嗣徳帝は阮朝第4代皇帝(在位1848〜83)。
1858年にキリスト教弾圧を理由にしたフランス・スペイン連合軍によるダナン攻撃,1862,67年の条約によりサイゴン地方のフランス割譲,さらに没後に本格的なヴェトナム侵略を受ける,という外患に加えて急速過ぎた中央集権化の反動で各地,特に北部地方で反乱が起こり,次第に阮朝は衰退していった。
この後に即位した皇帝たちは,権臣たちに操られたりフランスの影響下に置かれたりしたので,実権をふるうことのできた最後の皇帝といえるかもしれない。
文化的には帝をはじめとする詩人・文人が輩出した黄金時代だった。
濠状の池の向こう側には背の高い松,こちら側にはいろいろな木々。季節外れで葉もつけていない白骨状のやつもちらほら見える。プルメリアのようにも思えるが,実際のところは何だろう。もしプルメリアなら,季節にはあたりにいい香りが漂うだろう。しっとりとした空気の中の静かな佇まい。庭園公園の中にいるようだ。
やっと池に臨む小さな建物に接近。同じ形の屋根を3段階に連ねて岸から水面近くまで階段状に張り出す。その先さらに梯子状の階段が下っているのを見ると,ここは帝が舟遊びをした時の船着き場だったのだろうか?
奥に進むと,石を敷き詰めた中庭を挟んで廂を大きく突き出した横長の建物。橙色の瓦が濡れた石畳に映って明るく見える。ガイドブックによると,これは嗣徳帝を祠った寺らしい。もちろん今は無住になっているようだが。正面に置かれた大きな青銅の鼎風香炉が,少し寂しそうだった。
その先には,例によって功績碑を安置した四方吹き抜けの東屋風の建物,そのやや後方左右にオベリスク風の塔,更に蓮池を挟んで廟,という構成。どうやらこれが阮朝皇帝陵の中心部分の基本らしい。
低い石壁に守られた廟の中,ほとんど何の装飾もないすっきりとした形の奥津城。日本の古墳時代の墳墓から出土する家形石棺のような形。さすがに細工や切り石の積み方はしっかりしている。
観劇用の方は内部の修復が完了したのか,それとも保存状態がよかったのか,当時の様子をそのままに残しているようだ。背丈よりも高い位置にあるロイヤルボックスは城門をかたどってデザインされ,その前方の黒い天井には星宿や瑞雲が描かれる。木の組み方はとても簡素で気負ったところがないながら,漆で仕上げられて美しい。いかにもプライベートに楽しむための場所だ。舞台側の天井近くに掲げられた額には,この建物の名「鳴謙堂」が書かれていた。
扉を押し開けて一歩外に出ると,そこは池の上に張り出したテラス。目の前に池と中島が広がって開放的だ。右手には船着き場がその律動的な姿を水面に映し出して目に心地よい。夏などはここで夕涼みの宴でも開かれたのかもしれない。BGM NOW St. Eliyah Childrens Choir/Now lettest Thou servant depart [★★★★★] |
Author:Ikuno Hiroshi

↑現在 ↓過去の一時期
広島から沖縄へ移住した100%ゲイ。
年齢不詳に見えるが実は四十路半ば。
ハッテンバで出逢った10歳下の相方と
・・・何年目だっけ? でも,いつも
いちゃいちゃ熱々バカッポー実践中。
LC630以来の筋金入り林檎使い。
先日eMac→iMac,虎→雪豹に。
ついでに典型的なB型的性格。
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