どうやら修理も終わったようだ。
ガイドが大声で四散したツアー客どもを呼び集める。とやどやと乗り込んで,やっとバスが動き出した。ほぼ1時間近く停まっていたことになる。
だが,悪いことにはいいこともついてくるようで,この1時間の間にお喋りやら「ハプニング」被害者としての妙な連帯感やらで,ばらばらだったツアー客の間には打ち解けた空気が醸し出されていた。
あちこちで,「これ食べる?」と持参のお菓子やキャンディやの袋が回され,車内は何やら学校遠足のような雰囲気になってきた。右に窮屈そうに脚を縮めて座っているアメリカ人も,小さなキャラメルもどきを取り出して勧めてくる。ありがたくいただくが,今はお返しするものがない。どこかの町に停まった時に,何か買い求めておかなければ。
北に進むにつれて,次第に雲が厚くなってきた。さっきまでクリーム色の薄日が射していたのに。
窓の外には,広々としたホンダとトヨタの工場が続く。周囲は,日本でも見かけるようなごく一般的な近郊農業地帯。そのまん中にでんと居座る現代的な建物群は,微妙な違和感を漂わせながら,それでもそれなりに溶け込んでいこうとしているかのよう。ドリーム(ヴェトナムで大受けのカブタイプバイク)とかはここでも作っているのだろうか。
菊の花畑も見える。黄色,白,ピンク色,日本で見るのと同じ大輪の花が丈の高い茎の上で咲き競っていて,どんよりした空の下,そこだけ日が照らしているみたいだ。これはやはり花市場に売りに出すのだろうな。もしかしたら,日本にも空輸されているのかも知れない。
そうかと思えば,香菜を育てる畑。鮮やかな緑色を見ているだけであの匂いが鼻の奥に蘇ってきて,フォーを食べたくなってきた。・・・お腹が小さく鳴った。
せっかく買ったフランスパンがあるから,それを食べよう。小ぶりなそれに齧りつくと,ほんのりした甘味と乾燥した軽い香ばしさが口の中に広がる。何もつけないでもおいしいフランスパンは,日本ではまず食べられないだろうと思う。
9時半頃,窓ガラスに水滴が落ち始める。とうとう降り出した。ざあざあではなくぽつぽつくらいなのが救いだ。
そんな疎らな雨でも少しずつ地面は濡れていき,その土特有の色をけざやかに見せつける。不思議に思ったのは,薔薇色の花崗岩めいた明るい色の畑地の隣に,黄土色の土が畝を作っていたり,そうかと思えばヴェトナムの家の瓦のようなオレンジ色の地面があったりすること。もちろんいかにも豊穣そうな黒っぽいの土も。たった10m程度でこんなにころころ土の色が変わるというのは,どういうことだろう。客土?
この時間になってくると,道端に仮設された藁屋根の下に道行く人々を当てにした商品が並べられる。
一番目についたのは,スイカ。日本のそれのような縞模様がない深緑一色の丸い玉が,粗末な棚から転がりもせずにきれいに何段も重ねて陳列されている。ヴェトナムに限らず,東南アジアのディスプレイ能力(?)は高い。
おいしいことをアピールするためにか,まっぷたつに切られてこちらに見せられた断面。その真っ赤な血の色にぎくっとした。江戸時代に初めてスイカが入ってきた頃,「あの色はコロリ(コレラ)で死んだ人の血だ」と疎まれて誰も口にしなかったというが,それを地でいくような鮮やかすぎる色合いだった。・・・どんな甘さなのだろう?と気にはなるが,もちろん買うわけにはいかない。
越中国境の町ラオカイ(Lào Cai)へと延びる鉄路と平行して,2車線の道は北北西に。
有料橋を渡ってしばらく,紅河沿いに広がる平野に小高い山が少しずつ迫ってきて,気がつくと両側に並んでいた。なんとなく山岳地帯に向かってるんだな,という気になる。
数えきれない集落を通り過ぎて11時半,小さなロータリーのある三つ又道で運転手はバスを停めた。ガイドがすかさず立ち上がり「ここでランチにします」と告げる。
ほっとした空気が流れる。けっこう揺れるバスの中,狭いから脚をそうそう組み替えるわけにもいかず,皆いい加減尻も痛くなっていたのだ。しかし,出口は一つ,荷物は床に山積み,なかなか外に出られない。
待ちくたびれてしまった僕は,ええい,と意を決して全開にした窓から体を竦めて外に出た。隣のアメリカ人も真似をして出ようとするが,サイズが大きいので四苦八苦。それでも,何とか無事に出ることができたので,その後はここが僕たち専用の出入口ということになった。
BGM NOW navy & ivory/指輪[★★★★★] |
- 2008/05/30(金) 09:06:36|
- 北部(越南)
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