宅」は,阮朝後期(フランス植民地時代だ)の傍系皇族で,最後の皇帝・保大(Bảo Đại)帝フランス留学中に摂政を務めた尊室訢(Tôn Thất Hân)の住居だという。その功績によって,死去後に扶光郡王(Phò Quang Quận Vương)の爵位を追贈されたので,そう呼ばれる。
 91歳の長寿を保ったとはいえ,死去は1944年のことだから,ほぼ現代史の人と言ってもいいのかもしれない。

 グェンシンクン(Nguễyn Sinh Cung)通りを少し北上して右折,大き目の家の並ぶ住宅街っぽい小道へ入る。ここでしばし逡巡したAnさんは,メモした住所を通りがかりの人に見せて場所を確認して,再び走り出した。
 やがて着いたのは,広い整った庭を持った屋敷地。庭には鉢植えがそこここに置かれている。隅には怪石が据えられているのも見えた。正面には,コンクリートの現代風の建物。
 おもむろに中に入ってみると,庭の左手に軒の深い,日本風に言えば寄棟造り風の屋根の平屋があった。壁はラベンダーがかった薄い青,そこに開く小窓はパステルイエロー。
 と,そこまでは瀟洒な高級住宅と変わらないが,さすが傍系とはいえ皇族の一員の家だけあって,凝った造りがあちこちに見られる。軒を支えるのは木ではなく石柱。縦にすっと刻み目を入れて柱頭は花弁の飾り彫刻。軒の下の廊は美しい釉薬をかけた磚(タイル)敷き。
 母屋の前面に立てられた片開きの舞良戸はマホガニー色で,5つの方形の部分に分けられてすっきりとした幾何学的な彫りが施されている。

 落ち着いたいい感じの家だな。感心しながら早速中へ入ろうとしたら,出てきた若い男に制止された。
 Anさんと彼がしばらく話した結果,わかったこと。ここは個人の所有で,現在もその人が居住している。その女主人の許しがあれば中を見ることもできるが,あいにく現在サイゴン出張中なので,彼(住込みの管理人だそうだ)の一存では入れられない・・・。残念だが,公開されていないのでは仕方がない。
 開いている扉を通して外から眺めたり写真を撮ったりする分には構わないというので,敷居を跨がないでじっくり見させてもらうことにする。
 中もやはり磚敷きだった。柱は濃いマホガニー色の丸い木材,その足下は壺型の石材。壁は外と同じ青に塗られていて,見た目にも実際にも涼しそうだ。暑熱のフエの気候に合った,合理的な造りと言える。
 で,問題は調度。これがまた立派なもので,見えたのは応接セットと衝立てだけだったが,どちらも細かい透かし彫りに装飾彫刻がきっちりと施されていた。椅子の背は左右から龍が守るデザイン,衝立てには豪華な螺鈿が全面にちりばめられて外からの光に輝いている。アンティーク好きが見たら涎を垂れ流しそうな品々だ。
 事業をやっているという女主人,元からあった家具調度を使ってこうして住みなしているのは,きっと素敵な人柄なのだろう。・・・革命やヴェトナム戦争があったから,尊室訢の子孫なのかどうかはわからないが。
 ここは,もう一度来たいと思った。是非とも中をきっちり見たいものだ。


扶光郡王邸宅

扶光郡王邸宅

扶光郡王邸宅

扶光郡王邸宅
Google Map(個人所有の邸宅につき,場所は表示しない), Vietnam(1998.03)




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  1. 2018/03/26(月) 10:35:03|
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No.6837:古都フエ(Huế)散策14

 さあ昼飯だ。で,どこへ連れて行ってくれるのかな?
 「I know a good Vietnamese Restaurant.」
 Anさんのお薦めなら間違いあるまい。
 日常生活では少々食べずとも空腹を感じることがあまりないし,腹の虫が鳴くことも滅多にない体質なのに,なぜか旅行に出るとやたらお腹が空くのはなぜだろう。身体を動かすことが多いからというわけではないと思う。バイクでツーリングに出た時もそうなのだから。

 それはともかく。
 カブが我が物顔で走るディエンビエンフー(Điện Biên Phủ 奠邊府)通りに戻る。通りと言ってもここは地方都市,店やら低いビルがひしめきあっているわけではない。ほとんど民家ばかりだ。南郊を背に北上すると,フォン河沿いのレロイ(Lê Lợi)通りにぶつかった。このまままっすぐ行ったら河底を走ってフラッグタワーの真正面に上陸できる,はずだ。無論そんなことをするわけもなく,バイクはずんずん東へ東へ。
 フースアン(Phú Xuân),チャンティエン(Trường Tiền)両橋も通り過ぎ,ホテル・フォンザンも行き過ぎて。フォン河の支流を渡って,昨夜雨のために食堂探索を断念した向こう側,グェンシンクン(Nguễyn Sinh Cung)通りへ突入。
 しばらく行った先,建物もまばらな郊外といった雰囲気になったあたり。ちょっと昔の日本のドライブインっぽい構えのところに,Anさんはバイクを止めた。ここが目的のレストランか。Que Huongと看板がかかっている。
 フォン河に面した広い敷地の中に東屋風,ステージ,風通しのいい本館が並んでいる。本館では,折しも白人ツアー客たちが飲み食いの真っ最中だった。
 通りすがりのウェイトレスを捕まえて,本館に空席はないのか?と頑張るAnさん。ないものはないと断わるウェイトレス。結局東屋風のテーブルに陣取ったものの,ウェイトレスたちはみんな向こうにかかりっきりになっていて,僕たちは放置。仕方がないね,と二人顔を合わせて肩をすくめた。

 ちょうどいいから,さっきの「ピーシュ」とやらについて聞こう。
 とん,とテーブルの上に置かれた3つは,小さな洋梨形をしていて,濃いピンク色に艶のある肌,とどう見ても色変わりのピーマン。でもその割には持つと中身が詰まっている,という重さ。
 で,これは一体何?
 「This is "ピーシュ".」
 いや,そう言われても,何のことやらわからない。メモ帳を取り出して綴りを書いてもらうと,  ”PEACH FRUIT” もしかしてピーチ? 植民地時代の影響で,フランス語風の発音のまま定着したのか?
 それはそうと,桃ということか? その横に書かれた”Trai Dao”の後ろ半分も「桃」という漢字語だと思われるが・・・桃にしてはツルツルと滑らかな表面,しかも堅い。日本語での桃とは物が違い過ぎる。
 眉間に皺寄せて悩んでる僕を面白そうに見ながら,Anさんはこれを食後に食べよう,と涼しい顔で言った。

 やっと手のあいたウェイトレスがやってきた。主任クラスらしい中年の女性。まとめた髪にアオザイがよく似合っている。
 カニ入り焼飯(Cơm Chiên Cua)と生春巻き(Gỏi Cuốn),それにAnさんお勧めの鳥肉料理(料理名は控え損なった)。飲み物は,AnさんはFUDAビールの缶,僕は氷入りのオレンジジュース。
 まずは運ばれてきた飲み物で乾杯。団体客に手がかかっている割には,ひどく待たせることもなく料理が運ばれてくる。どうやらキッチンの佳境は過ぎていたらしい。
 とりとめもないことを喋りながら,次々に出てくる料理を小皿に分け合って食べる。蒸して焼いたらしい鳥肉料理は,ニョクマムが効いていてとてもおいしかった。
 さて。食後のデザート,謎のピーシュの登場だ。どうやって食べるのだろう?
 おもむろに一つ取り上げたAnさん,両手の間でぐっと押さえつけて中身を砕くような感じで揉む。そうして蔕の部分に指をかけて一気にまっぷたつ。パカッとシャリッの合いの子のような音と一緒に割れた中身は,雪のようにまっ白い。まん中に丸い種があるのをほじくりだして,「Finish.」あとはそれをそのまま皮も剥かずに口に入れるだけ。
 見よう見まねでAnさんがやった通りにやってみるが,意外に頑丈だ。指先にぐっと力を入れると,やっと割れた。早速口へ・・・味は,桃とは全く違う。林檎のような爽やかな酸味に淡いグラニュー糖のような甘味,歯触りは林檎よりも軽くてさくっとした感覚。食後に口の中をさっぱりさせるのに最適な果物だ。

 そんなことをしているうちに,向こうの白人連がどやどやと出ていった。これからどこへ行くのやら。やれやれ,という風情でスタッフ総掛かりで後片づけし始めた。
 Anさん,通りがかったあの主任ウェイトレスに何やら言っていたが,
 「Let's move to the side of river.」
 人がいなくなったので,本館の河べりの席に移らせてもらうわけ。・・・この東屋もけっこう風通しがよくて過ごしやすいが,残念ながら眺めはよくなかったのだ。
 小さな木陰の丸テーブル。椅子を蔭に片寄せて,二人して座って昼飯後の無為の時間を過ごす。ふと思い出したようにAnさんが手帳を取り出して,少し眉間に皺寄せながら書き始めた。
 「Do You write any poem?」
 見せてくれた手帳には,今できたばかりのヴェトナム語の詩。ついでにさらさらっと河岸の風景もスケッチされていたりする。さすが教養派のガイド。ヴェトナム人は詩が好きと聞いたことはあるが,目の前で書く人は初めてだ。
 負けずに何かひねり出そうと思ったが,英語の詩など作ったことがない。日本語でなら短歌,俳句,適当な短詩もできはするが,それではAnさんが読めないし,と断念(よく考えたら,向こうも僕に読めないヴェトナム語で作ったんだから,深く考えずに日本語で作れば良かったのだ)。

 そうしてる間にも,横の河面を何艘もの舟が行き交う。トンボが少しだけ空に浮かんでいるのは,獲物を狙っているのか,相方を探しているのか。向こうの中洲には立派なヤシの木に囲まれた煉瓦色屋根の家。蒲鉾型の苫屋根をかけた水上生活者の舟の群れは,静かにさざ波を受けている。緑たっぷりの岸辺。
 日に照らされてはちょっと滲み出す汗が,川風に蒸発して爽快さをもたらしてくれる・・・こうやって無為に時を過ごすというのも,いい。


フォン河の水上生活者

フォン河の中州

20180228c.jpg
(別の時に撮ったチャイダオ)
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2018/02/28(水) 09:41:23|
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No.6728:古都フエ(Huế)散策13

 時計を見たら,もうお昼時を過ぎていた。ちょっとお腹が空いてきたな。
 そんな僕の考えがわかったのか,Anさんはバイクに乗る前に,次のお寺の後で昼飯にしよう,と言った。
 その寺,バオクォック(Chùa Bảo Quốc 報国)寺は,このディエンビエンフー(Điện Biên Phủ 奠邊府)通りからは少しばかり引っ込んでいた。
 ちょっとした小路めいた道へ曲がって,すぐ。緩やかな階段の上,古めかしい門があった。階段の前には涼し気な木陰と瀟洒な家。そこにバイクを停めて,門を見上げた。
 「勅賜報国寺」・・・3つのアーチ門を持った屋根つきの寺門には,麗々しくそう書いた額が掲げられている。
 1674年に創建された古寺。当時もフエは阮朝の先祖・広南阮氏の支配下にあった。それが阮朝になってミンマン帝の時に国寺として認められたとか。もしかしたらこの額は,ミンマン帝の直筆賜額かもしれない。

 時の流れのせいか黒ずんだ,でもそのおかげで落ち着いた感じを与える門をくぐると,前庭になる。両脇からプルメリアが枝を伸ばすが,ここの花はまだ咲いていない。
 中からしげしげと眺めた門には,軒や柱の上などに緑のシダが生えていたり,また反り返った屋根の片方には装飾の龍が欠け落ちていたりして,ちょっとだけ侘びしさが漂っていたりする。
 何もない方形の中庭の次には,5段の石階を隔てて緑豊かな庭。低く刈り揃えられた植込みに囲まれて,地面からしっかり生えている潅木がたくさん配置されている。人工的に枝を曲げたり刈り込んだりして作りあげたトピアリー風のものより,こちらの方が僕の好みだ。

 その奥に立つのが本堂。龍を浮き彫りにした柱に支えられた軒の中,入口の木柱は赤く,壁は山吹色。そして扉はシックなマホガニー色。南国の明るい日光の下で,これ以上はないくらいしっくりとしている。
 ・・・で,肝心のその扉は,これまた閉まっている。御本尊がどんな姿が拝んでみたかったのだが,お昼時の休息時間では,仕方がない。
 実際,境内にはまったく人影がなく,しんと静まりかえっている。真昼の夢の中に沈んでいるみたいに。僕ら以外に動くものといっては,時おり吹く微風に揺れる木の葉だけ。暑すぎるのか,大きな黒い蝶も日陰の葉っぱに止まってじっとしてる。・・・まあ,いいか。また次にフエに来た時の楽しみにすれば。

 門前の家の庭先に大きな樹が生えていた。実っているのはピンク色のピーマンに形も大きさもよく似た,艶々とした果実。そういえばこの実,ヴェトナムのあちこちで見かけてきた。食用なのか,それとも観賞用か?
 「What's this?」
 バイクの準備をしていたAnさん曰く「ピーシュ」。怪訝な顔をしていたら,やおら手近なやつを3個もぎ取って,ジャンパーのポケットに入れた。後で説明するつもりらしい。
 バイクに跨がろうとした時に,列車がレールのジョイント部分を渡るリズミカルな音が聞こえた。どうやらこの辺りはフエ駅の裏手にあたるようだ。


フエ:バオクォック寺

フエ:バオクォック寺

フエ:バオクォック寺

フエ:バオクォック寺
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2018/01/10(水) 01:00:49|
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No.6603:古都フエ(Huế)散策12

 船着場に戻ると,船頭の青年は岩場に座って,他の舟の船頭たちとお喋りに興じていた。僕らが乗り込み座ったのを確認して,固定していた綱を解くや,ひらりと乗り移ってすかさずエンジンをかける。
 相変わらず音の割にはのんびりと対岸まで戻った。Anさんが料金を僕に告げる。彼の人柄からして,たぶん適正な金額なのだろう。言われたとおりに支払って,渡し守の家の蔭に置いたバイクに跨がる。
 次はどこだろう? そう尋ねた僕に,AnさんはこれからSpecialなところへ案内する,と答えた。これまでに喋った中身や見たいと伝えた場所などから,僕が相当な歴史好きだとわかったらしい。普通のガイドブックにも出てないようなところだろうか?
 「Nam giao.」
 ナムジャオ・・・ナムジャオ・・・頭の中の拙い漢越語発音データベースでは変換できない。まあ,行ってみればわかるだろう,多分。

 Anさんの操るバイクは,見覚えのある道を幾つか通って市街の方へ戻ってゆく。空も次第に明るくなって,また日射しが復活してきた。
 ところどころに小さな間口の店を交えた家並の間を過ぎて,けっこう広めな道とのT字路に着いた。バイクはそこにある松林の中へ。強い日射しを避けて松の枝の蔭に止まった。
 「Here is Nam giao.」
 松林の間,甎を敷きつめた道がまっすぐ続く。その先には何やら壇のようなものが見えた。何だ? 思わず小走りになってそのまま数段の階段を上る。
 そこは固い砂地の丸い壇。外側と内側とで二重になっている。そして何もない。あるのは周囲を囲んだ石の欄干だけ。そう,中国の天壇から建物を取り除いたような姿。勿論,あれよりは規模は小さい,と思う。上から観察すると,二重の円壇は更に二重の方形壇上に載っていた。
 欄干は4ヶ所が切れていて,全てに階段が設けられている。太陽の位置から察するに,東西南北だ。東西南の3ヶ所には排障(視線を遮るような壁状の目隠し)があった。
 階段の甎が傷んでいたりするが,さほど荒れた感じはしない。

 「In Nguyen dynasty, the Emperor came here and prayed.」
 3年に1度象に乗ってここへ行幸,2晩かけて祭礼を行ったそうだ。
 ここでぴーんとひらめいた。Nam giao=南郊だ。中国では,かつて都に南郊と北郊という二つの壇があった(王朝によって制度が違うが)。そして冬至に南郊で天を,夏至に北郊で地を皇帝(または代理者)が祀っていた。
 Anさんは,阮朝の皇帝たちがここで何を祀ったのかまでは知らないらしい。僕の知識とは頻度が合わないが,恐らくそうした中国の皇帝祭祀に倣った,小中華帝国としてのヴェトナム王朝の祀りが行われた場所に違いない。
 これに類した施設が,同じく中国・明の制度を継受した李朝時代の朝鮮にあったろうか? 社禝壇はソウル市内にあったが・・・留学当時はまだ祭祀そのものにはさほど興味がなかったから,注意していなかった。
 「Look!」
 壇から降りて前の通りに出た時,Anさんがまっすぐ指差した。
 「You can see the flag tower.」
 通りの遥か彼方に,遮るものもなく真っ赤なヴェトナム国旗が風に翻っているのが見えた。
 この通りの名前はディエンビエンフー(Điện Biên Phủ 奠邊府)。慌てて「個人旅行」を取り出してフエのマップを開いてみた。確かにこの通りはダイノイ(Đại Nội 大内,王宮地区)のフラッグタワーからフォン河を挟んで,南へ一直線に延びている。この構成には意味がある筈だ。
 もしかして,この線の延長線上,大内の北にはここに対応する北郊の遺跡があるのでは? そう思ってAnさんに「Where is the Bac giao?」と尋ねてみたが,首を横に振られてしまった。存在しないのか,それともAnさんが知らないだけなのか。

 だけど,これは面白かった。久々に知的好奇心が満足したというか,掻き立てられたというか。Anさんみたいに歴史に強いガイドに出会えて良かった。



ヴェトナム,フエ,南郊
一番下の方形壇から。

ヴェトナム,フエ,南郊
一番上の円形壇から南側。先を遮る排障が見える。

ディエンビエンフー通り
ディエンビエンフー通りのまっすぐ先に見える,フラッグタワーのヴェトナム国旗。この向こうに王宮がある。
Google Map, Vietnam(1998.03)



 20年も経った現在では,世界遺産登録もあって,周辺や道路も含めてある程度整備されているらしい。風の噂では,観光イベントとして南郊の祭祀も復活したとか。
 恐らく,雅楽なども演奏されるのだろう。機会があれば観覧したいものだ。



  1. 2017/11/14(火) 08:32:42|
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No.6510:古都フエ(Huế)散策11

 岩場に作られた船着場に二人降り立つ。険しい丘の斜面,狭い帯状の平たい場所に建物が配置されているらしい。Anさんの先導で,鬱蒼と頭上を覆う樹々の間の石段をホンチェン殿(Điện Hòn Chén)へと登る。
 ふむ。見た目は普通の小さな寺というか大きな神祠というか。ヴェトナムの主要民族であるキン族(阮朝の人々もそうだ)が南下してくる前に,中〜南部を支配していたチャム族(チャンパ王国)が祀っていた女神をそのまま受け継いだ神域なので,もうちょっと南方的な色合いが濃いのかと思ったが。

 建物の前,日本の神社でいえば狛犬がいそうなあたりに石彫りの象がある。4本の脚を折って跪いた恰好だ。このあたりはチャンパの匂いが少しする,とも思ったが,よく考えたら象は帝廟の前庭にも据えられていたりするのだ。どうやら,祀られている女神以外はキン族の文化に同化されているらしい。
 「In the back mountain, there are many snakes. Very terrible.」
 背後の山を指差してAnさんが説明する。神蛇というわけではないが,女神に関係があるらしい。お隣カンボジアのアンコール朝では,王が蛇の女神と神婚することで統治権を更新する習わしがあったとか。もしかしたら,チャンパ王国の時代にはここにも似たような神話・慣習があったのかもしれない。

 建物そのものは,風雨で色が褪せているため,渋く落ち着いた日本人好みの風合いになっている。古都フエの修復事業が進めば,ここも元通り塗り直されて鮮やかな姿になるのだろう。
 祀堂の中はちょっと薄暗い。赤く塗られた祭壇。設えは,やはり普通に中華混じりのヴェトナム風。花が生けられ,色づいたバナナが捧げられている。香炉の線香は煙を立ちのぼらせ,常にお参りする人はいるようだ。
 他の祀堂などと違うのは,平たい形の柄の長い傘が傍らに立てられていること。貴人の頭上に差しかけるものだが,これは女神用ということか。色とりどりの房が周りにぶら下がっていて,綺麗だ。
 祭壇の右側には,黄金色の布がかけられた寝台のような家具が置かれていた。普通,祀堂にはこんなものはないだろう。不思議そうに凝視している僕にAnさんがしてくれた説明では,これが女神の眠るという「ハンモック」だと。てっきりネットみたいなものだと思っていたので,わからなかった。
 寝台があるのだから,神像もあるかと目を凝らしたが特にそれらしいものは見当たらなかった。特に具象化はしてないのか,それとも秘仏のように厨子にでも納められているのか。

 姿の見えない女神に一礼して,外に。
 フォン河に面した石壁。樹々の緑の枝の間から鈍い色の流れが見える。ここから撮ってみたい。そう思ってファインダーを覗きながら良さそうなアングルを探していたら,いつの間にか傍に来たAnさんがぼそっと曰く。
 「You get on this wall, so You can take a good photo.」
 いいのだろうか? とりあえず,靴は脱いで上から1枚だけシャッターを押した。
 ところが。この時の写真は露出が適正でなくて,見られたものではなかった。その前後のものも,祭壇以外は写りが悪かったのは,やはり女神のご機嫌を損ねてしまったのか。
 それはともかく。頭上を覆う雲の向こう側が切れかけている。どうやら,また晴れてきそうだ。あまり暑くならなければいいが。
 石の基壇に並んで腰を下ろして一休み。そよ風に吹かれながら,拙い英語で四方山話で時を過ごす。



ホンチェン殿祭壇
右奥の黄色い布をかけられたところが,女神の休む場所。
Google Map, Vietnam(1998.03)




BGM NOW
Westlife/If I Let You Go[★★★]
  1. 2017/09/29(金) 08:24:59|
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No.6457:古都フエ(Huế)散策10

 来た道を少し引き返して,Anさんは半ば強引にバイクの進行方向を変えた。しばらく走って右折。薮っぽい小道が開けてフォン河の岸辺に出た。
 丈の高い木々に囲まれた空き地に家。竹を編んだ壁,土の三和土の褐色ずくめだ。淡いパステルカラーも素敵ではあるけれど,日本文化で育った者の目には,これも渋くて心地よい。エンジンの音に,地面に寝そべっていた犬が「んあ?」と頭をもたげて,またうとうとするお昼前。

 一応ここは渡し場ということになるらしい。Anさんが指差す対岸には,何艘もの舟が岩場に舫ってある。そしてその上には目指すホンチェン殿(Điện Hòn Chén)が。
 どうやら渡守のらしい褐色の家にAnさんが話をつけに行った。その間に僕は水辺に出てみた。ちょうど長細い舟が着いたところだ。残念ながら待っていた渡し舟ではなく,ヴェトナムの川ではよく見かける小舟。細く割った木を編んだ,というより並べて太い糸でかがった板状のものを両舷に渡して,半円柱形の屋根に仕立てた独特のシルエット。載せているのは太めの枝。
 ざすっと舳先が泥に食い込んだ音と共に,漕いでいた青年がひょいと下り立って,ぐいっと胴を引っ張って横付けに直した。そのまませっせと荷の枝を岸に積み上げ始める。これは燃料=薪か? それとも,何か別のことに使える(たとえば香木とか)ものなのか。・・・扱いの雑さからして,きっと燃料だろう。きびきびとした勤勉な雰囲気を漂わせる姿に,好感を抱く。

 Anさんが戻ってきた。しばらく待てば,向こうから来るそうだ。合図をするわけでもなさそうだが(勿論,当時は携帯電話などは普及していない),見えないところから狼煙でも上げるのだろうか,とふざけたことを思ってしまった。
 倒れた木の幹に腰かけてぼんやり眺める目の前を,派手に飾り立てたクルーズ船が波を蹴立てて通り過ぎていった。ここから上流なら,ミンマン(明命 Minh Mạng)帝廟だな。さすがにその大分先の荒れた初代ジャロン(嘉隆 Gia Long)帝廟には,普通の観光客は連れて行かないだろう。
 やがてエンジンを響かせて渡し舟がやってきた。河幅が広いし,まっすぐにこちらに向かっているから,なかなか近づくようには見えない。
 やがて目の前に来た舟は,枝を運んできたの同じ大きさ。ただし屋根なし。頭から岸の泥に突っ込んでストップ。先に乗ったAnさんが手を貸してくれようとしたが,大丈夫,身は軽いからと断った。
 こういうこじんまりとした渡し舟に乗る時にいつも悩むのが,どこに座るかだ。皆が岸辺の泥の付いた靴で上がり込んだ上に,座板も踏みつけられて泥まみれになっているのだから。
 僕らが腰を落ち着けたのを見て,船頭が竿で舟を岸から突き放す。ふわっと一揺れ。エンジンがかかってぐぅっと動き出した。
 あいにく上空は一面曇り。快晴の時のように気分晴々,という感じにはちょっとならない。それでも,水面を渡る風に吹かれてると「旅している」という実感が湧くというもの。対岸に着く少し前,ちっぽけな手漕ぎ舟が上流にゆっくりゆっくり溯っていった。


ホンチェン殿付近の香河
川向こうの上流側

ホンチェン殿
対岸にホンチェン殿
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/08/31(木) 09:33:57|
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No.6387:古都フエ(Huế)散策9

 バイクは住宅地の間をどんどん進む。
 クリームイエローや淡い水色といったヴェトナム人好みのパステルカラーの壁に,オレンジの屋根。家の敷地と道の間には竹が茂っていたりして,その深緑の幹の合間から覗く柔らかな色彩の家は,内実はどうあれメルヘンの世界のようにも見える。
 庭先にベンチみたいな木の長椅子を持ち出して,家族の衣類の繕い物なのか何やら手仕事をしている若い母親。足下で遊んでいたのが,バイクのエンジン音にはしゃいで「わーい」と駆け出る幼子。平和そのものの風景。うまく切り取れば絵葉書にでもなりそうだ。

 住宅地を過ぎると,畑と草原。道は土道に。向こうにちょっとした林のようなものが見えてきた。ティエウチ(紹治)帝陵(Lăn Thiệu Trị)だ。
 境界を仕切る塀などがないとは聞いていたが,本当にそうだった。生前の離宮だった息子のトゥドゥック(嗣徳)帝陵はともかくとして,他の皇帝の陵は大なり小なり塀で敷地が区画されているのが普通だ。
 それに比べると敷地にぽつんと廟殿などがあって,開放的といえば開放的,威厳がないといえば威厳がない。こんな風に開けっぴろげの状態で,中に収められた御物などはどうやって守っていたのだろう? 阮朝最盛期だから,警固の兵士だけ置いておけば大丈夫と考えたのだろうか。

 踏み分け道のような小道を辿って,入口(とされる場所)に座る番人からチケットを買う。見えないところからいくらでも入れてしまいそうで,実際一人でバイクや自転車で移動する旅行者なら,やっていそうな気もする。
 廟の構造は父のミンマン(明命 Minh Mạng)帝と同じで,高い基壇上の神位を祀る建物群と,背後に蓮池を挟んだ奥津城のセット(ただし,父帝の方は一列に並んでいるのに対し,こちらは左右に並列)。違うのは規模と,列立する文武官の石像がないこと。
 基壇の石畳や磚は少し荒れ気味,屋外の鉄だか青銅だかの香炉も錆だらけ。建物内部の丹塗りの赤も剥げかけていて,まだまだ整備が進んでいない,というよりとりあえず保存しているという印象が強い。装飾としての玉樹や額など色々な設えなどはきちんと残っているので,手を入れれば見栄えは他の帝陵にも引けを取らないと思うのだが。
 この時,横に並んでいる奥津城にも行ってみたかったのだが,Anさんが言うには未整備ということで残念ながら入れなかった。

 いつの間にか曇ってしまった空の下,今ここにいるのは僕ら2人だけだった。3代目で安定した時期の皇帝だというのに,なんだか寂しい帝陵だ。一般的な観光ルートにも入っていないし。整備されればなかなかいい見所になると思うが・・・。
 来た道を走り去るバイクの後ろから振り返って眺めた帝陵の印象は,やはり「ぽつん」。以前に訪ねた,畑の中にあるドンカイン(同慶 Đờng Khàin)帝陵と似たような雰囲気だった。


紹治帝陵
祭祀施設である表徳殿への門。3層の基壇も高く,さすがに立派な印象を与えられるが,荒れた感じは否めない。

紹治帝陵
重檐(軒を二重にした格の高い様式)の表徳殿。壁の染みや色褪せた柱などは,今は塗り直されているらしい。

紹治帝陵
内部の額とその周囲。赤を基調に色彩豊かで,見栄えはかなり眩いものだっただろう。

紹治帝陵
飾られた玉樹はうっすら埃を被っていたが,建物内部の設えは往時を偲ばせるに足りる。

紹治帝陵
紹治帝と恐らくは皇后の神位。

紹治帝陵
表徳殿正面の半月形の蓮池。
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/07/26(水) 09:03:01|
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No.6162:古都フエ(Huế)散策8

 Anさんがメモ帳に書き込んでくれた順番によると,次はトゥヒェウ(Từ Hiếu 慈孝)寺。
 少しもの寂しい気配の漂う道には,どことなく見覚えがあるような。そう思っていたら,松林に出た。この佇まいは確かに記憶にある。白く塗られた3層の塔だ。忘れもしない,フエを最初に訪れた時に来た場所だ。あの時は霧雨にしっとりと煙っていたが,今日は青空の下の晴れやかな姿。たった3年前のことだが,何やら懐かしい。
 >>>>>> No.1283:霧雨のフエ(Huế)7[旅行記-ヴェトナム]:1995.03.18

 緑の林の中に続く漆喰塗りの白い塀。2層の立派な三門もそのままだ。
 門前にバイクが止まると,土産物売りの子が2人ほど近寄ってきた。前はいなかったが・・・天気が悪かったので出ていなかっただけなのか。売ってるのは絵葉書だけだったので,悪いが何も買わない。門をくぐる僕の背中に,声を揃えて「どうして買わないのー?(Anさん通訳)」。欲しいものがなければ,仕方ないだろう。
 門内は例によって庭。でもここは他とは違って,鉢植えの列ではなく,大きな丸い池が人を迎える。翡翠色の静かな水面に門や塀が映り,きらきら日光も反射していて,とても美しい。
 池を迂回して灌木を植えた庭に挟まれた狭い参道を上がれば,石敷きの前庭に僧坊と本堂。
 「Do You want to enter?」
 Anさんが聞いてくれるが,中は前回入っているし,お勤めなどの邪魔をしても悪いから遠慮する。ここの本尊はネオンの後光を背負ってない,日本人好みの姿をしていた筈だ。
 僧坊の裏手,食堂のあたりは,湯気が一杯に立ち込めていた。地味な私服の人たちが忙しそうに立ち働いていた。時間からしてそろそろお斎の準備をしているのだろう。肉魚一切なしの精進料理・・・どんな味になるのか,興味がある。
 屋根に幾つも龍の飾りを戴いた本堂。灰色の衣をまとった若い僧が柱に寄りかかって経典らしい本を広げていた。

 脇にある立派な造りの墓群を眺めて,元来た参道へと引き返す。日向ぼっこしていたちっぽけな蛇が,僕らの足音に驚いて逃げ出す。道から脇の木立へ入りたいらしいが,50cmくらいの段差の石壁が乗り越えられず,ぐいっと背伸びをしてはバランスを崩して何度もぱたんと仰向けに倒れる始末。その格好があまりにもおかしくて,必死な蛇には悪いが2人して大笑いしてしまった。
 この寺は,阮朝の宮廷に仕えていた宦官が,子孫を持てない自分たちの後世を弔ってもらうために建立したものだそうだ。墓所の中には,彼らのものもあるのかもしれない。


フエのトゥヒェウ寺

フエのトゥヒェウ寺
庭の間をまっすぐ通る細い参道から三門を見る

フエのトゥヒェウ寺
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/04/12(水) 00:50:06|
  2. 越南:フエ
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No.6072:古都フエ(Huế)散策7

 バイクを置いた休憩所に戻った。店主の中年婦人がにこにこ椅子を勧めてくれる。何を飲もうかな・・・覗き込んだクーラーボックスの中には,各種取り揃えた色とりどりの缶ジュース。そうだな,マンゴーのにしよう。
 歩いてすこし火照った身体に,大きな木陰のそよ風はとても気持ちがいい。暑かったろう?と店主が布張りの大きな扇子を貸してくれた。ふぁさっと扇ぐとと涼しさ倍増。
 中国製の甘いネクター状のジュースをストローで一気に吸い上げてしまったのを見て,「もう1本どう?」とボックスの蓋を開けるが・・・そんなに飲めるものでもない。あっさりとしたお茶系のものでもあれば,と目で探したが,どうやらないようだ。
 ぼんやりと眺めていると,次から次へと観光客がやってくる。僕のようにバイクガイドに連れて来られるのもいれば,バスで乗りつける団体もいる。中には,自転車に乗って自力でやって来る強者も(これは欧米系に多い。体力が違うんだろう,きっと)。
 そういえば,初めてここを訪れた時に門前に停まっていた団体バスは,日本から輸入された中古の京都市営バスだったっけ。ハンドルの位置だけをヴェトナム用に左右逆に付け替えてあるのに,あとは京都で走っていたままの外装(方向幕も!)だったので,驚いたものだ。
 15分くらい休んだろうか。じゃそろそろ,とAnさんはバイクを引っ張り出し,手を振る店主に見送られてトゥドゥック帝陵を後にした。

 家々の間の小道を抜けて,何だか小高い場所に出た。草と潅木,それにコンクリートの塊が転がってる殺風景なスロープ。バイクはそこへ入り込んだ。小石が多くてお尻が突き上げられる。シートのクッションが役に立たない。
 Anさんが降りるように促す。ここはどこだ?と表情に出し,質問もしたが,Anさんは答えずにずんずん先へ歩いていった。仕方なく後について行ったら,フォン河(Hương Giang,香江)を見下ろす高台の突端に。
 「Here is the army position of America and French.」
 陣地って・・・もしかしてヴェトナム戦争の時の? よくよく見れば,このコンクリートの塊はトーチカの形をしている。この塊に開いた穴から,高射砲の砲身などが突き出ていたわけか?
 おそるおそる端っこにまで行ってみた。ゆるやかに蛇行するフォン河の広い流れが左右に。位置が高いから対岸も丸見え。これは確かに素人目にも根拠地として最適な場所だ。テト攻勢の時などはここにも砲弾が降り注いだのだろう。

 過去は過去として,ここは眺めがとてもいい。ちょうどフォン河が曲がるところに位置していて,左手にはホンチェン殿(Điện Hòn Chén)からミンマン(Minh Mạng,明命)帝陵あたり,右手は大彎曲部あたりまでパノラマ状態。眼下には,飾り立てた観光ボートが澪を引いて行き交っている。
 向こう岸には緑の畠だか田と林,それにオレンジ色の屋根をかぶる瀟洒な民家。ちょっと絵になる風景だ。
 どこかから子供たちがやってきた。別に物売りなどではない。トーチカを使って隠れん坊みたいなことをやって遊んでいるようだ。きゃあきゃあと楽しげな声が風に乗って耳に届く。・・・ずぅっとここで遊べれば,いいね。


フォン河の高台から1
上流側を望む。右手,岩礁のあたりの岸,木々の向こうにホンチェン殿がある。遠くの岩肌の見えるあたりの先に,明命帝陵。

フォン河の高台から2
下流側。ずーっと先が大湾曲部。その先にフエ市街がある
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/03/01(水) 00:45:23|
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No.5997:古都フエ(Huế)散策6

 トゥドゥック(Thự Đức,嗣徳)帝の奥津城を出て,脇から裏手へ。池に流れ込む渓流もどきを石の堰で渡った所に,もう一つの奥津城があった。ここは前回には来ていない。帝のものを二回り以上小さくしたような広さだ。
 Anさんは,皇后の墓所だ,と説明してくれた。確かに,入口から内部が直接見えないように造られた排障のモザイクも龍ではなく鳳凰(中華文化圏では基本的に龍は男性,鳳凰は女性を表わすことが多い)だから,その場はそうかと納得したのだが,後でチケットの地図を確認すると「Kien Phuc's Tomb」(Kiến Phúc,建福帝廟)になっていた。
 主の詮索はともかくとして,メインの離宮施設などとは離れていて,あまり観光客も来ないせいか,ここは少々荒れ気味だった。塀が見事に壊れていたり,草むしていたり。さすがにこのあたりまでは修復の手が及びかねているらしかった。ただ,陶磁器の破片を使ったモザイクは,さすがに美しかった。
 荒れた石段や床面にプルメリアの白い花が一面に散っている。Anさんが一つ拾い上げて僕の鼻先に。ぷーんと甘い匂いが漂った。

 今,資料に当たってみたところ,やはりAnさんが正しかった。儷天英皇后の謙壽陵。


 道に戻ると,どこから現われたのか,ジュース売りの女の子たちが声をかける。Anさんは,彼女たちからは買わないように,と僕に小声で注意する。・・・バイクを置いた所の物売りの女性から買ってもらいたいからだろう。
 そこから先に進むと,これまたミニチュアな帝廟風の一郭。先程の皇后の墓所以上に荒れた雰囲気がある。周囲は樹々も茂っていて,裏山と一体化した感がある。苔むした石段の上は・・・封鎖されているようだ。
 Anさん曰く「Tomb of Tu Duc's Prince」だそうだが,病弱な帝には皇子はいなかった筈で,後継者は弟や甥だったのだが・・・。チケットの地図も「Chap Khiem Temple」とあるだけで,頼りない。中を見れば手がかりがあるかも,と思ったが,残念ながら修復工事中。トヨタ財団の援助だとか。

 資料によると,こちらがキェンフック帝(1869〜1884年)の廟だった。帝は,実子のないトゥドゥック帝の甥で養子となり,帝の崩御後,1年足らずの間に廃位,毒殺された二人の皇帝を挟んで15歳で即位。半年後に帝も権臣により毒殺された。養子になっているから,Anさんの表現は間違いではない。当時は,フランスの植民地化の圧力が相当強くなっていたこともあり,独立の陵を造らず,養父トゥドゥック帝の陵域内に陪葬されたらしい。



 庭園の草地にはプルメリアの花に混じって,動物の糞も転がっている。近くの山から鹿が出て来るからとAnさんは言っていた。
 そして池に面した釣殿「沖謙榭」の背後に出た。池を挟んで向かいには,あの愈謙榭が見える。ぐるりと一周したことになる。
 橙色の瓦葺寄棟の母屋内部は,何もない空間。今は剥げかけたり褪せたりしているが,黒漆塗りで仕上げたらしい欄間や建具の装飾は,さすがに見事。ここは帝の遊興空間だったようだ。
 池岸ぎりぎりに建てられた母屋に接続して,一段低くした屋根付きベランダ空間が池の上に迫り出す。柱と欄干だけの,吹き抜け空間。欄干の2ヶ所が切り欠かれて,木の階段が池に降りるようになっている。中部ヴェトナムの酷暑の時季,帝はここで涼みながら詩を吟じたりしていたのだろうか・・・
 そんなことを思いながら風に吹かれていると,さっきの小学生たちがやってきた。わいわいきゃあきゃあと楽しそうだ。先生たちも僕らに気づいて,にっこり。
 思いついて母屋のの入口側,舞良戸風の扉が形よく開かれている庇の廊下を撮ろうとカメラを構えた・・・ら,子供たちがひょいひょいあちこちから顔を覗かせる。鬼ごっこのようなもぐら叩きのような遊び。仕方がないなあ,と遊び終わるのを待っていたら,気づいたリーダー格の子が仲間を制して引っ込ませてくれた。Cám ơn!(感恩,ありがとう)

 池にはぽつりぽつりと蓮の花が開いている。風は向こう側のプルメリアの甘い匂いを運んでくる。夕闇の迫る中,水上に雅楽団を乗せた舟でも浮かべて,ここで楽を楽しみながら酒を嗜んだら最高だろうなあ・・・。


嗣徳定陵マップ
19が儷天英皇后謙壽陵,24が建福帝陪陵,5が沖謙榭。

儷天英皇后謙壽陵
儷天英皇后の謙壽陵

儷天英皇后の謙壽陵のモザイク
謙壽陵陵の排障モザイクは2羽の鳳凰。陶磁器やガラスを砕いた欠片を使っている。

建福帝陪陵
建福帝陪陵。現在は修復完了して,見学可能。

沖謙榭
沖謙榭の外観(前出)

沖謙榭
沖謙榭の庇部分
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/01/30(月) 10:24:34|
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No.5928:古都フエ(Huế)散策5

 和謙殿の奥には,また磚(敷瓦)を敷いた中庭空間を囲んで三方に建物。正面橙色瓦の重檐(二重軒)が良謙殿,左手寄棟が温謙堂,右手寄棟が鳴謙堂となる。
 和謙殿が離宮としての正殿なのに対して,これらはプライベートな空間となる。良謙殿がトゥドゥック(Thự Đức,嗣徳)帝の起居空間,鳴謙堂は音楽や演劇を楽しむための楽堂,温謙堂は帝の衣裳や品物を保管する場だった,とAnさんは説明してくれた。この一廓の背後と左手には,後宮や侍臣たちの起居する建物などもあったそうだ。前回案内してくれたガイドと比較しても,Anさんは歴史的な知識が豊富なようだ。僕の嗜好と一致しているのは,ありがたい。
 鳴謙堂の中は,天井に日月と星辰が描かれていたり,古びた玉座とそれに対する高舞台などが設えられていたりと,他とは違う遊興の空間になっている。帝はここで雅楽(Nhã Nhạc)も奏させたのだろうか? それとももっと俗っぽいものも楽しんでいたのだろうか。

 池沿いにぐるりと廻って帝の奥津城を訪れた。ちょうどアオザイ姿の女性が入っていくところだった。華やいだピンク色が,時を経て古び,沈んだ色合いになっている空間を明るくしてくれる。
 陵域を囲む塀は瓦が外れていたり,化粧漆喰が剥がれかけていたり。門そのものを装飾する橙色と緑色の陶板も脱落が目立つ。朝靄のまだ残る柔らかい光の中おかげか,それは荒廃をあまり感じさせなかった。これが南国らしい強烈な昼の光の下だと,どうだったろうか・・・
 碑亭の前庭,半月形の池際に植えられたプルメリアは,まだ殆ど葉が出ていないのに,まばらに花を咲かせていた。作詩を好んだという文人気質の帝の奥津城らしく,どこか詩情を感じさせる光景だった。


嗣徳帝陵案内図
8が良謙殿,9が鳴謙堂,10が温謙堂。16の部分が帝の陵域。

嗣徳帝陵の池
池と中島

嗣徳帝陵の龍浮き彫り
陵域外側の石壁に刻まれた龍

嗣徳帝陵域
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2017/01/02(月) 10:43:50|
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No.5894:古都フエ(Huế)散策4

 次はトゥドゥック(嗣徳)帝陵(Lăn Thự Đức)だと,走りながらAnさんが教えてくれた。チャンティエン橋(Cầu Trường Tiền)を渡って新市街のレロイ(Lê Lội)通りを西へ。
 フエ駅の手前でディエンビエンフー(Điện Biên Phủ 奠邊府)通りに入って南下。ヴェトナム人好みのパステルカラーに塗った家の壁。幾つかの角を曲がった頃,見覚えのある塀が左側に現われた。帝陵を守る塀だ。
 まもなく入口に着いた。前の道に生えた木陰には,パラソルを差し掛けた休憩所兼飲み物販売が幾つも店開きしている。大抵は女性だが,僕らを見て低い椅子から立ち上がって「こっちこっち」と差し招く・・・が,職業バイクガイドのAnさんには行きつけ(というより客を連れてお金を落としてもらう提携先)というものがあるわけで。
 その中の一つに近づいていくと,「来た来た」とにこにこ顔の中年婦人。人が良さそうな笑顔だ。Anさんは気安く挨拶しながら,そこの木陰にバイクを入れた。

 愛想よく手を振る婦人に送られて,中へ。
 古びた磚(煉瓦)積みのアーチ門をくぐると,庭園が目の前に広がる。昨夜の雨の名残でしっとりとした空気。まだ雫を含んだ緑。
 佇まいは,前に訪れた時と何も変わっていない。落ち着いた池庭も中の建物も。皆,薄い朝靄の中で静かに佇んでいる。風もなく,翡翠色の池の水面も,さざ波一つ見えない。
 元々この帝陵は,トゥドゥック帝の生前には離宮「謙宮(Khiêm Cung)」として造営されたものだという。帝は好んでここに滞在したそうだ。文人だった帝の気質からすると,人工物の多い大内よりもこちらの方が好みに合ったのだろう。そして,帝は崩御後に敷地内に造営された墓所に埋葬され,ここは謙陵と改名された。なので,他の帝陵とは違って,中島を築いた庭園風の池やそれに面した船着場,釣殿風に水面に迫り出した建物などが敷地内に存在するわけだ。
 愈謙榭=池に臨んだ舟着場風の建物=の前には子供たちの集団。小学校の見学らしい。引率の先生たちが愈謙榭に降りる階段に皆並ばせたところで,僕らに「シャッターを押して」と声がかかる。明らかに外国人観光客とわかるのに,それでも気にせず頼むところがおおらかで良い。
 お安い御用とカメラを受け取り,アングルを決めるために僕は後ずさる。
 「Be careful!!」
 愈謙榭の欄干の切れ目から池に落ちるんじゃないかと心配したAnさんが叫ぶ。その辺は注意深いから大丈夫だよ。片足を池の上に泳がせて,何とかアングル決定。よし。
 「Một, hai, ba!(1, 2, 3!)」......カシャッ。
 カメラを受け取って,若い女性教師たちは笑顔で挨拶しながら,帝の奥津城の方へと子供たちを追い立てて行った。

 愈謙榭に正対する階段。その上にはこの陵,というよりは離宮の主要な建物がある。
 階段の上の二層門をくぐると,石敷きの方形の庭とその正面には,大内と同じく橙色の瓦を葺いた重檐(軒を二重にした格の高い様式)横長の建物,メインとなる和謙殿だ。帝滞在中には,大内と同じようにここで儀礼が行われたのかもしれない。
 前回は碑文解読に気をとられてしまっていたので注意して見ていなかったが,ここには帝の使用した遺品などが展示されている。インテリアとして飾られた金樹玉果の鉢植え,御製の詩を書き込んだ漆絵の額,フランスから贈られた置時計,靴。
 「He was very short, so his shoes were small.」
 確かに,女物かと思うくらい小さい。前庭に立ち並ぶ文武官の石像の背丈が低いのも,帝が病弱で背が低かったのでそれに合わせたためということらしい。


トゥドゥック帝陵見取図
 1が入口の門,4が愈謙榭,7が和謙殿。

トゥドゥック帝陵池庭
門を入ったところから

トゥドゥック帝陵愈謙榭
愈謙榭

トゥドゥック帝陵池面
愈謙榭から身を乗り出して撮った池面
Google Map, Vietnam(1998.03)




  1. 2016/12/19(月) 12:00:13|
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プロフィール

Ikuno Hiroshi

Author:Ikuno Hiroshi
Self
↑現在  ↓過去の一時期
755860.jpg
広島から沖縄へ移住した100%ゲイ。
年齢不詳に見えるが五十路を越えた。
ハッテンバで出逢った10歳下の相方と
・・・何年目だっけ? でも,いつも
いちゃいちゃ熱々バカッポー実践中。

LC630以来の筋金入り林檎使い。
Power Macintosh 7300
→ iMac(Blueberry)
→ eMac
→ iMac (20-inch, Early 2009)
   [Special御苦労!]
→ iMac (21.5-inch, 2017)
虎→雪豹→獅子丸
→山獅子→寄席見て
→得甲比丹→高紫衣裸
iPad miniは2017.06.08に退役,
以後はiPad mini4(Gold)に。
更に,iPhone6!
ネットはNiftyServe以来の古参兵。

ついでに典型的なB型的性格。
パタリロのギャグは
ほぼ暗記しているらしい。
猫・犬複本位制だったが,
現在は,猫本位制に移行。
芸能・スポーツ以外の雑学王(笑)

HIV関連

財団法人 エイズ予防財団

HIV検査・相談マップ

読書中の本(2018.Jul.17~)

honto
雲南の歴史 アジア十字路に交錯する多民族世界

ISBN :978-4-86398-118-8
川野 明正著
白帝社アジア史選書(1,944円)

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