The 3rd. ..........なべてこの世はこともなし

 このブログは,ゲイのIkuno Hiroshiが日記的文章と撮り溜めてきた写真を垂れ流します。たまに(しょっちゅう?)ゲイゲイしい文章と毒があるので,ご注意あれ(笑

No.1240:霧雨のフエ(Huế)4[写真-ヴェトナム]:1995.03.18

 啓定帝陵を出て,再び泥道を車は辿った。
 時折,タイヤが空転する。この紅い粘土質の土は,見た目どおり滑りやすい。
 外は相変わらずの降りみ降らずみの小糠雨。・・・そんな中を,自転車に跨がった欧米人とすれ違った。裸足にサンダル,ショーツにシャツの上からビニールの合羽をかぶった大男。背負ってるのはバックパック。明らかに観光者だ。
 郊外の名所を自分の力だけで廻るのか。彼らとは体の造りが違うと思わせるくらい,その姿はパワフルだった。

 さて,着いたのは嗣徳(Thự Đức トゥドゥック)帝陵だ。


 嗣徳帝は阮朝第4代皇帝(在位1848〜83)。
 1858年にキリスト教弾圧を理由にしたフランス・スペイン連合軍によるダナン攻撃,1862,67年の条約によりサイゴン地方のフランス割譲,さらに没後に本格的なヴェトナム侵略を受ける,という外患に加えて急速過ぎた中央集権化の反動で各地,特に北部地方で反乱が起こり,次第に阮朝は衰退していった。
 この後に即位した皇帝たちは,権臣たちに操られたりフランスの影響下に置かれたりしたので,実権をふるうことのできた最後の皇帝といえるかもしれない。
 文化的には帝をはじめとする詩人・文人が輩出した黄金時代だった。



 この帝陵は「陵」というよりは別宮と言った方がよい。なにしろ総面積90ヘクタール,域内には濠,森,山,中島のある大池が造られ,その間に美しい建物が点在するのだ。
 ここは「謙宮」とも呼ばれ,帝の生前・1867年に完成したもので,在世中は別荘の役割も果たしていたという。またそれだけではなく,事あった時の宮廷の避難所としての意味もあったようだ。実際,フランス軍がフエに進駐してきた時(1885年),第8代の咸宜(Hàm Nghi ハムギ)帝と宮廷内の主戦派はここに入り,更に山岳地帯へと逃れてフランス軍を攻撃し続けたのだ。


嗣徳帝陵 濠状の池の向こう側には背の高い松,こちら側にはいろいろな木々。季節外れで葉もつけていない白骨状のやつもちらほら見える。プルメリアのようにも思えるが,実際のところは何だろう。もしプルメリアなら,季節にはあたりにいい香りが漂うだろう。しっとりとした空気の中の静かな佇まい。庭園公園の中にいるようだ。


 池沿いの道を歩いて行くと,また別の大きな池。木の生い茂った中島の遥か向こうに水面に張り出した建物がいくつかある。ゆったりと池の形のままにうねる道は,歩いても歩いても見える建物が近くならないような錯覚に陥るが,また見る角度ごとに庭の風情が少しずつ変化し,飽きることがない。


嗣徳帝陵 やっと池に臨む小さな建物に接近。同じ形の屋根を3段階に連ねて岸から水面近くまで階段状に張り出す。その先さらに梯子状の階段が下っているのを見ると,ここは帝が舟遊びをした時の船着き場だったのだろうか?
 この瀟洒な船着き場の背後,幅広の石階段を上ったところに赤茶色の瓦屋根の二層建築がそびえる。ここからぼんやり眺めていると,何だか昔の阮朝宮廷の貴紳たちが下の道を歩いていそうに思えるから不思議だ。それだけこの陵には王朝の雰囲気がよく残されているということだろう。


嗣徳帝陵 奥に進むと,石を敷き詰めた中庭を挟んで廂を大きく突き出した横長の建物。橙色の瓦が濡れた石畳に映って明るく見える。ガイドブックによると,これは嗣徳帝を祠った寺らしい。もちろん今は無住になっているようだが。正面に置かれた大きな青銅の鼎風香炉が,少し寂しそうだった。


嗣徳帝陵 その先には,例によって功績碑を安置した四方吹き抜けの東屋風の建物,そのやや後方左右にオベリスク風の塔,更に蓮池を挟んで廟,という構成。どうやらこれが阮朝皇帝陵の中心部分の基本らしい。
 塔は,明命帝のものほどには高さを感じさせない。すらりとしたそれに比べて,どうもずんぐりしたイメージがある。実際には同じくらいの高さだと思うが,デザインの違いでそう思える。中国っぽい明命帝,西洋の混じった啓定帝のそれに比べて,よりヴェトナムらしく見えるのは僕の気のせいだろうか?


嗣徳帝陵 低い石壁に守られた廟の中,ほとんど何の装飾もないすっきりとした形の奥津城。日本の古墳時代の墳墓から出土する家形石棺のような形。さすがに細工や切り石の積み方はしっかりしている。
 すっきりとして安定を感じさせるいい形だ。この中で帝は何を思って眠りについているんだろうか。


 ・・・引き返して,池の周囲の道を先にたどろう。船着き場の斜め向かいに,立派な建物が水面に突き出ている。ここは背後の観劇用の建物と水上のしつらえられた宴会用の建物との二つの部分からなる。

嗣徳帝陵 観劇用の方は内部の修復が完了したのか,それとも保存状態がよかったのか,当時の様子をそのままに残しているようだ。背丈よりも高い位置にあるロイヤルボックスは城門をかたどってデザインされ,その前方の黒い天井には星宿や瑞雲が描かれる。木の組み方はとても簡素で気負ったところがないながら,漆で仕上げられて美しい。いかにもプライベートに楽しむための場所だ。舞台側の天井近くに掲げられた額には,この建物の名「鳴謙堂」が書かれていた。

嗣徳帝陵

 宴会用の方は,薄暗い内の間と池に向かって開放された部分とに分かれる。内の間には1.5m四方の細かく装飾された猫足の台が据えられていた。帝の御座だという説明だったが,腰掛けるのは変だから上に敷物を敷いて胡座でもかいたのだろうか? ヴェトナムは椅子の文化圏だと思っていたので,ちょっと納得がいかないのだけど。


嗣徳帝陵 扉を押し開けて一歩外に出ると,そこは池の上に張り出したテラス。目の前に池と中島が広がって開放的だ。右手には船着き場がその律動的な姿を水面に映し出して目に心地よい。夏などはここで夕涼みの宴でも開かれたのかもしれない。
 かつて,UNESCOの高官がフエを評して「賞賛すべき建築上の詩である」と言ったそうだが,その言葉は端的にこの帝陵に当てはまると思う。




嗣徳帝陵
クリックで拡大 Google Map Huế, Vietnam(1995.03.18)




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  1. 2008/12/03(水) 09:37:12|
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