The 3rd. ..........なべてこの世はこともなし

 1999年に沖縄移住したゲイが垂れ流す身辺雑記,気になる記事,年下彼氏とのノロケ,過去旅話。

No.1930:ハノイ(Hà Nội)で「恋」に落ちた話13[旅行記-ヴェトナム]:1997.12.23

 少女像に恋してしまったおかげで,思ったより時間を喰っている。
 時計を見るともう16時だ。これからタイ湖(Hồ Tây 西湖)に行っても,長い時間はいられないだろう。脚が疲れていることではあるし,どこかカフェみたいなところを見つけて甘いものでも食べてひと休みしよう。

 なのに,どこまで歩いても,カフェのカの字もない。探していない時には嫌というほど目に入るのに,探していると見当たらないというのは,マーフィーの法則だったか。そういうものが少ない場所なのかもしれないが。
 グェンタイホック(Nguyễn Thái Học 阮太学)通りをキムマー・バスターミナルまで往復した挙げ句,どうしても見つけられなかった僕は,線路を渡ってガイドブックに出ていたカフェ252に落ち着いた。
 ・・・もっともこのカフェがまた,京都の町家のようにウナギの寝床状の間口の狭い造りなものな上に,ハノイのお店の常で表があまりにも地味だったため,カフェとも思わず一度その前を素通りしてしまったのだけど。サイゴンの人目を惹く装飾をまとった店を見慣れていた目には,まったく別物に思えてしまう。この辺も,南北の違いか。しかし,老舗カフェだという存在には,逆に似つかわしいと言えなくもない。
 とりあえず,ココナッツ入りのチョコレート・パイとヴェトナムコーヒーで和む。
 ケーキの注文をしに来る人がけっこういて,はて何だろう?と思ったが,はたと気がついた。今日はクリスマスの前々日だ。クリスマスケーキの注文というわけか。呑気に旅していると,暦のことをすっかり忘れてしまうのが欠点だな。

 ・・・ここでもまた,のんびりしすぎたかな?
 外を見ると,もう空が薄暗くなりかけている。宿に荷物を取りに行かなければ。
 でも20時発の列車はさすがに夕食は出さない。乗る前に腹ごしらえしないと,空きっ腹を抱えて眠れないことになりかねない。荷物を抱えて食堂に入るというのもなんだかためらわれるので,身軽な今のうちに食べてしまうことにしよう。
 支払いを済ませた僕の鼻先に,温かい料理の匂いがふわ,と漂ってきた。カフェに入った時にはしなかった夕餉の匂い。
 ふらふらと惹かれて行った先に定食屋があった。店先に数えきれないおかずを洗面器に入れて並べてる。眺めていると,後から後から奥から湯気を立てるおかずが運ばれて来て・・・。ここが良さそうだ。
 ずらりと並んで目移りしそうな惣菜の中から,豆腐のトマト煮込み,豚肉と大根の煮物,カリフラワー入り野菜炒めを選んでおいて,中へ。まだ店開きしたばかりだから,客は誰もいない。
 早速運ばれて来たおかずの皿とまっ白なご飯。箸を付けたくなるのをがまんして,まずは写真。・・・それでは,いただきます。



 食べながら思ったこと。
 ヴェトナムはしゃがむ文化の国だから,こんな街の店も椅子がやたら低い。日本でいえば,浴場に置いてある洗い椅子のようなもの・・・というよりそのものを置いていることも多い。
 従って,座ると膝を深く曲げることになるわけだが,そうすると脚がテーブルにつかえるのが普通。男なら股を広げてしまえばいいが,特に日本から来た女性は脚をどう処理するかが大変だろうな,と。
 実際のところ,どうしてるのだろう???

 それはともかく。
 総菜はどれもなかなかおいしかった。時間が早くて,できたて熱々だったのが嬉しい。
 気取ったレストランで洗練されたヴェトナム料理を味わうのもいいが,こんな普通の人たちが来る店で食べるのも,またいい。



ハノイの定食屋
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王菲(Faye Wong)/阿修羅(Asuro)[★★★★]

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  1. 2009/09/18(金) 15:45:59|
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No.1915:ハノイ(Hà Nội)で「恋」に落ちた話12[旅行記-ヴェトナム]:1997.12.23

 歴史ものから離れて,2階へ下りよう。左翼の階段はごく普通の直線的な造りで,ハイソサエティな雰囲気の右翼階段と違って面白くも何ともない。
 さて,最初の部屋は・・・と廊下に出た僕の足がぴたっと止まる。またしても魅入られてしまった。少女の彫像だ。
 なんというか不思議な表情が琴線に響いた。観音のような,穏やかかつ威厳を秘めた顔。更に腕の滑らかな曲線と胴部のすっきりとした直線的な形の絶妙なバランス。
 思わずその前に置いてある(なんとうってつけだ!)ベンチに腰を下ろして,時が経つのも忘れて飽きることなく眺め続けた。
 ずっと見ていて思い出した。この像は日本の中宮寺・弥勒菩薩半跏思惟像によく似ている。謎めいた表情に薄い肉づき,小指が折れてしまっている(弥勒像は修復されてるが)ところまでそっくりだ。
 タイトルは「Cô gái quan họ」,Lê Thị Chínhという人(たぶん女性)の作。

 まわりがざわざわしてきた。座り込んで少女像だけを凝視する僕への不審そうな視線を感じる。・・・観覧者が増えたらしい。
 他の部屋も回らなければ。嫌々ながら立ち上がってまた歩き出した。
 2階は民画のようなものが主に集められている。
 地獄を治める十王を描いた板絵。絵かと思って近寄ったら実は精巧な刺繍だった鯉魚図。
 ドンホー版画もあった。ドンホー版画というと嫉妬に狂う正妻と妾,間でおろおろする夫のように色々な習俗を描いた民画というイメージがあったのだが,歴史的な情景も題材にするようだ。展示してある中にも,陳興道破元冦図,呉王権打漢賊図,徴王起義図など,ヴェトナム史の節目節目の事件を描いたものがあった。・・・もっとも,そんな生真面目なものよりも,戯画的な絵の方がよっぽど面白いのだが。
 そういえば,有名なヴェトナムの小説・金雲翹伝を題材にした絵もあった。文学としてだけでなく,美術としても人々に親しまれていたわけだ。
 右翼の方に進むと,植民地時代から20世紀前半の作がある。「幸福」というタイトルの漆板絵が心を打つ。使われた色は金漆と黒,朱。向かい合って座った若い夫婦,その妻が夫から幼子を抱き取る場面だが,なんでもない穏やかな日常を切り取ったいい絵だと思う。
 1階に下りる・・・前に,後戻りしてあの少女像の前に。もう一度じっくり眺め,その姿を脳裏に焼きつけた。誰もいなかったら,規則違反を承知で写真に収めたかった・・・。

 1954年以降の作品が展示される1階。
 「北越のホーおじさん」と称する絵。山道の途中に馬と一緒に立つホーチミンの姿を描いているが,無駄がまったくない。逆にそれだから,この絵を眺めているといろいろな「お話」が生まれてきそうだ。
 「祖母像」は孫を背負った老婆の石像。粗く削った造型から,なんとはなしにほのぼのとした味が滲み出ている。
 しかし,この二つ以外には面白いと思わせるものはない。こうして見てくると,現代の作品には一般的に妙な「色気」があるようだ。あざとい,とまでは言わないが「魅せようという作意」が表面に姿を覗かせているような・・・。これを「いい」と思うか「う~ん」と思うかは,見る人の趣味次第だが,僕は違和感を感じた。



Google Map:Hà Nội(1997.12.23)




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BoA/We(우리, 태극기 휘날리며 O.S.T)[★★★★★]
  1. 2009/09/08(火) 13:18:26|
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No.1896:ハノイ(Hà Nội)で「恋」に落ちた話11[旅行記-ヴェトナム]:1997.12.23

 ダンバウに触れた余韻も醒めやらぬまま,元来たルートを辿って外へ出た。
 チケットを買った時くれた簡単なパンフレットを見ると,通りを隔てて向こう側に庭園があるようになっている。
 覗いてみようかと思ったが,すぐにやめた。なぜなら,通りに面した開けっ放しの門から見えるそこは,とても「庭園」とは言えない状態。淀んで腐りかけたような水面,土が今にも崩落しそうな岸。空いたスペースには客待ちのシクロが乱雑に。
 パンフレットにはLake of Literaturiという名が付いているが,実際にはホージャム(Hồ Giám 監湖),国子監の池と呼ばれているようだ。きれいに整備してカフェでも営業させれば,観光客の憩いの場にもなると思うのだが・・・もったいない。

 それより,そろそろお腹がすいてきた。このあたりに食堂はないか?と歩いてみる。
 宛てもなく文廟(Văn Miếu)の東側,その名もヴァンミェウ通り沿いにしばらく歩いたところで,ブンチャー(Bún Chả)の店を発見。これはいい。
 早速入り込んで,嬉々として注文。間もなく麺と肉,揚げ春巻きの皿が運ばれてきたが・・・香菜類が待てど暮らせど出てこない。通りがかった店の女性に怪しい発音のヴェトナム語で要求すると,「あ,ごめ~ん,忘れてたわ~」と悪びれない表情で,それでも急いで笊に載せて持ってきてくれた。他の人のに比べるとちょっと多めに盛ってあったのは,お詫びのつもりだろうか。
 盛大に麺の上に載せてタレにつけて・・・うん,やっぱりうまい! 肉は焼きたての熱々というわけにはいかなかったが,それでもうまい。どうやらタレに秘密があるらしい。単純な作りと思えるのに,途轍もなく美味。料理の奥深さを見るような気がする・・・というのは,言い過ぎか。

 前日と同じく,ブンチャーを惜しむように食べ終わって,さて。
 これからどうするか,2冊のガイドブックを並べて検討する。文廟の裏の美術博物館にとりあえず行って,その後は静かなタイ湖(Hồ Tây 西湖)にでも足を向けてみようか。
 てくてくと通りを一つ歩いて着いた美術博物館は3階建ての立派な建物で,外見はどこかの役所のようにも見える。もしかしたらフランス植民地時代のものを改装しているのかもしれない。
 ここは3階から下に向かって年代別に美術品を陳列しているので,まずは上に。建物の両翼にある階段は曲線で構成されていて,装飾もあっていかにもハイソサエティな雰囲気が漂っている。
 順路に従って見て行こう。

 第1室:先史時代。有名な銅鼓関連の展示が多い。壁にかかった銅鼓の人物群像は,中米のマヤやアステカのものにどことなく似ているようにも思える。
 銅鼓そのものには,少々エロティックな装飾もついている。男女がセックスする様子だ。妊婦と同じで豊饒を意味するものだとか。

 第2室:李朝時代。ここで目を惹くのは巨大な阿弥陀仏石像だ。説明によると1057年の作。四重の八角台座に一重の蓮華座。威厳の中にやさしさを秘めた姿。切れ長の目は阿弥陀仏にふさわしく衆生をみそなわすよう。

 第3室:陳朝時代。寺などにあったらしい木のレリーフが多い。龍や飛天が精緻に刻み込まれている。
 伏した獅子か虎の石像。すり減っているのでどちらかかよくわからない。滑らかなフォルムがとても美しい。

 第4室:黎朝前期~莫氏簒奪時代。巨大な石碑が鎮座している。黎朝初代の太祖(Thái Tổ タイト)の藍山永陵碑というから,皇帝の頌徳碑なわけだ。文章を撰した阮薦は,黎朝創立の功臣として有名な文人政治家。
 この他,千手観音も見ごたえがあった。

 第5室:黎朝後期。Keo寺の門扉。立ち昇る雲気の中にくねる龍の姿。
 観音菩薩に似た像があるので近づいてみたら,これが人間の像だった。黎朝の神宗の皇后・Trinh thi ngoc truc(漢字表記では鄭氏玉竹か?)だそうだ。観音のように理想化された姿。顔には知的な微笑みを浮かべている。
 もうひとつ。1647年と説明された麒麟と朱雀(または鳳凰)のレリーフも素晴らしい。

 第6室:黎朝後期。巨大な千手十一面観音がある。技法的には見事だが,どうも心に響かない。政治的な不振が芸術活動にも影響したのだろうか?



ハノイ美術博物館
Google Map:Hà Nội(1997.12.23)




李朝:歴史上確認できるヴェトナム最初の統一長期王朝(1009~1225年)。
 それまでの統一王朝・呉朝,丁朝,前黎朝が中国勢力の干渉や暴政により短期で崩壊したのを受けて,李公蘊(Lý Công Uẩn リーコンウァン)が創建。現在のハノイに都を置いた。
 中国から儒教とともに大乗仏教も盛んに取り入れ,紅河デルタの開拓を進め,また現在の中南部に勢力のあったチャンパ王国を攻撃,首都を陥落させるなど文武の両面で「ヴェトナム」のその後の発展の基礎を築いた。
 1075~76年,中国の北宋の侵入を撃退した李常傑(Lý Thường Kiệt リートゥオンキェット)将軍が有名で,通りの名前にもなっている。
 ハノイの一柱寺はこの王朝の時に作られた。また文廟もこの王朝の時に設けられた。

陳朝:李朝の弱体化に乗じて最後の女帝との婚姻により帝位を簒奪して開始された2つめの長期王朝(1225~1400年)。
 皇族による独占支配を打ち立て,地方・中央ともに強力に統治し,農業だけでなく商工業も発達。
 この王朝でのトピックは,何といっても皇族将軍・陳興道(Trần Hưng Đạo チャンフンダオ)の指揮による3度の元冦撃退(こちらも通りの名によく使われる)。
 文化面ではチュノム(漢字の部首を組み合わせてヴェトナム語を表記する独自の文字体系。同じ中国周辺の国でも,朝鮮の李朝がハングルという漢字とはまったく別物の文字体系を創り出したのと比較すると,両国の中国に対する意識のようなものが透けて見えて面白い)が普及したこと,前の李朝で始まった科挙制度が定着して儒教が広まり,中国的ヴェトナムが形成されたことがある。
 農民反乱,チャンパ王国との抗争によって弱体化したところを胡季犛(Hồ Quý Ly ホークィリ)によって簒奪される。

黎朝:陳朝を簒奪した胡朝が短期間で中国の明の永楽帝の侵略を受けて滅びた後,ヴェトナムはしばらく明の支配下に置かれた(1414~1427年)。これに対して反旗を翻して地道に戦い続け,遂に独立にこぎつけた黎利(Lê Lợi レロイ=黎太祖)に始まる第3の長期王朝(1428~1789年)。李朝の前に短期間の別の黎朝があったので,後黎朝とも呼ばれる。
 前朝に続いて農業生産と手工業が発達し,中央権力の強化も相まって充実した力を外部に向け,南はチャンパ王国を制圧して現在の中部地方までを勢力範囲とし,また西のラオス方面にも領土を広げた。
 科挙による官僚制も発達し,黎朝刑律というヴェトナム独特の刑法も作られ,旅行者が感じる「中国のようで中国でない」ヴェトナムはこの頃にできあがったらしい。
 最盛期の聖宗(Thánh Tông タイントン,この皇帝の時にチャンパを制圧した)の後は下り坂を辿り,1527年に一時莫登庸(Mạc Đăng Dung マクダンズン)に簒奪された帝位が鄭氏と阮氏によって回復されると,実態はこの2氏による南北抗争時代と化す。この時代に阮氏によって更に南方のメコン・デルタ方面がベトナムの領土に編入される。第4の,そして最後の長期王朝・阮朝はフエに拠ったこの阮氏の末。
 ヴェトナム最大の農民反乱・西山(Tây Sơn タイソン)党の乱により,黎朝,鄭氏,阮氏とも滅ぼされることになる。



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AQUA/Turn back time[★★★★]
  1. 2009/09/01(火) 09:55:10|
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No.1881:ハノイ(Hà Nội)で「恋」に落ちた話10[旅行記-ヴェトナム]:1997.12.23

 更に門を通り抜けて,聖域・孔子廟のスペース。石畳の方形前庭に面して横長の建物。全体の雰囲気は,フエの王宮・太和殿(Thái Hoà Điện)を質素にしたような。左右にも長細い建物が控えて前庭を囲んでいる。
 向かって右の建物は資料館。宮廷官僚たちの遺品やアオザイ(正確には男性用なのでアオテー)などがケースに収められて陳列されている。
 左の建物内にはスーベニア・ショップ。ちょっと覗いてみたら,日本語勉強中だという女子大生がアルバイトしていて,巧みに購買意欲をそそっていた。お喋りついでにのせられて,この時季のハノイでは必要のない扇子をうっかり買ってしまったり。

文廟文廟文廟


 さて。
 正面の建物。左手の間に民族楽器がずらりと並んでいた。これが噂の民族音楽演奏の舞台か。16弦琴のダンチャイン(Đàn Tranh 檀箏)や竹筒を並べた楽器の間に,憧れの一弦琴ダンバウ(Đàn Bầu 弾瓢)も見える。残念ながらラジカセにつながったエレクトリック楽器だが。
 屏風に囲まれた控え室からは,麺を啜る音。昼にはまだ早いが,楽士たちは食事中らしい。
 建物の中は電灯がついていないが,基本的に前後面に壁がなく,奥行が柱3間分しかないので明るさには不自由しない。最近塗り直したらしい紅殼色の柱がテラテラと輝いていて,どうも落ち着かない。漆ならいいが,もしかしてペンキみたいな塗料でも使ったのではなかろうか?

文廟
文廟


 この建物は控え殿のようなもので,その奥に孔子を祀る本当の廟がある。一段高い壇上に置かれた孔子の像は,表情が大変中国風。中国からの移入文化だから当たり前と言えば当たり前だが。
 薄暗い室内に紅殼色と黄金色で彩られた像が浮かび上がる様子は,孔子を崇敬する儒学者には申し訳ないが,少々不気味な感じがしないでもない。

 民族音楽スペースに戻ったが,まだ始まる気配はない。
 ちょうど出てきた華やかな衣装の女性に尋ねたら,「はいはい,今からやりますからねえ。そこに座って座って」と椅子に連れていかれてしまった。これは,もしかして定時の演奏とは別にリクエストしたことになるのか? 特別料金取られたりして。
 ・・・まあ,それでもいいか。民族音楽には興味があるし,ダンバウの弾き方を特等席で観察できると思えば。
 女性に呼ばれてぞろぞろ姿を現わした楽士たち。アオザイ女性がほとんどだが,あのダンバウの前に座ったのは背広姿の中年男。もしかしたら,この人がリーダーなのかもしれない。どうせなら彼も民族衣裳を着ていればいいのに。
 15分くらい色々な音楽をやってくれたが,僕の視線はほとんどずっとダンバウに集中。弦をピックで弾くのにゆったりと曲線を描く右手,弦が結びつけられたしなやかな柱を操ってビブラートや音程調節する左手の繊細な手つき。これまで見た他のどんな楽器にもない,優雅な演奏法だ。ヴェトナムに来る前から思ってたけど,やはりこれはぜひゲットして練習してみたい。
 男の手の動きを凝視する変な外国人に,歌っていた女性の一人が薔薇の花をシャツの胸ポケットにサービスしてくれた。
 ・・・しかし,日本人だからと,最後に「北国の春」をやるのはやめてくれないか? 吹き出してしまうから。

文廟


 演奏を終えて特別料金15$を受け取った女性に断わって,ダンバウに触らせてもらう。中年男が傍について,ピックの持ち方と弦の弾き方を簡単に教えてくれる。
 一弦琴とはいうものの,土佐の一弦琴などとはまったく発音法が違う。弦を弾いて音を出すが普通に弾くのではなく,弾くと同時に小指の付け根あたりでミュートをかけてその弦固有のハーモニックス(倍音)のみが出るようにする。音の高低は弦を弾く位置と,左手の柱を微妙に撓めて弦の張力を加減することで調節する。ビブラートやポルタメントも可能(ダンバウとダンチャインの二重奏動画ダンバウ独奏動画)。
 言われた通りに手を動かすと,意外に簡単に音が出た。ハーモニックス奏法だから難しいと思ったのだが。先からこの艶やかで優美な音色に魅せられていた僕は,これなら独学でも何とかなるかな?と思って,後にサイゴンでアコースティックダンバウを買って帰ったのだが・・・世の中そんなに甘くはなかった。音を増幅するエレクトリックだから簡単に音が出たように思えただけで,アコースティックなダンバウは本当に繊細な音しか出ないのだ。しかも,1本の弦だけに細かいパッセージを奏でるのはかなりの修行が必要そうだ。
 ・・・もう一度,音階を弾いてもらって大体のやり方を脳裏に焼きつけた。お礼を言って前庭に下りた僕の両手は,勝手に空中のダンバウを弾くように妖しく動く。・・・エアギターならぬエアダンバウ(もちろん,当時エアギターなるものがあるわけはない)。




Google Map:Hà Nội(1997.12.23)




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CLAZZIQUAI PROJECT/FLOWER[★★★★]
  1. 2009/08/26(水) 10:01:24|
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No.1866:ハノイ(Hà Nội)で「恋」に落ちた話9[旅行記-ヴェトナム]:1997.12.23

 シャモの蹴り合いを楽しんだ後,公園をひとわたり散策して,隣の文廟(Văn Miếu)へ移動。
 門前にぽつんと立つのは「下馬標」。往時はここで馬などの乗り物から下りなければいけなかったようだ。
 中はヴェトナム人好みの刈り込んだ木を配置した庭。石畳の道の先に立派な門。その脇にあるとんがり屋根の受付でチケットを買って,早速中へ。

 ここ文廟ができたのは,李朝時代(1010~1225年)第3代聖宗(Thánh Tông)の1070年(建築ではなく修復という話も)。
 中国から受け入れた儒教を中央集権化に利用するために,その中心となる孔子廟と研究教授施設としてつくられた,韓国で言えば成均館のようなもの。ちなみに,門前の街路名クォックトゥジャム(Quốc Tử Giám 国子監)はその研究施設のこと。
 この李朝の1075年には,官僚採用試験である科挙も始まっている。最も整備された阮朝時代の場合では郷試(地方試験),会試(首都フエでの試験),殿試(宮廷での試験)と進む。試験が実施されるのは基本的に3年に1回。試験内容は,儒教の知識・解釈能力,詩作能力,政治問題についての小論文といったところ。無論すべて漢文。郷試の合格者&準合格者は生涯兵役・税を免除される。中国と違っていたのは,どのレベルの試験でも合格者は官吏になれたし出世も可能であったこと。郷試レベルだと県の知事あたりからスタートする。

 白い,フエの王宮でもよく見かけた屋根装飾のついた立派な門。その名も文廟門の向こうには庭園が広がっていた。
 道の左右に長方形の池。石造りの欄干で囲まれ,赤い睡蓮が緑の水に浮かぶ。草色の芝生に背の高い木々。周りの道路とは塀で隔てられているだけなのに,外の音はほとんど聞こえない。静謐そのものの環境だ。
 ここは,盛時からこんな庭だったのだろうか。充分広いスペースを取ってあるが。もっとも孔子廟+儒教の教育施設というこの施設の性格からして,あまり建物で混み合っているというのは似つかわしくはないし,おそらくこんなものだっただろう。
 サイゴンにはない静謐さ,ちょっと気に入った。

文廟


 前方に楼閣状の門が見える。文様の刻まれた石の角柱。その高い柱の上に整った形の吹抜け建物が乗る。白い柱に丹塗りの建物,上方に伸びようとする勢いと横に広がろうとする屋根の曲線,微妙にバランスのとれたこの建築には「奎文閣」と書かれた額が掲げられている。
 大抵の観光客は,この閣門を通り抜ける前にカメラを構えてパチリ!とやる。建物の色が鮮やかなのは修復というか塗り直しがされているらしいが,そんな処置がされていない色褪せた状態だったとしても,その形で充分目を惹くことだろう。
 この庭も,広く静かで心が落着く。

Vanmieu2.jpg


 閣門の下を通って次の空間へ。ガイドブックではこの空間のことを「奎文閣」と呼んでいるが,明らかにこれは間違い。
 大きな長方形の池が行く手を遮り,進路はそれを迂回して左右に分かれる。その脇に細長い廊下状の建物が2列。その屋根の下,巨大な亀石に建てられた石碑がずらりと並んでいた。科挙試験上位合格者・進士たちの記念碑だ。
 ここに名前の刻まれた人々は,エリート中のエリート,ということになる。歴史に名を残した人間も多い。
 どんなことが刻まれているのか,一つの石碑に近づいてみた。当然ながら漢字で書かれた漢文だ。ずっと文章を目で追うと,一部が乱暴に削り取られている。はて?と思って隣の碑文を見ると,やはり前文に続く同じような部分「皇上陛下嗣無彊之歴服恢有永之規程寔頼・・・」の次の行1/3が削られている。
 全部の碑を確認したわけではないが,ざっと見た石碑はどれもそうなっていた。・・・ここで思い出したのが,フエの各皇帝陵の皇帝頌徳碑。これもやはり碑文の一部が削られていた。
 前後の漢字文からして,皇帝を称える何らかの文面があったのだろうと思うが,どうしてこれが削られているのか? 王朝交替の時に前朝を貶めるために行ったものにしては,最後の阮朝の碑も削られている。皇帝制度がヴェトナムの国から消滅して後に,政治的な理由からそういう処置が取られたのか? どうもよくわからない。

 観光客は,ほとんどここを素通りする。石碑が並んでいるだけで何となく陰気くさいし,碑文もアルファベットではないのだから無理もない。たまに写真を撮っているなと思ったら,石碑そのものではなく亀を象った土台をエキゾチックと感じてのこと。
 せっかく漢字が読めるのだから,せめて漢字文化圏の日本からの客くらいちょっとは碑面を斜め読みしてみればいいのに,と思うのは歴史好きの勝手な独り言。



Google Map:Hà Nội(1997.12.23)




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Fly to the Sky/No More Games[★★]
  1. 2009/08/20(木) 09:45:10|
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No.1851:ハノイ(Hà Nội)で「恋」に落ちた話8[旅行記-ヴェトナム]:1997.12.23

 なんとかグェンタイホック(Nguyễn Thái Học 阮太学)通りに出た。これをまっすぐ行けば文廟(Văn Miếu)に辿り着くはず。
 そして前方左手に,古めかしい塀が見えた。これだな。・・・しかし,どう見ても入口らしいものはない。どうやら反対側の通りにあるらしい。
 この広い文廟の敷地をぐるっと迂回しなければいけないのか。歩き疲れてるのに・・・と,恨めしそうに眺めたこの塀,ふと気づけば乗り越えられそうな高さではある。だからと言って,よし!などと悪い考えは起こさないように。

 はあ,と溜息を一つついて通りの反対側を見やれば,美術博物館が。先にこちらに迷い込もうか,とも思ったが,やはり初志貫徹! 塀を迂回すべく再び歩き始めた。
 文廟の西側は,道路から簡易な柵で隔てた長細い公園になっていた。丈の高い木のまわりに潅木や茂み,芝生があって,小径にはベンチも設えられていて気持ちよさそうだ。
 もしかしてこの中に入口がないかと,ふらりと入るとなぜかビアホイがあった。よし,ここで疲れた足を休めよう。
 「コーヒー一つ」
 「そんなものありません」
 それはそうだ。ビアホイは基本的にビールを飲ませる庶民の店,聞いた僕が莫迦だった。しかし昼間からビールというのは・・・。というわけで,ビールーアルコール+砂糖etc.の黒い液体,コーラに。
 隣の席には老爺二人。ビールをちびちび飲みながら,ぱちんぱちんと器用に割って口に放り込むのはひまわりの種かカボチャの種か。気の合った二人での悠々自適の過ごし方。

公園


 咽喉の乾きも癒えたところで,ちょっとこの公園を散策してみよう。
 外と隔てる柵の中はうらうらと柔らかい日射しに包まれた芝生,高木が落とす影,と静かな雰囲気の都市公園。でも外の通りは,相変わらずのクラクションとエンジン音のラッシュ。この落差が,アジア。
 向こうの方のベンチには初老の女性や男性がぽつりぽつりと座って,日向ぼっことお喋りを楽しんでいる。こういう風景は,なんだかヨーロッパの公園を思い浮かべさせる・・・行ったことはないが。
 こういうやさしい光の中で,本を1冊持ってベンチか芝生で読書というのもいい。
 柵に沿ってシクロが何台も停まってる。主の姿は,1台を除いて見えない。その1台の主は何をしているか?といえば,座席で脚を伸ばしてぐっすり眠っている。昼寝にはまだ早いと思うが。稼がなくてもいいのか? それとも深夜営業が終わって仮眠をとっているのか?

 ひと回りして戻って来ると,ビアホイの裏側に人が集まっているのに気がついた。何だろう?
 よく日のあたる芝生の上に円陣になっているのは,男たちばかり。幼い子供もいることはいるが。彼らが見つめているのは,闘鶏。目つきの鋭い細身のシャモが闘っている。
 不思議と鳴かない。接近して首をからめたかと思うとさっと身を離して飛び蹴り,すかさずつつき合い。蹴りがヒットすると歓声が上がる。
 しばらく眺めていると,一方がこれ以上やる気をなくしたらしい。仕掛人らしい中年男二人が2羽を引き離して,バケツの水と布で体を拭ってやる。まるでボクシングの試合のよう。これでおしまいか?と思ったら,またまん中に押し出してファイト再開。どちらかが降参するまでやるようだ。

闘鶏闘鶏


 そういえばサパ(Sa Pa 沙霸)に行く途中の民家でも,こいつらとよく似たシャモ系の鶏が庭先で威張っているのを見かけたが,そうか,あれも闘鶏用だったのだな。
 昼間から公園に集まって闘鶏を応援する男たち。仕事はどうしたのだろう? もしかして勝負ごととして金を賭けているのか?
 ヴェトナムの街を歩いていて不思議に思うことの一つは,こうした昼間から働くでもなく将棋をしていたり闘鶏を楽しんでいたりする男たちの存在だ。どうやって食べているのだろう。家族もいるだろうに。





Google Map:Hà Nội(1997.12.23)




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AQUA/Calling You[★★★★]
  1. 2009/08/13(木) 09:31:01|
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No.1847:ハノイ(Hà Nội)で「恋」に落ちた話7[旅行記-ヴェトナム]:1997.12.23

 昨夜の酒とサパ(Sa Pa 沙霸)ツアーの疲れで,ぐっすり眠り込んでいた。目が覚めたのは9時過ぎ。シャワーで頭をすっきりさせて,部屋を出る。
 階段を降りると女主に朝の挨拶。
 「疲れてたんですね。朝ご飯食べます?」
 奥の食卓に案内されて,出てきたものはおこわだった。もっちりとした味を楽しんでいると,老婆(女主の母親らしい)が登場。彼女はもちろん,ヴェトナム語しかしゃべれない。従って,会話は成立しない。だが,にこにこと邪気のない笑顔で「もっと食べなさい」「バナナも好きなだけ食べていいんだよ」と世話を焼いてくれる。不思議なもので,ボディランゲージでもよくわかる。

 この日は,夕方のハノイ発の夜行列車S1でフエに向かうことになっていた。昼間だけの空き時間,ホアルー(Hoa Lư 華閭)一日ツアーに参加するつもりだったが,意外に三日間のツアーで体力を消耗したので,昨夜のうちにキャンセルを依頼していた。
 ここは気の向くままに,ハノイの街を徘徊することにしよう。荷物は女主が預かっておいてくれると言うので,外出袋だけを肩に,通りへ。
 どこへ行こうというあては,ない。ガイドブックを片手に,歩いてゆける範囲で楽しもう。

 この宿のあるあたりは旧市街,と呼ばれる区域にあたる。昔ハノイが李朝(Nhà Lý)によって都と定められて以来,産業の中心として繁栄した地域らしい。別名ハノイ36通り。なぜ「36」なのかは,よくわからない。
 通りごとにいろいろな店が軒を列ねていて,眺めるだけでも面白い。人々も数多く行き交い,見るからに活気がある。一つ裏手の通りには,大きな市場もあるらしい。
 さて。
 ハンルック(Hàng Lược)通りとハンマー(Hàng Mã)通りの四つ角に立ってガイドブックの地図をしげしげと眺めていたら,ここから文廟(Văn Miếu)のあたりまでは2kmちょっと,歩いて行けない距離ではないことに気がついた。
 フエに都する阮朝以前の,ハノイが首都だった時代の遺跡の一つ。歴史好きの虫が騒ぐ。・・・というわけで,ハノイ36通りを冷やかして歩くのはまた次の機会にして,歩き始めた。

 早速ハンマー通りを進んで,フゥンフン(Phượng Hùn 馮興)通りへ。まっすぐハンルック通りを行って途中から右折してもよかったのにそうしなかったのは,ひとえに方向音痴によってあらぬ方角へ進んでしまわないため。今立っていた場所なら位置が確実だから,方向を間違えることはない,はずだ。
 フゥンフン通りを南下すると,ここにも様々な店が並んでいる。面白いなと思ったのは花輪作り。葬儀用だと思うのだが,色とりどりの生花を一本ずつグラデーションに差し込んでる。日本で見かけるような造花より見た目がいいし,心がこもった感じがする。
 垂れ幕屋は歩道にまで作業机を進出させて,手伝いの娘が看板の文字の輪郭を塗り込む作業中。
 天秤棒を担いで,両腕をえっさえっさと前後に振って拍子をとって歩く商売女。ゆさゆさと揺れる笊の中身は野菜だ。四つ角にはおこわを食べさせる露店に何人か座り込んでいる。

 ・・・こうして外国人観光客が歩いているとどうしてもシクロが「乗らないか?」と声をかけてくるものだが,ここハノイではしつこくなくて助かる。一度手を振って「いらない」と意思表示すれば,大抵「あ,そうかい」と通り過ぎてくれる。首都だけにおっとりしてるのか,単にサイゴン:ホーチミン市のようにまだ客を必死になって奪い合う必要がないだけなのか。

 線路を横切って文廟の北側を通るグェンタイホック(Nguyễn Thái Học 阮太学)通りへ・・・入ったつもりだったが,どうも違うような。亭々とした立派な並木と公園風の静かな区域。さっきまで歩いていたがやがやとした庶民の街とは一変した,落ち着いてはいるがどこかとりすました雰囲気だ。観光客らしい姿もまったく見えない。
 街路表示を見ると,なぜかディエンビエンフー(Điện Biên Phủ 奠邊府)通り。グェンタイホック通りとは斜めに交わっている街路だ。どこで間違えたのか? ここで慌ててしまうと,どんどんおかしな方へ行ってしまうことになる。
 ガイドブックの詳細な方の地図をよく見て,その先の斜めに交わるチャンフー(Trần Phú)通りに進む。この通りはグェンタイホック通りと平行して走っているから,適当な四つ角を左折すればグェンタイホック通りにぶつかる・・・はずだ。もし僕が好奇心に負けて適当なところで曲がってみたりしなければ(これが「方向音痴」の主因でもある)。

 どうもこの区域には大使館が集まってるらしい。地図には中国大使館しか出ていないが,モンゴル大使館もあった。
 歩いていると,ちょっと毛色の変わった雰囲気の公館があった。掲示板にはでかでかと,どこかで見たような顔の巨大ポスター。つやつやとした肌,慈愛に満ちたあり得ないほどに優しそうな表情。・・・そう,ここは朝鮮民主主義人民共和国の大使館。美化1,000%ポスターのハングル(一体ヴェトナムで誰が読むというのだろう)には2代目首領様の指導を称える定型文。
 ・・・保衛部要員に拉致される前に逃げよう。



Google Map:Hà Nội(1997.12.23)




 前日までのサパ/バックハー行については,以下のシリーズで。




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坂本龍一/Acceptance(End Credit) ~ Little Buddha[★★★★★]
  1. 2009/08/11(火) 09:38:24|
  2. 越南:北部
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No.1834:ハノイ(Hà Nội)で「恋」に落ちた話6[旅行記-ヴェトナム]:1997.12.18

 小一時間くらいお喋りをしていただろうか。
 そろそろ,ということで店の前でバッ・チャン(Bát Tràng)へお供させてもらった人と別れる。
 少しは名所を,と今度は一柱寺(Cùha Một Cột)へ行ってみることに。蓮池に浮かぶ一本柱の上に建てられたという寺。蓮が咲いていれば,とても美しいんじゃないかと期待するも・・・
 「もう季節じゃないですよ」
 それは残念。まあ,見るだけ見てみよう。

 バイクは停められない制限区域になっているので,バイクタクシーには近くで待っていてもらう。
 「あれが『山羊』の墓ですよ」
 にやにや笑いながら指差す先は,ホー・チ・ミン(Hồ Chí Minh 胡志明)廟。
 生涯独身を通したバック・ホー(Bác Hồ ホーおじさん),実は隠れた艶福家で滞在していた世界各国にご落胤がいるのではないかという噂は聞いたことがある・・・。それにしても,英語と同じく好色漢(ニュアンスはもっと悪い)を意味する「山羊」はちょっとひどいと思ったが,それは口には出さなかった。

 規制されているのか,自動車の騒音も少ない静かな公園だ。あとで地図を見ると,近くにはホー・チ・ミン廟以外にも大統領府などもある区域だった。それは規制もかかろうというものだ。
 公園のような場所を歩いているうちに,I氏がそろそろだ,と僕に注意を促した。そちらの方に寺らしい建築群は見当たらない。周囲に本堂や回廊などが揃った立派なものを予想していたが,実は仏堂だけしか残っていないらしい。
 四角な池の真ん中,かなり太い一本柱の上に載っているこじんまりとした仏堂。柱の途中から斜め上に向かって八方へ支柱を出して,上の建物を支える構造にしている。なるほど,柱一本だけでバランスを保っているわけではないのだね。でも,力を伝えるその姿はなかなかすっきりしていて,見ようによっては花の形に見えないわけでもない。というか,仏堂という性格から,わざとそのように仕立てたのかもしれない。
 感心したのも束の間,近づいて行くとその柱,どうもセメントでできているような・・・。白っぽくてとても木の質感ではない。修復でもした時に,取り替えたのだろうか?
 古寂びた木の柱だとばかり思い込んでいたので,かなりがっかりした。I氏の言ったとおり,蓮の花はほとんど咲いていない,どころか冬枯れで蓮の葉もきれいさっぱりなかった。完全に季節外れだったわけだ。
 建物の構造はユニークだし,最初の長期統一王朝である李朝(Nhà Lý)の第2代太宗(Thái Tông)が1049年に建立したという点でも興味深かったのだが,勝手な思い込みと実物とが食い違っていたせいか,期待していた蓮の花の上に浮かび上がる建物というイメージがなかったせいか,今一つ「見た」という満足感がない。
 とりあえず写真だけ撮って,バイクタクシーまで戻って行った。
 ただ。
 後でよくガイドブックを見たところ,あの柱は元々のもので石製だという。北部に多い石灰岩のような石を使っているのかもしれない。だとしたら,セメントに似た質感も頷ける。これは,蓮の花の季節に再度訪れて,見損なってしまったその美しい姿を再確認しなければなるまい。

一柱寺


 次に訪れたのはハノイ駅(Ga Hà Nội)。
 12/23の夜行列車を押さえないといけない。事前の情報では,隔日運行ということだった。23日に運行されていないか,満席で予約がとれなければ,次の旅程が乱れてしまう。
 最速のS1が運行されていればいいが・・・と思いながら眺めた手描きの時刻表には,運行日程のことは書いてあるようには見えない。ヴェトナム語がわからないから,見落としているのだろうか? I氏を呼んで読んでもらっても,隔日運行ではない。ということは時刻表が変わったということだ。
 早速,窓口でI氏の助けを借りながら予約。無事S1のソフトベッド下段が取れた。下段を選んだのは,前回フエ(Huế)~サイゴン(Sài Gòn 西貢)で上段を利用したところ(以下参照),下段の人が横になっていたりすると窓から景色が眺められなかったから。自分が下段であればずっと窓際を占拠していればいいのだ。
 手書きで発券されたチケットは,5枚くらいの複写式で列車というよりも当時の飛行機搭乗券そっくりだった。

 ここで一旦ホテルへ戻る。
 ちょうど受付にいた女主を捉まえてサパ(Sa Pa 沙霸)から戻ってくる22日の1泊と,翌日のホアルー(Hoa Lư 華閭)一日ツアーの申し込みをお願いする。
 「そうそう,明日は朝の5時半にホテルの前にピックアップに来ますからね,寝坊しないようにね」
 そんなに朝が早いとは! では,今夜はあまり遊び回る余裕はないな。・・・もっとも,外国で夜遊びするつもりもないが。

 そろそろお腹が空いてきたな,と思っていたらタイミングよくI氏が切り出す。
 「夕飯,食いますか?」
 別にどこでも構わない。高級な店じゃなくて,ごく普通の食べ物屋がいい。
 「じゃ,僕がよく行く店に行きましょう」
 ・・・で,またもバイクタクシーに乗ってやって来た所は,どこかまったくわからない。薄暗くなっていて,通りの標識が読み取れなくなっていたからだ。どうやら,一般的な食堂(Cỏm Bình Dân)のようだ。
 表に陳列されている惣菜から好きなものを選んで,奥のテーブルに座ると,器に適当に入れて御飯と一緒に持って来てくれる。333を一つずつ頼んで,まずは乾杯。
 咽喉を潤したところで,早速おかずに箸をつける。どの総菜もいかにも家庭の味という感じで,大変よろしい。ヴェトナムでもいろいろなお店で食べたが,やはりこういう食堂が一番いい。気取ったレストランで洗練されたヴェトナム料理,というのも悪くはないのだけれど。

 この後,韓国の大宇財閥が出資したという高級ホテルのラウンジに入って,カクテルを何杯か飲んで,お開きに。
 送ってもらったホテルの前で,I氏が知り合いと鉢合わせした。なんと50歳を過ぎてからヴェトナムに惹かれ,この宿に長期滞在しながら色々と勉強しているという。面白そうな人なので,サパから戻って来たら3人で一杯やりましょう,ということになった。

 明日はやたら早い。今夜はさっさと寝てしまおう・・・。



Google Map:Hà Nội(1997.12.18)




 翌日からのサパ/バック・ハー行については,以下のシリーズで。



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YMO/Insomnia[★★★★]
  1. 2009/08/05(水) 09:21:18|
  2. 越南:北部
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No.1820:ハノイ(Hà Nội)で「恋」に落ちた話5[旅行記-ヴェトナム]:1997.12.18

 「実はここから紅河((Hồn Hà))が眺められるんですよ」
 I氏の言葉に乗せられて,道をどんどん進んで行く。あまり外国人が入り込まない場所のせいか,そちこちから人の視線を感じる。
 ぐるりと廻り込んで,立て込んだ家並みがふっと途切れた。陽光がきらめいて,目の前に赤泥色の幅広い水面が広がる。
 「これが紅河ですよ」
 切り立った河岸に立って眺めると,水は流れているのか流れていないのかわからないくらいに悠々と流れている。
 この河水に溶かし込まれた紅土が,永年にわたって堆積してこのあたりの広大なデルタを形作った。また土に養分を補給して農耕を盛んにさせ,ヴェトナムの主要民族キン族(Kinh 京)が独立王国を打ち立てて発展する基となったわけだ。
 先年ミトー(Mỹ Tho 美湫)で見たメコン河(Tìên Giang 前江)も泥を大量に含んだ濁った,でも豊かさを象徴する色をしていた。だが同じ大河でも,南の強烈な太陽の下を流れるメコンは果実,魚貝類の過剰な豊饒さを思わせたのに対して,薄雲を通した鈍い光の下の紅河の姿には地味な,そして勤勉な米作のイメージが漂う。

紅河


 それにしても,この河岸は本当にただの土堤でしかなく,足下が意外と悪かった。増水の時には大丈夫なのだろうかと,少し心配になった。
 この静かな姿からは想像もできないが,緩やかな線を描いて湾曲する河は,次々と河底に堆積させた泥のために天井河になっていて,洪水が頻発する暴れ河だという。ハノイ市内にたくさんあるタイ湖(Hồ Tây 西湖)をはじめとする湖は,その洪水の名残りだという。

 I氏に促されて振り返ってみると,すぐそこに寺があった。観光化されていない,土地の人の崇敬を集めるこの街の昔からのもの。
 こういう何気ない光景を写真に撮りたかったが,たまたま中から出てきた娘さんに「だめ」と言われたので,諦める。

 紅河の眺めを堪能した僕たちは,市内に戻ることにした。I氏は元の道に戻る抜け道を知っているというので,ついて行く。
 路地は,ちょっと行っては直角に曲がることをくり返す。見通すということができないつくりだ。家の壁に囲まれて薄暗いし狭いし,まるで迷路の中にいるように感じる。昔ながらの集落の防衛的な構造,なのだろうか。
 そのうち家の庭の延長のような空間に入り込んだが・・・大丈夫か?
 「たぶん・・・この道でよかったと思うんですが」
 ちょっと自信なさげになっていたI氏だったが,何とか無事にメインストリート(?)に出られた。途中で出会った子供が,驚いたように目を丸くしていたのがちょっと印象的だった。

 またバイクタクシーに乗って,引き返す。風が心地よい。
 すいすい街の通りをすり抜けて,出発点の雑貨屋に戻った。ここはI氏の知り合いで,日本語のできる若い女性がいる。邪魔になるからと預けておいた荷物を回収し,店先の椅子に座り込んで一休み。
 思ったよりも気候がいいので,のどが乾いてしまった。ミネラルウォーターを買おう。
 ・・・差し出されたペットボトルを何も考えずに口にして驚いた。ちりっと口の中に走る刺激。炭酸入りだった。ヨーロッパではポピュラーだが・・・ヴェトナムでも売られているとは思わなかった。
 出してくれたクッキーなどをつまみながら,4人で他愛のないことを喋る。無論ヴェトナム語はI氏が通訳。さすが,ぺらぺらだ。

店


 さて。
 これからどうしようか,と我に返る。
 今回ハノイは通過地点のつもりだったので,観光スポットに行くことはほとんど考えていなかった。次に来た時にまとめて見ればいいと思っていたのだ。
 当面やらなければいけないのは,ダナン(Đà Nẵng)までの夜行列車を押さえることだ。
 「サパ(Sa Pa 沙霸)からハノイに18時に戻って,20時の列車に乗れると思う?」
 「うーん・・・長距離だから,何があるかわかりませんしねえ。翌日の便にした方が無難じゃないですか」
 I氏は慎重派だった。
 確かに,乗れなかったら以降の行程がめちゃくちゃになってしまう。なおかつ時間に正確な日本とは違うのだから,ここはその言に従うのが正解だろう。そうすると1日余る・・・よし,ここにホアルー(Hoa Lư 華閭)のミニツアーを噛ませることにしよう。宿に帰ったら,宿泊も併せてあの女主に頼むことにしよう。



Google Map:Hà Nội:Bát Tràng(1997.12.18)




 出てくる地名にクォックグー(アルファベットによる現代ヴェトナム語表記)と漢字を並べているのに気づかれただろうか。
 ヴェトナムは朝鮮半島,日本と並ぶ中国文化圏に入るため,地名人名などの固有名詞は漢字由来のもの(漢越語)が多いのだ。
 もっとも,ハングル一本にした朝鮮半島2国と同様,その意識はどんどん薄れているらしい。




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聖飢魔II/魔王凱旋[★★★★]
  1. 2009/07/30(木) 09:47:06|
  2. 越南:北部
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No.1805:ハノイ(Hà Nội)で「恋」に落ちた話4[旅行記-ヴェトナム]:1997.12.18

 気分を変えるために店を出てみた。
 大きな竹籠をいくつも左右に振り分けた自転車を押して行く人,馬に曵かせた荷車。荷物はたいてい種々様々な陶器だ。
 そして,天秤棒の前後にぶら下げた板に黒い「鏡餅」をピラミッド状に載せて,担いで行く姿。えっさえっさと体全体でリズムをとりながら。天秤棒がしなっているのを見ると,けっこう重量があるようだ。


バッチャン<br />border=



 しばらく進んで,家屋兼作業場のような建物に入った。
 ここはこのバッ・チャン(Bát Tràng)の他の家と同様に裏手に窯を持っていて,日常生活に使う雑器を作っては焼いている。
 「息子さんがアーティストで,絵付けを手掛けてるんですよ」
 それは楽しみだ。出てきたご夫婦にI氏が来意を説明,快く2階の仕事場へと案内してもらえた。
 バルコニーには,彼が絵付けした器が鉢植えと混じって置かれていた。「アーティスト」と言うだけあって斬新な絵柄が多い。
 ここから眺めると,確かに町の家並のあちらこちらに赤い煉瓦の四角い煙突が目立つ。煙りを吐いているのは,今しも陶磁器を焼いているのに違いない。毎日,相当な量の焼き物が生産されていそうだ。
 それはそうと,部屋のドアが閉まっているが・・・どうやら本人は外出中らしい。
 見学できないのか,と思っていたら,父親らしき男性が鍵を開けてくれた。見学客が訪ねてくることには慣れているようだ。

 中は普通のヴェトナム家庭と同じで,化粧タイル張り。6畳くらいの正方形の中に家具らしい家具はない。アトリエ専用ということか。
 部屋の真ん中に絵付けをする釉薬を入れた器と筆がぽつんと置かれ,小さな,あの路上の店や市場でよく見かける「風呂場の腰かけ」がその前にある。折しも描く途中の素焼きの器が転がっていた。
 壁には針金が張り渡してあって,そこにいくつかの完成品が釣られているのは,自信作なのかもしれない。曲線を使った,なんとなくアバンギャルドな空気を漂わせる絵。本人がいたら,絵付け背景なども聞けたと思うのだが,残念。
 片隅に神様の小さな祠があった。赤い蝋燭と供物が供えられている。アーティストと言うとこういう民間信仰とは無縁な気がしてしまうので,妙に印象的だった。

 次に家の裏手に回る。
 そこは既に足の踏み場もないほどの焼き物の作業場。小さなカップ状の入れ物,口の開いた平たい器等々,型抜きされて天火乾燥のために並べられている。まだ型から抜いた時のバリが残っているのは,完全乾燥してから削り取るのだろう。
 その横には,釉薬をかけられて焼かれるのを待つ器。商品にならない不良品も,勝手に割れるに任せて転がっている。その向こうの屋根の下,煉瓦で築かれた窯が見えた。
 その壁にも黒い「鏡餅」がぺたぺたと貼り付けられている。ちょっと触ってみたところ,指が細かく黒い粉で染まった。・・・炭,日本で言えば大きな炭団だ。なるほど,窯の燃料だったのか。町の中で作って,供給しているわけだ。
 残念ながらこの時は窯に火は入っていなかったが,窯の傍で従業員の女性が乾燥した器に釉薬をかける作業をしていた。バケツに入った釉薬を,無雑作にたっぷりと。いかにも生活雑器らしい。


バッチャンバッチャン



 隣の倉庫に竹籠の中に積み上げられて出荷を待つ完成品。深い暗紺色の器肌が,てらてらと光を反射している。あの土色の釉薬は,焼けばこんな色になる。面白いものだ。
 変わったところでは,装飾過多の昔風の家具の脚のような,中央が膨らんだ60cmくらいの棒状の物体がたくさん積み上げられていた。何だろうと考えていてはたと気づいた。ヴェトナムの家のベランダやバルコニーに必ずある柵の脚だ。こんなものも作っているのか。
 ・・・それにしても,こういうものをモルタルで屋上にただ接着しただけでベランダにできるとは,ヴェトナムは地震の心配が本当にない国なのだな。



Google Map:Hà Nội:Bát Tràng(1997.12.18)




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平井堅/アオイトリ[★★★★]

  1. 2009/07/23(木) 13:14:57|
  2. 越南:北部
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No.1796:ハノイ(Hà Nội)で「恋」に落ちた話3[旅行記-ヴェトナム]:1997.12.18

 涙が出るほどうまかったブン・チャー(Bún Chả)に別れを告げて,再び街へ。
 「どこか行きたいところあります?」
 ハノイは北部への通過点と考えていた僕に,特に何か希望があるわけもなく。そこで,I氏はバッ・チャン(Bát Tràng)を訪れることを提案。陶磁器作りを生業にしている町で,けっこう面白いらしい。
 「実は今からそこに人を案内して行くんですよ」
 では,お言葉に甘えて便乗させてもらおう。

 その人の泊まっているホテルで落ち合って,再びバイクタクシーの人となる。
 これがまた,けっこうなスピードを出す。僕は当時400ccに乗ってはいたが,このHonda Dreamのような小さなバイクは慣れていないために,なんとなく恐さを感じる。どうも左右の安定感がないような気がするのだ。もっとも,自分でニーグリップをしてハンドルを握るのと後ろに荷物状態で乗るのとの違いもあるだろうが。
 ハノイの地図が頭の中にインプットされていないせいで,自分が今どこをどっちの方角に向かって走ってるのかさっぱりわからない。
 紅河(Hồn Hà)らしい大きな河を渡ると,堤道状の道をひた走る。周囲は首都のすぐ側とは思えない,のんびりとした農村風景。緑の畑,黄牛が草を食みながらのそのそ歩く。ただ,堤道の左側の紅河の水面と,右側に広がる畑の高さはほとんど大差がないように見える。天井川とまではいかないが,紅河が昔から氾濫を起してきたのがよくわかる地勢だ。
 空気は割と温かくて,長袖シャツだけなのに走っていても寒くない。どころか気持ちいいくらいだ。前のバイクに乗っているI氏は革の上着を着ていたが,とても暑そうだ。停止した時に,胸元を掴んでしきりにぱたぱたと空気を入れている。
 そのうち,家が立て込んできて町らしくなってきた。何やら真っ黒な粉をこねて鏡餅状の物を作っているのは何だろう? 建物の壁にぺたんと貼りつけて乾燥させているように見える。まさか,装飾ではないだろう。
 「あ~今日はあったかいですよ。昨日までは冷えてたのに」
 陶磁器がディスプレイされたこぎれいな店の前に停まったバイクから降りながら,I氏がぼやく。

 お店の中は,所狭しと陶磁器が並べられている。手前に青磁風の器。メインのフロアには生活雑器から,若い女性が「きゃーかわいー」と叫んで衝動買いをしそうな小ブタや小僧の小さな人形まで。
 同行させてもらった人は旅行関係の仕事をしているとのことだった。このバッ・チャンをハノイ観光のオプショナルツアーに組み込めないか検討しているとか。参考資料用に一眼レフで撮影に余念がない。
 土産用によさそうな昔の文房具を写したらしい物や,派手な色で絵付けされた日本で言えば唐津のような巨大磁器も置いてあって,見ているだけでもけっこう楽しい。

 店員の話では上にも陳列されてるというので,外の階段から2階へ。
 もしかしてここにあるのはアンティークでは? ぽんと無造作に置かれていた下の商品と違って,ガラスのはまった棚にきちんと並べられている。ちらと見ただけでも,古色がついていて優に100年は経ってるようなものが多い。
 僕は,こういう名物のようなものに目がない。これはこれは,と感心しながら眺めていると・・・背後から呼ばれているような気がした。振り返ると,ガラスの向こう側に薄い翡翠色をした抹茶茶碗風の器。
 ちょうど上がってきた店員に許可を得て,そっと扉を開ける。
 金魚が薄く刻まれた,やや浅めの,でも蓮の花のようにふっくらとした腹,外側に軽く反った縁。手に乗せると艶やかで滑らかな肌がぴたっと掌から指まで吸いついてくる。器の肌から僕の皮膚へと温もりを戻す具合もなんともいえない。とてもいい器だ。こんな相性のいい器に出会えるのは,20年に一度もないだろう。
 釉薬も,高麗青磁とまではいかないが,かなり病的な翡翠のいい色を出している。

 手に取り,台に置き,ためつすがめつ賞翫する僕に,店員が教えてくれる。
 「200年くらい前のものですね」
 ということは,阮朝創建の頃のものか。使われた形跡がほとんど見受けられないので,どこかの館にでも装飾として置かれていたのか。それとも輸出用に作られてそのまま眠っていたのか。・・・器は僕を呼んだ以外には,何も語ってくれない。そんな来歴は,実は僕にとってもどうでもいいことだ。要は,僕の美意識にかない,触れた時の肌との相性が合えば,それでいい。
 ひっくり返すと値段が貼られていた。30$? これは安い。欲しい・・・けれど,一応古物だ。文化財保護の法をくぐってまで外に持ち出したくはないし(当時はまだ規制が緩かったので,税関を通す手だてがなくはなかった),何よりまだ旅は始まったばかり,持ち運んでいたらきっと割れてしまうに違いない。そうなったらこの器の命も終わりだ。今時,織部を気取って金漆で接いでも誰も誉めてはくれない。
 残念ながら,この器への恋はかなわないもののようだ。ため息をつきながら,もう一度掌の上で器を愛で,後ろ髪を引かれる思いで元の位置に戻した。ガラス扉を閉める音が,薄暗い室内にことんと響いた。
 ・・・さよなら。誰か,君の魅力のわかるいい人の手に渡るように祈ってるよ。



青磁碗
Google Map:Hà Nội(1997.12.18)




 その後数年にして,ここバッ・チャンは日本人に人気の観光&小物陶器買物の名所となった。この時一緒に行った人の会社のPRなども力があったのだろう。
 ただ,有名になったおかげで,僕が行った頃の良さはもしかしたら薄れているのかもしれない。



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Astor Piazzolla/Chin - Chin[★★★★]
  1. 2009/07/20(月) 13:18:38|
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No.1785:ハノイ(Hà Nội)で「恋」に落ちた話2[旅行記-ヴェトナム]:1997.12.18

 待ち受けているタクシーで市内へ。
 高速道路のような幅広・中央分離帯のある道路を,かなりのスピードで疾走する。ちょっとでも遅い自動車は,右に左にハンドルを切って追い越していく。
 紅河(Hồn Hà)を渡って市街地へ入ると,道は急に狭くなった。おまけに平気で車道に張り出して商売をしていたりするため,スピードはがた落ち。おかげでゆっくり窓から街の様子を見物できた。
 右手の家並みが途切れて緑が目につくようになったのは,タイ湖(Hồ Tây 西湖)らしい。静かな雰囲気で,なかなかよさそうだ。暇があったら来てみようか。

 鉄道高架をくぐって旧市街の通りに入り,今日の宿のミニホテルに着いた。思ったより狭い間口だ。タクシーから降り立って左右を見回すと,どの店も同じような間口の狭さ。京都の町家と同じように,奥行きのある構造になっているらしい。
 カウンターには,ほっそりした中年女性。彼女がこのミニホテルの経営者だった。事前の情報で,以前に広島で働いていたことがあるということを聞いていた。そうやって稼いだ資金で小さいながらも一城の主となったわけだ。
 やり取りの中で広島から来たと言うと,懐かしそうな表情になった。ここで広島空港で買ってきた幻想的な広島絵葉書を進呈。厳島神社の大鳥居を見て「ここ,行ったことあります」と達者な日本語で。カウンターの下からアルバムを取り出して,広島時代の写真を見せてくれる。・・・喜んでもらえたみたいで,嬉しかった。
 「ところで,いつまで泊まります?」
 そう,実は何泊するか決めずに予約だけ入れていたのだ。
 「えーと,サパにも行きたいんですけど・・・」
 「だったら,ここからカフェのツアーに申し込めますよ」
 ほら,とビニールでコーティングした案内を開く。確かにサパ(Sa Pa),香寺(Cùha Hương),ホアルー(Hoa Lư 華閭)と,ハノイ周辺のツアーがずらりと載っている。
 「明日出発だけど,どうします?」
 3泊4日のツアーで57$。宿泊を一人部屋にすればプラス7$。本当は自力で行きたいのだが,初めて行くところではあるし,ツアーに入った方が何かと便利ではあるのは確かだ。
 「一人部屋でお願いします」
 「はいはい。・・・じゃ,宿泊はとりあえず今日だけね。で,サパから戻ってきた日はどうするの?」
 その日のうちに夜行列車で南下しようと企てているが,ハノイに戻ってくるのが18時,列車はガイドブックによると20時発。一番速いS1という列車であればいいが,そうでなければまた時間のロスになる。それに,乗り継ぎ時間はたったの2時間で大丈夫だろうか?
 無理なのだったら,ハノイにそのまま一泊して市内を見物したい。いや,それ以前に列車の予約はこれからで,席があるかどうかもわからない。
 「・・・すみません,こちらの知り合いと相談してから決めてもいいです?」
 わがままを言う日本人に微笑みながら,いいですよ,と言う女主。本当に「お母さん」というイメージの人だ。

 知り合いのI氏から入っていたファックスを受け取って,とりあえず部屋に落ち着く。こざっぱりとしたしつらえで,日本人好みになっている。
 案内してくれた女主が「ここに荷物がありますけど,気にしないで下さい」とベッドの裏側のカーテンを開けて示す。・・・前の宿泊者(ここは長期滞在客が多い)が一時的に部屋を空けてるのかもしれない。商売繁昌でよいことだ。
 部屋からI氏に電話。それでは昼飯でも,ということになった。

 衛星放送の音楽番組を漫然と眺めていたら,電話が鳴った。I氏が下に来たようだ。お出かけセット(デジカメ,普通のカメラ,メモ,ガイドブック,水を入れた袋)とクーリエを頼まれたモデム,土産を持っていそいそと下へ。
 久々に見たI氏は,横に成長していた。留学中のハノイの水がよほど性に合っていると見える。
 特に希望はない,というよりも何があるのかさっぱりわからないお上り日本人のために,I氏はちゃんと行き先を考えてくれていた。通りがかったバイクタクシーに跨がって,一走り。
 着いたところはハノイの名物麺ブン・チャー(Bún Chả)屋のダック・キム(Dac Kim)。昼飯時とてテーブルは一杯だったが,I氏は慣れたものでさっさと2階へ上がっていく。ちょうど二人連れが食べ終わって出るところだった。

 てきぱきとテーブルが片付けられて,どさっと香菜と野菜類を満載した笊が出てくる。続いて素麺のような米製の細麺とタレ。最後に焼きたての肉とチャー・ゾー(Chả Giò 小さな揚げ春巻)。・・・これはどうやって食べるものなのか?
 I氏が食べ方を実演してくれるのに倣って口に入れると・・・これはうまい! タレが絶妙で,麺と肉,香菜,野菜を見事にまとめてくれる。これが美食漫画だったら,目の幅いっぱいの涙を大量に流すか,さもなければ目の中に竜巻きが出現しているところだ。これは,今まで食ったヴェトナム料理の中でも一二を争うのは間違いない。
 麺に焼肉と香菜を載せてタレをかけるだけなのに,どうしてこんなにうまいのだろう? これは気に入った! 日本に帰っても食べられるところがあるだろうか,とI氏に尋ねたところ,それは望み薄だと。日本でヴェトナムレストランを開いているのは基本的に南部出身者で,ブン・チャーのような北部の大衆的名物料理はレシピがよくわからないのだそうだ。

 二度と食べられないかと思うと,執着はますます強くなる。愛おしむように一口一口大事に味わって食べる。これはもう,恋と言ってもいい。



ブン・チャー
Google Map:Hà Nội(1997.12.18)




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平井堅/KISS OF LIFE[★★★★★]
  1. 2009/07/16(木) 10:17:06|
  2. 越南:北部
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プロフィール

Ikuno Hiroshi

Author:Ikuno Hiroshi
Self
↑現在  ↓過去の一時期
755860.jpg
広島から沖縄へ移住した100%ゲイ。
年齢不詳に見えるが五十路を越えた。
ハッテンバで出逢った10歳下の相方と
・・・何年目だっけ? でも,いつも
いちゃいちゃ熱々バカッポー実践中。

LC630以来の筋金入り林檎使い。
Power Macintosh 7300
→ iMac(Blueberry)
→ eMac
→ iMac (20-inch, Early 2009)
虎→雪豹→獅子丸
→山獅子→寄席見て
→得甲比丹
iPad miniは2017.06.08に退役,
以後はiPad mini4(Gold)に。
更に,iPhone6!
ネットはNiftyServe以来の古参兵。

ついでに典型的なB型的性格。
パタリロのギャグは
ほぼ暗記しているらしい。
猫・犬複本位制だったが,
現在は,猫本位制に移行。
芸能・スポーツ以外の雑学王(笑)

HIV関連

財団法人 エイズ予防財団

HIV検査・相談マップ

読書中の本(2017.Oct.19~)

honto
足利義満 公武に君臨した室町将軍

ISBN :978-4-12-102179-3
小川 剛生著
中公新書(972円)

過去の『読書中の本』一覧

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