1997年12月19日5時25分。
眠い目をこすりながら髭を剃り,身支度を整えて階段を降りる。
既に夜番の少年は起きて灯をつけて待っていた。僕一人のために申し訳ない。
「迎えはまだ来てないよ」
とにかく一旦チェックアウトをと言ったところ,どうせ4日後に戻って来てまた泊まるのだから最後の日にまとめて支払えばいい,とマダムからの伝言。広島で働いたことのある親日家女性の経営するミニホテルとはいえ,なんて太っ腹な。
簡易ベッドを片づけた少年と英語で喋りながら,衛星の音楽放送を見るともなしに見ているうちに,バイクが入口に止まった。どうやらこれらしい。
「それじゃ,また」
大きい荷物を前の籠に小さい方は襷がけにして,ホテルに別れを告げる。勢いよく走り出すバイク。
まだ外は真っ暗だというのに,もう朝食用のフランスパンを売り歩いている女性がいる。道路をきれいに掃き清めている清掃員の姿も見える。ところどころ灯の輝く店は,仕事に行く人たちに朝飯を食べさせる準備をしているらしい。冬の冷えた空気においしそうな匂い混じりの湯気が漂って,鼻に届く。ヴェトナムの朝は,早い。
「ここだよ」
日本と違って街灯のほとんどない暗闇の中どこをどう走ったのやら,ホテル兼ツーリストの前に着いた。名前はわからない。マイクロバスが車内灯を煌煌とつけて待っている。
「ありがとう」と言って僕が降りるや否や,彼は走り出してしまった。
「おーい,前の荷物・・・!」
声は届かず,バイクの姿はあっという間に見えなくなった。これにはさすがの僕も焦った。持っていかれた方に日常必要な物とか,パスポートとかが入ってたのだから。
ツアー客を案内していた係員に言ってみたが,今一つ事態が飲み込めないらしい。単に僕の英語力が乏しいせいだろうが。どうしたものやら,と犬のように唸っていたらあのバイクが戻って来た。どうやら忘れ物に気づいたらしい。
「この荷物・・・」
照れ笑いをしながら差し出して来た。・・・まあ,無事に戻って来たからよしとしよう。
それでは,とバスに乗り込む。
見渡したところ,ほとんど欧米系ばかり。荷物の量も半端ではない。今回の僕は2週間だが,クリスマスシーズンではあるし,それとは比べものにならない長期の休暇で来ているのだろう,きっと。
まだ空いていた一番後ろに座って,前の席の下にバッグを押し込む。ふと気づくと,前の席の女性はアジア系だった。扉の傍に座った男性もだ。結局,総勢17名のうちにアジア系は僕を入れて3人だけだった。
5時55分。
ぶるんと一揺れしてバスが動き出した。挨拶の後にガイドが言うには,これからいくつかホテルを回ってピックアップして行くそうだ。だったら僕もそうして欲しかったが・・・お一人様ではさすがに無理か。
真っ暗から薄暗い程度になった街路。表に出ている人の数も増えてきたようだ。何かわからないが各家庭に配達をしているらしい自転車が何台か走っている。
ホテルに停まる度に2〜3人ずつ乗り込んできた。2人がけも満席となり,補助席が広げられた。体の大きい欧米人にはきついだろう。当然,ガイドに文句を言うのも出てくる。
「昨日申し込んだ時には8人程度だと聞いたぞ。これじゃ多すぎる!」
ガイドが言い訳するのを聞くと,どうやらこのツアーはいくつかのツーリストの合同部隊らしい。オフシーズンのためそれぞれのツーリストが集める数は知れているので,それぞれがツアーを出すよりいっそまとめて,ということのようだ。
こんこんっと窓が叩かれる。何かと眺めやると,新聞紙に一本ずつ包んだフランスパンを抱えた女性。なるほど,こういう所でも売れるというわけだ。
早速,朝食用に1つ買い求める。早朝出発ツアーに簡易朝食としてフランスパンやバナナが付くことは知っていたが,いかにもおいしそうに見えたので。他にもちょっとしたお菓子の類いや水の売り子もいたが,こちらはやめておく。
(ここで脱線:どうして日本のフランスパンはあまりおいしくないのだろう? よく「本場のフランスと違って湿度が高いからうまく焼けない」などと言う職人がいるけど,それは絶対言訳だ。ヴェトナムの方がずっと湿度は高いのだから。
大分薄明るくなってきた。
ホァンキェム(還剣)湖(Hồ Hoàn Kiếm)沿いディンティエンホァン(丁先皇)(Đinh Tiên Hoàng)通りのミニホテルで2人乗せたところで,本格的に出発となる。ジョガーや太極拳もどきの体操をする集団が見送り人だ。
BGM NOW 이승철/오직 너뿐이 나룰[★★★★] |
- 2008/05/21(水) 09:25:02|
- 北部(越南)
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